在校生の声

16秋 入学生の想い

昼間部本科 佐々木 鈴 (京都府)

前略 お父さん

前略、お父さん。
 こんなふうに手紙を書くのは初めてですね。仲が悪くて相容れない時期が長く続いたけど、考えてみれば、わたしは大嫌いなはずのお父さんからいろいろなものを受け継いだと思いますよ。映画好きとか強い肝臓とか。小説もその一つです。
 お父さんの蔵書に囲まれ、小さな頃から本を読むことがあたりまえの環境で育ったでしょ。小学校の読書感想文では、お父さんの芥川龍之介全集の中から『歯車』を選びました(旧字体で読むのに苦労したわ)。日本に入ってきたばかりのスティーブン・キングを教えてくれたのも、お父さん。勧められて読んだ『シャイニング』は面白かったね。そうだ、家にまだ大岡昇平全集があるのなら、もらってあげてもいいよ。
 もう一つ、わたしはお父さんのように文章を書くことも好きです。お父さんが大学ノートに書き連ねた日記、ごめんね、読んじゃいました。お母さんとの関係が生々しく綴られていて、実の娘としては複雑だったわ(笑)。戦中に疎開していた台湾について書きたいって言っていましたよね。あれは結局どうなったの?
 わたしは今秋、大阪文学学校に入学しました。お父さんは「小説は学校で習うもんじゃない」って言うだろうけど、わたしは独りだとすぐに飽きて他のことに目が向いちゃいそう。仲間が欲しかったのだと思います。初めての合評では熱く檄を飛ばし合う先輩たちに圧倒されました。かわいらしい佐久間チューターは、授業になるとドSの猛獣使いに見えます。でも、そんな人たちに囲まれていると、不思議と自分でも何か書けそうな気がしてくるのです。九十一歳のおじいちゃんの「まだまだ書きたいこと、書きたい人がいっぱいある」という言葉には、心底感動しました。尊敬できる人たちが文校にはたくさんいます。わたしも自分の中の引き出しが空っぽになるまで、とりあえず書いてみようと思っています。
 フワフワ生きている母親に似ず、二人の子どもたちは今のところ、しっかりした人間に育っていますよ。だんなさんも元気。いい歳になったけど、給料は相変わらず。あのね、お母さんは彼氏と楽しそうに暮らしています。お父さんが死んだときには「お母さんも死ぬー!」って大騒ぎしていたのに、笑っちゃうよね。嫉妬なんかしないで見守ってあげてくださいな。余裕があれば、わたしのこともお願い。
 それじゃ、またね。
〈在籍半年 「文校ニュース」16・12・5〉

16秋 入学生の想い

夜間部本科c 渡邊 伊織 (大阪府)

書き続ける理由

小説を初めて書いたのが中学三年生の時で、僕は今年二十一歳になった。まだ社会に出たことも無い若輩者だけど、今までの人生のおよそ三分の一は小説を書き続けてきたと考えると、それなりに感慨深いものがある。
 幼い頃から本を読むのが好きで、もしかしたらずっと昔から物語を書いてみたいという思いが心のどこかにはあったのかもしれないけれど、小説を書く端緒となった出来事の一つは中学二年生の国語の授業でのことだったと思う。
 国語の先生が芥川龍之介の『羅生門』の続きを自分なりに想像して書いてみるという課題を出し、僕が提出したものが授業内で発表されたのだ。多分その時に先生や友人が褒めてくれたのが嬉しくて、それから拙い小説を書くようになった。我ながら、なかなか単純な理由だと思う。
 もう書くのをやめようかと思ったことは何度もあった。一年以上小説を書かなかった時期もあり、その時にはもう小説を書くことも無いだろうとすら思った。でも、僕は大学で文芸部に所属し、この秋には大阪文学学校に入校した。
 何度もやめようと思いながら、それでも僕が小説を書き続けているのは、自分の書いたものを読んでくれる人との出会いがあったからだと思う。中学校の国語の先生に始まり、これまで何人もの人が僕の小説を真剣に読んでくれた。
 大阪文学学校に入学して、ここでもたくさんの素晴らしい人々と出会えた。改めて、誰かが書いたものを読む楽しさ、誰かに自分の話を読んで貰えることの嬉しさを実感することが出来た。
 僕はもう少しの間、小説を書き続けることが出来そうだ。
〈在籍半年 「文校ニュース」16・12・5〉

