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【16(日)~17(月・海の日)】《2023・文校夏季合宿in伊勢志摩》に、広島・愛知・埼玉・茨城の通教部生、神奈川の昼間部生など24名参加。

1984年発行の「大阪文学学校・30年略年表」によると、今の形のひと晩泊まりの夏季合宿がはじまったのは、80年(昭和55年)7月のことで、大阪・奈良府県境の信貴山でした。それ以来、数えて44回目(2020年と21年はコロナのために代替企画として自宅Zoomによる作品合評会)の今回は、三重県の伊勢志摩に出かけました。ちなみに昨年・43回目は、大型バスをチャーターし41名で“文校から熊野三山・新宮への旅”を敢行しています。
今回も、貸切バスによる文校⇔伊勢志摩往復を計画していましたが、希望者がバス定員の40名に達しなかったため、バスのチャーターは見送り、文校近くの上本町駅から近鉄特急を使うことになりました。そのため、当初の参加費(19,800円)をオーバーしてしまい、申し訳ありませんでした。
ダンナさんと一緒に参加するはずだった、夏季合宿常連の佐々木鈴・事務局員の姿はありませんでした。事務局から小原、チューター陣からは津木林洋さん(昼)、佐伯晋さん(元/通)の参加がありました。今春の新入生は茨城県水戸市、広島市などから5名、遠来組はさいたま市(通)、神奈川県秦野市(昼)、名古屋市(通)の3名でした。

【初日/16日】

【志摩スペイン村に入ってすぐのところで記念撮影】
◎皆さん、三々五々連れ立って、街頭のショーやスペインの街並みの情緒を楽しまれていたようでした。僕(小原)ら男4人組は、フランシスコ・ザビエルの生誕地であり幼少時の住居だったザビエル城をそっくり模したという博物館の内外を見て回りました。その後誰からともなく、ジェットコースター“ピレネー”に足を向けました。「65歳以上の方」「高血圧の方」(該当者は僕だけ)はダメです、という看板は見なかったことにして、待ち行列が短かったので、4人とも乗り込むことになりました。座席から放り出されそうになるわ、真っ逆さまに突っ込むわ、錐揉み状態になるわ、楽しむことは1秒たりともありませんでした。早く停車してくれ、ひたすら念じていました。・・・・・・一世一代の大冒険に挑んだが、命の縮む思いを味わわされただけだった。でも勇気をふるえたのだから、もうこれだけで今回の合宿にきた甲斐はあった、と思えるようになりました。


【伊勢志摩ユースホステルの庭でバーベキュー大会】
◎まず、7月10日(月)に自宅で脳出血のために急逝した佐々木鈴さんを偲んで献杯をしました。それから、バーベキュー、ユースホステルの厨房でつくった焼きビーフン・ポテトサラダ・いぶりがっこ・ゼリー、ビールサーバーから注入した生ビールなどの酒類を、歓談を交えながらたらふく飲食しました。
バーベキュー用に自家製の炭を用意し、肉・野菜の買い出しに行ってくれたのは、諸さやかさん(夜)の連れ合いでした。厨房で種々の料理をこしらえてくれたのは、堀越千歳さん(夜)・中森敦子さん(同)・荻野真理子さん(昼)・山本瑛子さん(同)でした。また佐伯晋さんからは地元・三重県産の日本酒の差し入れがありました。
◎室内に移り、自己紹介を兼ねた談笑、文学談義、はてはスマホから曲を流してのカラオケ大会までありました。12時までには、ほとんどが就寝。

【二日目/17日】

【朝8時、ユースホステルの近くから小型の貸切バス(伊勢国際観光)に乗り、英虞(あご)湾へ。その後も、貸切バスで各所を回る】


【約1時間、真珠の養殖筏と大小60の島が浮かぶ英虞湾をクルーズ船でめぐる】
◎クルーズ船の船長は、ダジャレをまじえながら、英虞湾の歴史や文化を解説してくれました。三重県が地元の佐伯晋さんによる解説もダジャレ入りで負けてはいませんでした。
◎その後、伊勢神宮内宮へ。神宮内に入り参拝する文校生は少数で、ほとんどが昼食のために“おかげ横丁”へもぐり込みました。大阪ナンバの道頓堀よりずっと多い人出にもかかわらず、インバウンドの人々はほとんど見当たりませんでした(気づきませんでした)。


