在校生の声

17秋 入学生の想い

昼間部本科  長谷和浩 (大阪府豊中市)

小説を書く理由

私が小説を書く理由は、「たくさんの人を感動させる作品を創造したい」からです。喜怒哀楽のいずれでも構いません。人の気持ちを揺さぶる何かを、自分で創り出してみたいのです。
 そういう意味では、私に絵心があれば画家や漫画家を目指していたかもしれません。作曲の才能があれば作曲家に、歌唱力に恵まれていれば歌手に、空間を把握する能力に長けていれば彫刻家を志していたかもしれません。
「ならばお前は、文才があるから小説を選んだのか」と問われれば、残念ながら答えはノーです。
 二年ほど前、本屋で村上春樹氏の『ねじまき鳥クロニクル』を手にしました。氏の作品は私にはたぶん難解だろうと決めつけ、読んだことはありませんでした。読んでみると予想に違わず世間で評価されている作品が私にはすとんとこない。主人公を含め登場人物がとる行動に違和感を覚え、主人公が出会う人物のほとんどが初対面でないことに疑問を抱きながら最後まで読みました。
 友人にその話をしたら、「お前が読んだのは第二部やな」と指摘を受けました。『ねじまき鳥クロニクル』が三部構成とは知らず、本屋にあった第二部を購入し、それだけを読んでいたのです。
 村上春樹氏の権威と実績に圧倒され、違和感を覚えながらも、きっと自分が理解できていないだけだと決めつけていたのです。友人は、「普通おかしいと思うやろ。お前、それでよう小説なんか書いてるな」と失笑していました。
 思い返せば小学校、中学校とも主要科目で国語の成績が最も悪く、高校では赤点ぎりぎりの低空飛行。大学は国語と英語が苦手で理系を選択。趣味の読書でも作者の意図を読み間違え、とんちんかんな感想をもらしたり、一度読んだ本を一年後に購入しラスト一行で再読だと気づいたりと、読み込みも浅く読解力もありません。
 つまりわたしは、「たくさんの人を感動させる作品を創造したい」という思いを遂げる才能を、何一つ持ち合わせていないのです。
 才能がなければ好きか嫌いかで選ぼう。私は結果的に小説を選択しました。
 才能のない努力はつらいものです。日々、文章力のなさに嘆き、ボキャブラリーの乏しさに天を仰ぎながらも小説を書いています。次こそはと願いポストに投函した作品たちは紙屑となり、思いついたアイデアの陳腐さに辟易しながらもパソコンを叩いています。報われない孤独な作業に、徐々にやる気は削がれ、進む道を見失うことも多々あります。
 ここで改めてなぜ小説を書くのかと考えたとき、「あぁ、なんだ。私は小説が書きたいから書いているんだな」と気づきました。
 入学に当たっての抱負には似つかわしくない、なんとも頼りない話をつらつら書きましたが、ご容赦いただければと思います。
 大阪文学学校に入学することで、チューターや皆さまの批評を道しるべとさせていただき、好きな小説を書き続けていきたいと考えています。
〈在籍半年 「文校ニュース」17・12・5〉

17秋 入学生の想い

通教部本科  大木夏子 (東京都杉並区)