16秋 入学生の想い

夜間部本科 若松 陽子 (大阪市)

先達と同志のいる文校

本校に入学して、怒濤の一か月だった。十月九日の入学開講式から、毎週の合評会、文章講座まで、充実していたし楽しかった。本音をいうと、正規課程のあとの懇親会も。
 作品を書く本当の苦しみは、きっとこの後、訪れるのだろうが……。
 今はどんどん筆が進む。本校に来るたびに、モチベーションがあがる。すでに、五作を書き上げ、二作の見直し中である。やっつけ仕事の感もあるが……。(三点リーダーの使い方も本校で教わった。子どもと一緒だ。覚えたてのものを使ってみたくなる)
『無知ゆえの厚顔』、『素人の怖いもの知らず』なのだろう。
 長年、大阪に住んでいるが、歴史ある本校を全く知らなかった。人生の後半に入り、自分の来し方、行く末を見つめ直したく、創作に取り組もうと考えた。
 いかなることでも、『先達はあらまほしき』(徒然草第五十二段 仁和寺にある法師)である。「日本語が書ける、本が読める」、だから小説が書けるというものではない、と思う。いかなることも、基本をおろそかにしてはなしえない、と思う。
 本校を選択したのは、いろいろ調べた結果であるが、正しい選択だった。本校は、先達のみならず、同志をも与えてくれた。
 合評は、とても勉強になる。自分が手を抜いたところ、つかえたところ、不自然なところ、しっかり指摘を受ける。本校で、みっちり、カリキュラムに従って取り組んでいけば、実力が磨かれると信頼している。本校が用意して下さった行事も含め、できる限り、全てに参加するようにしている。
「最後まで書きあげること」、「発表して批評してもらうこと」が大事だと聞いている。これを維持するには、本校の存在はありがたい。何より、とてもアットホームで暖かい!
 本校は駅から近くて便利。そのうえ、本校の横にある空堀商店街は、すてきな所だ。おしゃれなカフェがあるかと思えば、昔ながらのお豆腐屋さんもある。お気に入りの喫茶店でコーヒーを飲みながら、入選したときのコメント「私は、大阪文学学校の出身で――」を、夢想するのも楽しい。
〈在籍半年 「文校ニュース」16・12・5〉

16秋 入学生の想い

通教部本科 宇定(うさだ) 記保(きほ) (鹿児島県)

かぶりつき

先週、東京に行った。そしてストリップを見た。スマホと財布だけを持って宿泊先を出、電車を乗り継いで、ひとりで夜の浅草に行った。受付で女性料金の三五〇〇円を支払った。同性の裸を見るのに、この料金が妥当なのかどうか、判断しかねた。以前から、東京で機会があればストリップがみたいと思っていた。そう思い始めたのがいつからだったかは思い出せない。
 学生の時は京都に住んでいたのだが、ポルノ専門の映画館へ行ったことがある。そのときもひとりで行った。同じゼミの女の子を誘ったら、ゴキブリでも見るかのように嫌な顔をされた。あんた、あほちゃう。そのときの動機は覚えている。ポルノを映画館で観る、という村上春樹の某有名小説の真似をやってみたかったのだ。そのときは、痴漢に遭いそうな怪しさがあって不気味な思いをしたけれど、浅草は、明るかった。ストリップというものは、ただ、女性が脱いでゆくだけのものと思っていたのだが、物語性も少しはあって、衣装も照明も凝ってきれいだった。
 その日初めて他人の性器を見た。茂ったのや、つるりとしたのもあった。
 その場に慣れてくると、客たちに目が行くようになった。女性たちの体を前のめりになって見ている特に熱心な男性がいた。彼はスーツに眼鏡の真面目そうな男性で、瞬きも惜しいように、身じろぎもせずに舞台に見入っていた。
「かぶりつき」とは、ああいう状態をいうのだ、と合点がいった。その日はちょうど金曜日の夜だったし、彼にとってはきっと一週間の仕事終わりのご褒美なのだろう。舞台の女性は若い美人だから、裸に価値があるのかと思ったりもしたけれど、それは違う気がした。
 ひとが、普段は隠している部分を開いて見せるという行為は、それだけで、何かしら他人を揺さぶるように思える。だとすると、私が今まで書いてきた文章は、たぶん、野暮ったい重ね着の衣装を着たままのお遊戯だったのだ、と思い至った。恥ずかしい自分をさらけ出さずに、どうにか取り繕ってうまいことを言おうとしていた。それでは、誰もかぶりついてくれはしない。
 私は脱ぎたい。そしてかぶりつかせたい。文字の連なりのなかで。
〈在籍半年 「文校ニュース」16・12・5〉