【松坂城跡にある松阪市立歴史民族資料館2階の小津安二郎松阪記念館で学芸員の説明を受ける】
◎「東京物語」など数々の名作を残している映画監督・小津安二郎(おず・やすじろう)は、9歳(1913年/大正2年)から、松竹キネマ蒲田撮影所に入社する19歳まで松阪に住んでいました。学芸員から受けたいろんな説明の中で、「小津監督は、社会的な事件や事故を取りあげずに、淡々と庶民の生活ぶりを描いていた」という言葉が印象的でした。


【同じく松坂城跡にある本居宣長記念館で吉田館長から説明を受ける】
◎35年間を費やした注釈書『古事記伝』で知られる本居宣長(もとおり・のりなが)は、作家でありながら医者という二足の草鞋をはいていたとのことでした。著書の版木ばかりでなく、往診に出かける時に携行した薬箱も飾られていました。
◎ほとんどが近鉄松阪駅から、特急で大阪へ。数人は、近鉄で名古屋方面へ帰っていきました。

◆学生委員会は、今回の夏季合宿参加者による紀行文集【たびかぜ】第2号の発行を予定しています。

◆創意と実行力で夏季合宿を全面的に取り仕切った、夜間部の谷良一学生委員長をはじめとする学生委員会の皆さん、ほんとうにご苦労様でした。更には、オブザバーとして企画段階からアドバイスをおくってくれた修了生の平本亮子さん(元・イベント部キャップ)、上に載せた写真を提供してくれた夜間部の野村武史さん(新聞部キャップ)にも感謝します。野村さんは、600枚写真を撮っているとのことです。

(小原)

《2023年秋期(10月開講)入学》3人目。吹田市の61歳女性が、通教部・小説クラスへ。

大阪府吹田市の女性からオンラインで届いた「入学申込書」を抜粋して以下に紹介します。電話でもメールでも、事前連絡はいっさい無く、いきなりの「入学申込」です。【そういう方が近年増えてきていますが、嬉しいことです。HPやブログのいっそうの充実を期します。】

●≪入学のきっかけや書きたいテーマなど≫
長年コピーライターの仕事をしてきました。
2020年には、夫が倒れたことを書いた本『夫が倒れた!献身プレイが始まった!』を主婦の友社から出版するなど、書くことを中心にしてまいりましたが、もう少し、自分の文章表現を磨きたい、また本腰を入れて再度勉強したいと思い入学を決意いたしました。

●≪影響を受けた作品・作家・詩人名≫
武田百合子 内田百閒 東海林さだお(随筆が中心です)

●≪募集を何で知りましたか≫
インターネットで検索いたしました。

(小原)

佐々木鈴さん(文校事務局員)の祭壇に、ハーバリウム、黒霧島、追悼メッセージがとどく。◆鈴さんの和歌山の叔母さんの求めに応じ、鈴さんの作品が載っている『樹林』計5冊を送付。

「大阪文学学校ブログ」で、佐々木鈴さんの訃報を知った大分市の坂本雨季さん(4月入学/飛び級で通教部・飯田クラス)がハーバリウムの小瓶2本を小包で届けてくれました。お礼をいうために電話したところ、「6月スクーリングの交流会の時、一人ポツンとしていたら、佐々木さんが隣りにすわり話しかけてくれて嬉しいでした」とのことでした。

修了生の角田(つのだ)美千代さんは、ふらりと教室に現われ、祭壇に芋焼酎“黒霧島”のワンカップを手向けていました。聞いてみると、3月末に文校近くの空堀通り商店街の一角にあるお好み焼き屋で、鈴さんと二人だけで飲む機会があったとのこと。鈴さんは、まずビール、次にワイン、最後に黒霧島を何杯も飲んだのだそうです。