創作と研究、二足の草鞋

まだ小学校にも入学していなかった幼い頃、大人に読み聞かせてもらっていた物語に興奮し、自分も書きたい、という思いを抑えきれなくなった。家族にせがんで平仮名の書き方を人よりも早く教わり、習いたての下手な文字で空想の産物を書き散らした日のことを鮮明に覚えている。
 あの頃から、「物語を書きたい」という気持ちを変わらず抱き続け現在に至るのだが、それらしいものは未だ完成させられていない。大学在学中に学生向けの文学コンクールに何度か応募したが、ほとんど落選した。むしゃくしゃして、大好きな作家の才能に嫉妬し、その人の本を感情に任せて捨ててしまったことは今でも悔やんでいる。結局自分には才能がない、と諦め大学院に進学し論文を作成することで、とりあえず書きたいという欲求を満たすことにした。しかしその決意も長くは続かなかった。かつてその作品を捨てた作家のインタビューを目にしたのだが、その人も生まれつき才能があったわけではなく、師匠を見つけ鍛えてもらい、徐々に書けるようになったということを知ったのである。才能ではなく何よりも、書きたい、という思いを持続させながら努力を続けることが大切なのだ。もちろんプロデビューできるに越したことはないが、今ではとにかく、どうしても伝えたいことをきちんと書けるようになりたい、という純粋な気持ちを大切に、気負わず書き続けたいと思っている。そしてそのときが来たら、プロの文学賞に狙いを定めたい。先日六〇代の主婦が新人賞を獲ったニュースに触れ、焦らず進めていけばよいと考えられるようになり、気持ちも随分楽になった。
 とにかく、まずは短編や掌編を書く訓練を積み、大阪文学学校の人々にケチョンケチョンに批判していただきたいと思っている。これまで得られなかった、自分の中に無意識に存在している思い込みを揺さぶり、ひっくり返し、自惚れを叩きのめしてもらえる機会が欲しかった。大阪文学学校には、創作系の大学院などよりも、その機会が豊富にあると判断し門を叩いた次第である。ちなみに最近、根っからの研究者肌であることに気付き、結局大学院にも進学することにした。創作と研究の二足の草鞋を履くことになるので、勝手ながら細見校長の生き方を参考にさせていただくつもりである。研究や発表、学費ねん出のための仕事もあり多忙であるのと、遠方であるが故、頻繁にスクーリングへ顔出しできないのが何よりも残念なのだが、ぜひ貯金を殖やして専科、研究科へと進学できれば、何度かは直接合評の渦中へ身を投じる機会もあろうと信じている。とにかく、全ては自分の努力次第である。遠方というハンデを抱える以上、質問対話用紙や読書ノートも大いに活用して、有益な批判を一つでも多く浴びたい。その批判を種として、大樹を育てることをライフワークに据えるつもりである。
〈在籍半年 「文校ニュース」17・12・5〉

課題ハガキ

昼間部本科  坂本幸子 (大阪府富田林市)

私のふるさと

福島県にいる母の死をモチーフに小説を書いた。でも、最後の推敲で、福島県から隣の新潟県に変えた。発生した難題を解消するために、力量がない故に最も安易な手段を使ったのだ。
 福島で生活をする人々を描くとき、どうしても避けられないのは、原発のことだ。その小説では、書きたいことの中心でもなく筋が複雑になるので、触れずに書いた。でも、読んだ人は思うだろう。「原発はどうだったの?」と。私のふるさとは、切っても切り離せないとんでもないものを背負わされてしまった。
 高校生の頃の私には、取り上げることが何もないつまらないふるさと、としか思えなかった。大学、就職と東京で暮らし、結婚して大阪へ。自己紹介の度、ふるさとの特色をどう言ったらいいのか困った。今は、福島と言えば、知らない人はいない。
 中学一年生の時、学校行事で大熊町の原子力発電所に、バスを何台も連ねて見学に行った。何を見てどんな話を聞いたのか全く覚えていない。ただ、名称が刻まれた石碑の横で撮った、クラスの集合写真が残っているだけだ。県民が誇りとする陰で、福島全土を右往左往させるあんな爆弾を抱えていたとは、見抜けるはずもなかった。
〈在籍半年 「文校ニュース」17・12・27〉

課題ハガキ

通教部本科  瀧本めぐみ (福井県小浜市)

私の歩んできた道

子供の頃は両親や兄弟たちに守られて、何かにつけて依頼心の強い末っ子だったと思います。のびのびと大きく育ててもらえたと感謝しています。
 ところが、結婚を境に環境が百八十度変わりました。夫が結婚後すぐに独立して商売を始めたのです。サラリーマン家庭に育った身にとっては、何も分からない事ばかりでした。でも、持ち前の負けず嫌いの性格が災いして(幸いして?)頑張る破目になりました。有限会社とは名ばかりで、何もかもの部署を引き受けざるを得ないのです。手仕事は正確さとスピードでパートさんの三倍は出来たと思います。帳面付けも覚えました。運転手にもなりました。出入りする人には気持ちよく応対し、たまにはお得意様を接待し、残業は日常茶飯事でしたが、音を上げて泣くと怒られるのです。まるで山椒大夫だと喚きましたが、夫は聞く耳を持ちません。夕方、私がヘトヘトになっているのを尻目に、夫は趣味だのお付き合いだのと言って出かけます。いま思い出しても腹立たしいこと……商売はその時代の背景も良くて順調を極めました。そんなこんなで、泣いたり怒ったりしながら、まぁ喜ばしい事もたまにはありましたが、四十数年を経て、私は何だかずいぶん強い女に変貌しているではないですか。私の歩んできた道のおおかたは、夫の商売への協力でした。
 六十九歳を超えました。もうそこに七十歳の大台が見えています。遅いスタートですが、いまこそ自分の趣味をゆっくり出来る時がきたのです。
〈在籍半年 「文校ニュース」17・12・27〉