課題ハガキ

夜間部本科 池崎 誘心 (大阪府)

最近強く思うこと

文学新人賞に応募しましたが、一次通過も出来ず、作家修行のために文校の門を叩きました。応募した作品をクラスで合評してもらうと、さまざまな問題点が浮き上がり、新人賞一次通過は楽勝などと考えていた自分の甘さを痛感しました。
 また先日、配布された樹林・在校生作品特集号に掲載されていた作品を一つ一つ読んでいくと、そのレベルの高さに圧倒されました。樹林に掲載されることが、文学賞やプロの小説家の道へ進んで行く登竜門だと聞かされて〝やはりな〟と納得しました。
 今の私にとっては、樹林掲載は限り無くそそり建つ壁ですが、出来るかどうか判りませんが、この絶壁をよじ登り、次の高峰を目指して行きたいなと想っております。
 ただし現状は、仕事や家事の合間に、小説を書くために机に向かうが、ペンは走らず、作品提出の日は近づき、焦燥感だけがつのり、情熱の炎を絶やさないことで精一杯というのが実情です。
 文校生活も、いつまで続くか判りませんが〝書く〟ということは、いつまでも続けて行きたいと想う今日この頃です。
〈在籍半年 「文校ニュース」16・12・26〉

スクーリング体験記

通教部本科 うめの しとみ (山口県)

文学の香気

大阪文学学校から「樹林」一月号が送られてきた。自分の作品を活字で見た瞬間、スクーリングに行くことを決めた。
 本の中で私の作品は、見て、見て、読んで、読んで、とちょっと恥ずかしがりながらも得意そうであった。冨上チューターのご批評を頷きながら何度も読んだ。私が全く気付かなかった箇所のご指摘もあり、ああ、そういう目線もあるのだ、と目が開いた思いもした。同じクラスの方々五人の掲載作品にもいろんな感想を持ちました。全員同じ女性のせいか、読むうちにその作品に心が寄り添っていく。是非、スクーリングに出席してチューターはもとより皆さんに会いたい。
 当日は、早朝五時に自転車で家を出て、最寄りの駅まで行き、ローカル線を乗り継いで十時頃に新大阪駅に着いた。まずはこの機会に見たいと思っていた国立国際美術館の「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」を駆け足で回り、地下鉄路線図を頼りに谷町を目指した。学校の看板を確かめて、近くの喫茶店でコーヒーを飲んで心を落ち着かせた。もう一度「樹林」を読んで、さあ、行くぞ。
 学校の教室は満席であった。こんなにも沢山の方が書きたいという意志を持ち、熱中しているのか! 隅の方に席を見つけて坐った。
 細見校長の講話は、耳を澄ませて聴いた。世界情勢や歴史に疎い私は、もっと知らねばならない。そちらにも目を向けねばいけない。
 冨上クラスの会は別の建物の三階の部屋で参加者は四人。チョコレートなど貰ってすぐに打ち解けた。作品と顔とを見比べながらチューターのご指導の下、感想を述べあった。(樹林に紹介されていた冨上チューターの写真を見て、気難しい方かと思っていたが、なんと穏やかな優しい方であった)
 もうどのようなことを言われ、言ったか、覚えていない。興奮していたのだ。メモを見返しても要領を得ない。皆さんも私も言いたいことはあるのだが、それを手繰り寄せ言葉にしていくのはまどろこしくて難しい。しかし、こうやって近くに集うと、顔の表情、手の具合、声等で考えは伝わる。冨上チューターのおっしゃったことも私の頭では全部理解できているわけではないが、詩というもの、文学というものの香気には触れた。今もその中に包まれている。今度はそれを思い出しながら書こう。
 学校に戻ると、もう宴は始まっていた。冨上クラスが最後だった。我がクラスが一番熱中していたのだ。
 翌日、せっかくの大阪なのだし、昨日の白熱冨上クラスの頭を冷ますためにもと思い〝なんば花月〟で笑って帰った。
〈在籍半年 「文校ニュース」16・12・26〉

