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≪新入生「ハガキ1枚」課題の提出状況≫・・昼間部27名中22名、夜間部16名中7名、通教部25名中21名●最終締切は6/7(土)。メールでOK◆作品発表・第5弾【昼・宮口歩奈<21歳>/通教・蜜柑<27歳>/夜・梅澤昌子<60歳>】

今春の新入生68名のみなさんに、提出をもとめていた〈課題ハガキ〉は今日現在、50名の提出にとどまっています。特に、夜間部が16名中7名だけと振るいません。できるだけ新入生全員に書いていただきたく、締切日を1週間延ばし6月7日(土)としましたので、まだの方【できればメールで】お願いします。

提出作品は全て、お盆前に発行する予定の「文校ニュース」春期第3号に載せ、文校の多くの皆さんの眼に触れられるようにします。≪6/22通教部スクーリングのとき先行して、通教生の分だけプリント配布します。≫
課題のタイトル6つについては、5/2文校ブログを参照してください。

既着分の中から、とりわけ印象的な作品を紹介する《第5弾》として、宮口歩奈<あゆな>さん(昼間部/21歳)、蜜柑<みかん>さん(通教部/27歳)、梅澤昌子さん(夜間部/60歳)3名の作品を取り上げます。

すでに文校ブログに載せた《第1弾》は通教・清野圭一さんと昼・東加奈子さんの作品(5/2文校ブログ)、《第2弾》は昼・信永真知子さんと通教・荒川光司の作品(5/10文校ブログ)、《第3弾》は昼・南田由芽さんと通教・松﨑貴子さんの作品(5/17文校ブログ)、《第4弾》は通教・栗城陽子さんと昼・渡邉久記さん、昼・命音さんの作品(5/28文校ブログ)でした。   【小原】

        ☆       ☆ 

  私の歩んできた道
    宮口歩奈(昼・小説・佐伯クラス/大阪市)

 着実に一歩一歩人生を歩んでほしいという思いがこめられた私の名前。そんな親のはからいとは裏腹にこれまでの私の人生はずっと宙ぶらりんの足で空回りしているように思う。一番ほこりのかぶった記憶は幼稚園の年中。私の頬には生まれつき血管腫があり赤く腫れている。異質なものに反応するのは人間の性であり、周りは悪気もなく単純な疑問から「その頬どうしたの?」と聞いてきた。でもそれが私は嫌で嫌で仕方なかった。「まるでお前は普通じゃない」と言われている気分だったから。登園時、園の入り口で何度泣いたことか。必死にしがみついていた母の服はいつも涙と鼻水でびしょびしょだった。ごめん。お母さん。そんな私を「なんだコイツ」という目で見つめる園児たち。私からすればなぜ彼らが平然と幼稚園に吸いこまれていくのか分からなかった。登園して最初に外靴から上ばきに履きかえるのだが、外靴を脱いで乗るすのこが私には地獄行きのいかだに見えたのだ。そのくせ、卒園式では担任の先生を前にして「お別れが嫌だ」と泣き喚くものだから手に負えない。その後の学生生活でも自分が社会の異分子であることは幾度となく感じてきたが、精神疾患にかかってからはそれがより顕著になった。一番悲しいことは逆立ちしたって他者と理解し合えないと分かってしまったことだ。ずっと無理解を甘受しなければならないと悟ったことだ。ただ、これまでつけてきたはずの足跡が実は幻想だとしても自分なりの歩みを諦めたくない。止めるわけにはいかないのだ。進め、進め。

        ☆       ☆

  私のふるさと
   蜜柑(通・小説・須藤クラス/沖縄県) 

 ふるさと、というと、遠く離れた土地を指すように思える。そう考えると、私にはふるさとがないような気がする。
 私は、沖縄という場所に生まれた。沖縄は、どこに行くにも飛行機の距離だ。昔から、私はこの場所を出たかった。出たくて出たくて、仕方がなかった。私は周囲に馴染めるような人間ではなかったし、この島は何もないと思っていたから。だから、ここではない何処かに行けば、馴染める場所が見つかるかもしれないと思っていたし、幸せになれると思っていた。
 しかし、生まれて三十年近くが経とうとしている今でも、私はこの島を出ていない。出ていこうと思えば出ていけるのだろう。しかし、私にとって、島の外は「手の届かない場所」なのだ。
 他の県では、二時間も運転をすればすぐ「県外」、ということも珍しくはないだろう。しかし沖縄は、二時間運転をしても、行き着く場所は「県内」である。生まれた場所も、思い出の場所も、ちょっと足を延ばせばすぐに着いてしまう。そんな土地から出ない私にとって、手の届く距離に人生のすべてがあるこの場所は、「ふるさと」と呼ぶには、哀愁が足りない気がする。
 いつか、私がこの島から出ていくか、それとも、何かがあって、この土地が変わり果ててしまった時、初めて「ふるさと」と呼べる場所ができるのかもしれない(後者ではないことを切実に祈る)。

        ☆       ☆

  最近強く思うこと
    梅澤昌子(夜・小説・西井クラス/大阪市) 

「おかんはもう〝関西のオバチャン〟なんやから、出かける時は飴ちゃんくらい持っとかんと」と、高校生だった息子にのど飴の袋を差し出されてから十年あまり。
 わたしの中のオバチャン度は順調に加速している。自分をよく見せたいという思いがどんどん減っている。恥ずかしいと感じることが少なくなり、「しゃあないわ」「どうでもええわ」で済ませることが増えた。小説なんて書いたことがないのに、大阪文学校への参加をほぼ直感で決めたのも、「まあ書けなくても、しゃあないわ」というオバチャン的な諦念があったからにほかならない。
 いざ、小説のクラスに入ってみると、これが実に楽しい。毎回の合評は刺激的で学ぶことばかり。作品のストーリーを考えるのもワクワクする。締切には遅れたものの、短い小説がなんとか完成した。深く読み込んでくれるクラスメートとチューターの講評を聞いた晩は、感激してなかなか寝つけなかった。
 いやはや、関西のオバチャンになって、本当によかった。妙な自意識の鎧が抜け落ちて、とても楽になった。才能があるかないかなんて、どうでもいい。わたしってつまんないヤツやなーという気づきすら、新発見として面白がれる。書いていたらそのうち壁にもぶつかるだろうが、それでもなんとかなるだろうという気がする。
 できなくなったこともあるけど、できるようになったこともある。それは結構楽しくて、幸せなことだと、最近強く思う。