課題ハガキ

夜間部本科  谷 実紀 (奈良県北葛城郡)

私だけのもの

先日、神戸マラソンに参加しました。
 フルマラソンに参加したのは初めてでしたが、何とか制限時間内に完走することが出来ました。
 5月頃から徐々に練習を始めましたが、最初は直ぐに息があがり長い距離も走れませんでした。8月に軽めの骨折をして練習が出来なかったり、辛くてサボったこともありました。それでも10月は月間走行合計100㎞の目標を達成し、辞めずに日々練習を重ねました。
 当日のレース中は30㎞を過ぎた頃から、足が痛くて痛くて歩きたい衝動に駆られたり、足を止めようかという気持ちとの闘いの中、「何でマラソンなんか、走るって言ったんだろう」と、自問自答しながら走りました。
「もうだめだ!」を何度も繰り返しながら、やっとの思いでゴールにたどり着くことが出来、今までの辛さが一瞬にして感動に変わりました。
 走った後を振り返ると、そこには自分が走った足跡が残っています。タイムは遅くても、完走することが出来たという事実は、私の誇りです。42・195㎞の距離は果てしなく遠く感じましたが、今ではさほど感じません。
 人生は、楽しい時もあれば、苦しい時もあります。フルマラソンを完走することによって、この先に待ち構えている辛いことも、漠然とですが、乗り越えられるような自信を得ることが出来ました。
 ゴールに待っていたのは、感謝の気持ちと、未来への希望、未知なる理想の自分へのわくわく感。かけがえのない経験をすることが出来ました。
〈在籍半年 「文校ニュース」17・12・27〉

スクーリング体験記

通教部本科  上田以津子 (東京都江東区)

じかに声を聞く

今から10年前、1日体験に参加しているから……とギリギリ間に合う時間で谷町六丁目に下車したものの、出口をみつけるのに苦労し、ようやく地上に出たとたんまるで風景が変化していて、方向音痴の私はすっかり混乱してしまった。樹林の地図のページを開いていたらすぐに後ろから「文学学校ですか?」と声をかけられ、その男性についてやっと会場にたどりつくことが出来た。良かった、樹林を開いていて。
 15分遅刻して会場の最後列のいすに座りあたりを見回した。一瞬、気持ちのいい緊張を感じた。細見校長のお話を最初から聞けず残念だったが、メモをとりつつ聞いた。後日、家に帰ってメモ帳を開いたらあちこちに文がとんで脈絡がない。以前、ある講演会でメモをとる人に向かって、「やめなさい、むだなこと、背中かくのと同じやから」という講師の言葉を思い出した。しかし! 二重丸をつけた文にはこう書いてあった。描写を書く。イメージを湧かす。それから、自分だから書けること。自分しか書けないことを書く。
 もう私にはこれで充分だった。
 涼風たってきた東京とちがい大阪は暑かった。暑い中を初対面のチューターとメンバーの皆さんと大阪社会福祉指導センターまで歩く。いよいよ合評会である。
 ただ読むのとは違う。書いた本人を前にして感想を述べるのだ。入学間もない私に何が言えるだろう。あわてて作品に目を通した。鉛筆で気になった箇所をマークしていく。
 見栄をはったり、難しいことをいわなくてもいいんだよ、君は初心者なのだから思いを素直に述べればいい。笑われたっていいじゃないか。と心の中の私が私に言い聞かせる。あわせてメンバーの方々の感想をメモりながら聞く。と、ついに私の番がきた! 何と言われるのか。閻魔さまの前に立たされた気持ちだ。作中のじんじろげという歌についていろいろなご意見を聞かせて頂いた。
 残念なことに途中で時間がきてしまい充分皆様の感想をきくことは出来なかったが、合評会は素晴らしい体験だった。
 以前、初めて樹林に載った作品の寸評を読んだ時、ああ、私の文はなってないのだ。駄目なんだ。やっつけ仕事のように書いた文でしかないのだ。と落ち込んだ。
 ところが、スクーリングで寸評して下さった担当チューターの方のお話をいろいろ聞くうちに私は、具体的に指摘されてわかりやすく注意されることはとてもありがたいことなのだと納得した。やはりじかに会って声を聞き、話をすることが出来るスクーリングは、得るものが多いなあと思い、濃厚な時間に満足し、感動もして、会場をあとにした。
〈在籍一年 「文校ニュース」17・10・2〉