特別講座に参加して

昼間部本科 乗鞍 恒成 (京都府)

藤岡陽子さんと二次会で間近に

身近にいないタイプの人に対して、リアリティを感じるのは難しい。これまでの私にとって接点がなかった小説家とは、まさに窺いしれぬ謎めいた存在だった。
 大阪文学学校に入校してから二か月近くが経ち、藤岡陽子氏の特別講座を拝聴する機会を得た。小説家に至るまでの、そして小説家としての心構えについて余すことなくお話しいただき、新人現役生にとって力強いエールをいただいた。
 特に、文学学校在籍当時から文学賞に応募を繰り返していたことと、取材や編集者からの修正要求をいとわず、あらゆる方々との巡り合わせを重視していることについて感銘を受けた。
 小説家をなりわいとして続けるには、孤独な執筆作業に耐える精神力の強さだけでなく、高い行動力や社交性も求められるのに違いない。『手のひらの音符』を読み、藤岡氏は流麗な文を編み出す才能に長けた方であることは承知していたが、それだけではなく、豊かな人間性をお持ちの颯爽とした方であることが推察された。
 推察が確信に変わったのは、二次会の居酒屋においてであった。宴席で藤岡氏に、
「プロットはどのようにして書かれるのですか?」
 などと、素人丸出しの質問をしたが、プロットは一旦作っても構成し直すことがある等、具体的かつ丁寧にお答えいただいた。綿密な設計図を引けたからといって、それに満足し、縛られてはいけないということだろうか。もっと良い作品、もっと良い作品と高みを目指す藤岡氏の誠実な姿勢に胸打たれ、思わず居ずまいを正した。
 これらのお話を、――プロの作家のことだから、自分には関係ない――と聞き流しては、実にもったいない。作品の質を上げるために手を尽くす姿勢は我々アマチュアこそが見習うべきであろう。
〈在籍半年 「文校ニュース」16・12・26〉

学生委員会の活動

16年度秋期学生委員長 新谷 翔 (夜間部・研究科)

大阪文学学校には、学生が運営する「学生委員会」があります。
学生委員会は、在特部、イベント部、新聞部の3つで成り立っています。
○在特部…学生が書いて学生が審査した作品集「在校生作品特集号」を作成します。
○イベント部…文学散歩、夏期合宿、文学集会(文化祭)等のイベントを企画します。
○新聞部…学生新聞「コスモス」を作成します。

学校における「クラブ活動」のような場です。
各部の活動を通して、他クラスの学生と交流することができます。
この学校に長く在籍する経験豊富な先輩から、いろんな情報を得てください。

――学生委員会メンバーに聞いた「学生委員会に入って良かったこと」――
世代間交流ができた/一番よかったことは異業種交流でした/色んな人のエクセル活用法を学べた/普通のクラスよりもはるかに「伸ばしあう」経験ができた/彼女ができた/読書会や同人誌へのお誘いも委員会メンバーからだった/個人的に相談に乗ってもらった/顔、名前を覚えてもらえた/チューターや各年代の文校情報を得た/交流が深まり、執筆活動の刺激になった/飲み会が良かった/チューターよりも学生委員会の先輩から教わったことの方が多かった/仕事の役割分担や後継者の育成など、組織維持に必要な事を学べた /複雑な文校のシステムは、委員会の先輩方が詳しく教えてくれました/編集作業をして、どのように書けば読みやすいかを意識するようになった/現役の作家さんと知り合いになれた/自分の作品を読んでもらえる機会が増えた/社会人経験が無いに等しかったけど、イベント部キャップをして自信がついたし、就活にも役立った