「追悼メッセージ」は、木津川伊吹さん(通教部・高橋クラス)からメールでとどきました。以下、全文です。
【佐々木鈴さま 7月13日の文校ブログを見てあなたの訃報を目にした時の衝撃から未だに立ち直れません。
 最大の思い出は2021年11月に故・錺チューターの送別会を企画したときです。文校の一室で会場探しをしていた私を手伝い、カフェ店主の文校生など知り合いにも声をかけてくれ、ネットを捜しまわった結果、駅から階段なしで行ける宴会場を見つけることができました。あの送別会は佐々木さんのお力なしでは成功しなかったでしょう。
 もっといっぱいお礼も言いたかったしお茶・お酒もおごりたかった。あなたの早すぎる死が残念でなりません。 本当に、ありがとう。】

◆和歌山市に住む、鈴さんの叔母さん(母親の妹)から、通夜・告別式への文校関係者の参席にたいするお礼のメールが寄せられています。それに続いて、次のように記されていました。
【鈴が皆さま方よりこんなにも愛していただいてたことを知り、感動いたしました。本当にありがとうございました。
 ところでブログを拝見しましたが、『樹林』に掲載していただいた作品が五つほどあるようですが、それらの号のバックナンバーは在庫があるでしょうか?・・・(中略)・・・鈴は自慢をしない子でしたので、大阪文学学校賞受賞…と知って驚いております。】
 さっそく今夜、在庫の中から探し出し、佐々木鈴さんの小説などの作品が載ったそれぞれの『樹林』計5冊を第3種郵便物としてポスト投函しました。

(小原)

今夜、大阪文学協会の定例理事会が開かれる。理事7名全員出席(うち3名はZoomから)★3年半ぶりに8/4(金)、文校総会(社員総会)を開くことに★9/17(日)は12時30分~14時【修了集会】、15時~18時【佐々木鈴さんを偲ぶ会】

今夜、午後6時40分から9時10分まで、文校の一室で一般社団法人・大阪文学協会(大阪文学学校の運営母体)の定例理事会がもたれました。教室出席は、葉山郁生(協会代表理事)、平野千景、美月麻希、小原政幸(文校事務局長)の4名の理事。細見和之(文校校長)、中塚鞠子、津木林洋の3名の理事は自宅などからリモート(Zoom)出席。
今期(23年春期)の進行状況、6月末での会計収支、来期(23年秋期)の組会・講座、『樹林』本誌や小野十三郎賞などについて討議しました。その詳細については、いずれ「文校ブログ」「文校ニュース」等でお知らせします。
◆コロナを警戒して開催を見送っていた文校総会(会社でいうなら社員総会に当たり、構成員は全理事、全チューター、事務局、学生代表5名)を3年半ぶりに開催することになりました。8月4日(金)午後7時から文校教室で開きますが、Zoomからでも出席できます。
◆9月17(日)は2部構成で、12時30分~14時に【修了集会】、15時~18時に【佐々木鈴さんを偲ぶ会】を催します。
【修了集会】は19年9月以来、4年8期ぶりの開催になります。本科・専科・研究科それぞれの修了生に証書が授与されます。出席の担当チューターから昼・夜間部の提出作品への講評があり、修了生一言メッセージのコーナーもあります。
【佐々木鈴さんを偲ぶ会】は、学生委員会の協力をあおぎながら執りおこないたいと思います。鈴さんのご遺族にもお越しいただくことになっています。在校生・チューターに限らず、文校修了生でもどなたでも参加できます。

(小原)

佐々木鈴さん(文校事務局員)への“追悼メッセージ”相次ぐ。「事務局のお手伝いをします」という声も多数寄せられる。

事務局の佐々木鈴さんが脳出血のため急逝されてから丁度1週間。
日曜日から月曜日(休日)にかけて、鈴さんへの“追悼メッセージ”が多数、文校のパソコンには届いていました。以下に掲出した島田チューター、飯田チューター、通教部生の峯本さんのほかにも、塚田もとひでさん(通教部チューター)、林隆司さん(昼・佐伯c/学生委員)・・・・・・。
封書で“追悼メッセージ”を寄せてくれたのは、川久保さん(通・美月c/愛媛)、久保さん(通・音谷c/京都)。
また都圭晴さん(夜・高田c)は、教室内の祭壇に花束を飾り、飲んベーだった鈴さんの遺影にビール缶を手向けていました。
文校事務局は、真銅くんと僕の2人だけになってしまいました。教室や電話、メールで、「事務局の仕事、手伝えることがあったら、声をかけてね」という“事務局への励まし”を何人もからいただいています。力強いことです。大阪文学学校の“みんなでつくる学校”という“協働の精神”を久方ぶりにかみしめています。
(小原)