隔週の月曜日の夜に、文学学校の教室で開催します。
月曜日の夜に都合が付く人は、ぜひご参加ください。

うちのクラスは
こんなんやで

昼間部本科/小説(佐久間慶子クラス)

金曜午後の教室に集ったのはチューター含め十六名の男女。秋の入学後、最初のゼミは自己紹介から始まった。
 若くないわたしが三番目に若いとはああああああ!
「机の上の作品は来週合評します、読んできてください」
 おじ様たちの書いた作品、す、すごいボリュームだあ!
 翌週――人生の先輩方に囲まれ、初合評をどんなもんかいなと軽いノリで迎えたわたしは、衝撃を受ける。
「ハッキリ言います、“作者の意図”は捨ててください!」
 チューターつええええ、ガチな情熱を感じるよおおお!
 だが、猛攻を受けたおじ様はまったくひるむことなく、最後のターンでは次回作への意欲さえ見せる。激論会の幕が下りたのは、試合開始から三時間半を過ぎた頃であった。……もうおなかいっぱいです。
 そして、合評や宿題、喫茶店でのおしゃべり、居酒屋での飲み会が繰り返され、五カ月ほど経過した今――
「Kさん、タバコ止められました?」
「一日五本にしましたよ、えへへ」
「Sさんはどんな絵がお好きなんです?」
「フランシス・ベーコンとかですねえ」
「えー、わたし、ああいうグロテスクなの苦手ですう」
「Iさん、今週はお休みだね。石垣島、うらやましいなあ」
「文学界、読んだ? 賞取ったの、全然面白くないよ」
「明日は雪みたいなんで、ハイキングは来週にしましょう」
 お互いに敬意を払い、作品に対しては真摯に向き合う。自分の作品にとって最初の読者が最良の仲間たちであることの幸せを、毎週、文校で感じております。
(多)老(少)若男女入り乱れる超エネルギッシュな我が佐久間チームは、細くて長い「小説道」を仲良く楽しく志高く、共に歩いていくのでありました。
(佐々木鈴)

うちのクラスは
こんなんやで

夜間部本科/小説(小原政幸クラス)

毎週のクラスセッションは、その前の週に提出された小説作品に対して、クラスメイトと小原チューターが意見や評価を徹底的に述べるという形式になります。自分の作品にしろ、クラスメイトの作品に対して行う評価にしろ、小原クラスで行われることは、私には心を賭けた丁半博打のように感じられます。
 ただ、博打といっても、負けることはありません。賭けたら賭けた分だけ、儲かります。その都度その都度ふんどし一丁になって、身ぐるみ全部、つまり心の裏も表も包み隠さず、賭けの対象にしても構わないのです。なぜ博打なのか、なぜ勝負なのかと言いますと、どんな心でその小説を書いたのか、どれくらいの覚悟をもって取り組んだのかなどということが、まるで心の中を透視されているんじゃないかというくらいクラス中に筒抜けになってしまうからです。お茶を濁しても、バレてしまうのです。
 それほどクラスの仲間は、丹念に読み、真剣に論評してくれます。だから、論評される側もする側も、常に崖っぷちの勝負、丁半博打のような雰囲気になるのです。もちろん勝負するか逃げるかは、個人の自由ですが。私は、そんなところに自分のすべてをさらけ出すなどというバカなことはせず、体裁のいいことだけを賭け金として張りますから、今のところ私の小説はそれなりのモノのようです。かたや、全人格を賭けてクラスの課題に取り組んでいるような学生もいて、そんな人たちの小説はそれは面白いのです。
 小原チューターからは、提出作品をより良いものにするためにいくつも細かい指摘がなされますので、趣味で書く人にとっても、プロの小説家を目指す人にとっても、非常に役立つことでしょう。
(南成彦)