・・・・・・・・・・・・・・
【島田勢津子(昼間部チューター)より】
文校ブログで、佐々木鈴さんの祭壇を見て、追悼のメールも寄せられているとのことで、私も書かせて頂きます。
13日の木曜日、ゼミの前に小原さんから佐々木さんが亡くなったと知らされました。
あまりに突然で、呆然としてしまいました。
ほんの一週間前には、いつものように挨拶して、なにげないやり取りを交わしたばかりだったのに。
ゼミの後、打ち上げだったのですが、皆で佐々木鈴さんに「献杯」して、お礼を言いました。

鈴さんは本当に、事務局員として最高のかたでした。
PCやZOOM、通信に堪能なだけでなく、誰にも気さくに対応することが出来るかたでした。
多くのチューターや生徒が事務局を通りかかって、いろんな雑事を持ち込むのですが、自身の仕事も多く抱えていたはずなのに、いつも嫌な顔一つせず、処理してくれました。
コロナ禍での、ZOOM導入やその後のことなど、随分助けて頂きました。
私はクラスの共通資料をPDFにしてもらうことが多かったのですが、いつもその日のうちに届いていました。

困ったことがあっても、鈴さんに言えば何とかしてくれるようで、その有能さと性格の良さに、甘えていた気もします。
早く行った時でも、教室は整えられていて、「クーラーつけてくださいね」などと気遣いしてくれて。
そんな時にあれこれ話したことも楽しい時間でした。

昨年、教室での打ち上げの時、食事がほぼ終わったころ、するっと入って来られて一緒に飲んだことがありました。
といっても残っていた缶ビール少しと、生徒さんお手製の梅酒だったのですが。
とても美味しそうに飲まれていたこと、夏だったので、その腕の細さに驚いたこと。
「もっと、食べて太らないと!」とみんなで言ったこと。
「あまり、食べたくないんです。父もこんな、細かったですから」
言われたことを思い出します。

なんか、可愛い人でしたね。作品は読ませて頂いて、クラスで採り上げたり、感想を伝えたりしました。
鈴さんともっと、一緒にあれこれ話したかったです。こんなに早くお別れするなんて哀しすぎます。

・・・・・・・・・・・・・
【飯田未和(通教部チューター)より】
つい先日も、お電話いただいたばかりだったので本当に驚きで・・・・・・
まだ実感も湧きませんが、あまりにも早すぎる突然の悲報でとてもショックです。
私がチューターになったときに不安でいっぱいのなか、佐々木さんがクラスにいてくださってどれだけ心強かったか。
事務局に寄ったときもいつも笑顔で接してくださって、もっと色々とお話ししたかったなと悔やまれます。
お子さんのお話も何度か聞いていたので
ご家族の辛さを想像すると本当に心が痛いです。

・・・・・・・・・・・・・・
【峯本雅子(通教部・若林クラス生)より】
佐々木さんの訃報を見て、何かの間違いじゃないのかと何度も目を疑いました。あまりにも突然で、どうしてもまだいらっしゃるような気がしてなりません。

わたしは通教なので、お話する機会は少なかったのですが、前回の在特号の合評で平野チューターのクラスに取り上げていただいたとき、わたしの隣に座って合評に参加してくださいました。
そのときの言葉をまだしっかり覚えています。
そのあとの食事にも誘ってくださり、わたしは遠いので、と一旦お断りしたのですが、「ちょっとだけ」と佐々木さんが言ってくださったので、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
わたしの向かいで谷さんとふざけて笑っておられた佐々木さんの姿がまだ目に焼き付いています。
学校にお花を持って行こうと思いましたが、夏休みなのですね。
ちょっと間が空いてしまうので、メールさせていただきました。
合評のときの言葉は、詳しくは書けませんが、わたしにとっては宝物のような言葉です。
それだけでも佐々木さんはお会い出来てよかったと思える大切な人のひとりでした。
さみしいですが、がんばって書き続けていきます、と手を合わせました。