特別講座に参加して

昼間部本科  橋本友希 (和歌山市)

価値観の変化、切り口、原稿量産、第一声

木下昌輝さんの講演を聞いたあと、とても書く気力が沸いた。それは、クラスの他の皆も同じようだった。まず、演題が「作家になるための努力の仕方」とあり、ずばり私たちの一番知りたい内容で、知りたいこと一直線、無駄がなかった。ぎっしりためになることを話していただいて、講演が終わったころには、頭のなかは「五百枚五百枚五百枚」と、文校時代の木下さんのように、原稿用紙を量産してやろうという野望に燃えた。燃えることが、できた。
 木下昌輝さんは、文校の卒業生でもあり、身近な存在に感じられた。講演をきいて、歴史小説であっても小説の書き方は自由なんだな、と思った。ただし、漫然とやっていても駄目で、作家になろうと目的を決めれば、タイムリミットを切るなど時間の使い方、書く題材の決め方など、自分の時間とエネルギーをどう使うかということを常に考えて努力する必要があると感じた。
 特に心に残ったのは、次の四つのことである。
 一つ目は、プロとアマの作品の違いとして、価値観の変化をきちんと描ききれているかということ。小説とは、価値観の変化である、らしい。
 ①A→B(例:金→愛)
 ②B→A→Bダッシュ(例:愛→金→愛 Bよりも更に価値観が強くなっている)
 こういった点を描けているか、自分の作品をチェックすることは大切。プロはここがボヤけていないらしい。
 二つ目は、三十五、六歳のころ、小説を書こうと思ったら、書けなかったらしい。木下さんは書こうとしてもがき、題材、切り口を吟味することを突破口にして、書けるに至った。その際、重要なのは、司馬遼太郎のようなものすごい人と、真っ向勝負はしないということ。勝てない勝負はせず、隙間を探したそうである。自分にできそうな題材を見つけて、面白い切り口を探し、徹底的に磨く。
 三つ目は、原稿用紙を量産していた時代、一年に千五百枚近く書いたこともあったということ。作品の質は、量を通過して初めて上がるのだな、というのを感じた。このエネルギーに脱帽した。
 四つ目は、登場人物の履歴書は書かないが、その代わりに、登場人物の第一声に気をつけている、ということ。当たり前のことばを話させないそうである。なるほど、第一声を履歴書代わり、というレベルまで意識をしたことはなかった。たしかに、第一声にその人らしさが表れていたら、登場人物のカラーがはっきりと打ち出されて読者の印象に残るし、作品としても明瞭さが増すだろうと、納得した。
 この特別講座は、彼の創作スタイルのように無駄がなくて、短時間に濃密に大切なことが詰め込まれた講座だった。講座のあとの飲み会にも参加したが、気さくに皆と楽しそうにお話をされていた。私はたまたま席の都合上、話をする機会はなかったが、また機会があればうれしいな、と思う。
〈在籍一年半 「文校ニュース」17・12・27〉

学生委員会の活動

17年度秋期学生委員長 窪野 元 (夜間部・専科)

「類は友を呼ぶ」という言葉がある。私はこの言葉が好きだ。
 ある人が言った。「この学校に入るのは一万人に一人だ」と。それぐらいここに入る人間は少ない。が、ここには文学を志す類の人間が集まってきている。職業も、お好み焼き屋から弁護士と実に様々で、どの人をとっても個性的でユニークな人ばかりだ。あなたにしたって例外ではない、と私は踏んでいる。ここはまさに「類は友を呼ぶ」場所なのだ。
 そんな個性的な人間が集まるこの学校で、私は学生委員会の委員長をやっている。我々委員会は日々、この学校をより面白い場所にできるよう頭をひねっている。あなたが学校に慣れ、一息ついたとき、もし「類は友を呼ぶ」という言葉を思い出したなら、是非一度委員会を覗いてみてほしい。

【各部の活動内容】
 一 在特部  文校発行の月刊誌『樹林』の六月、十一月号は「在校生作品特集号」です。在特部は、作品の募集、選考、編集、発行を経て作品の合評会実施まで全てを担当します。
 二 イベント部  春、秋の新入生歓迎文学散歩(軽いウォーキング)、七月の夏季合宿(一晩どまり)、十二月の文学集会(文化祭のようなもの)などを企画、実行します。
 三 学生新聞部  学生新聞『コスモス』を発行しています。在校生のコラム、詩、小説やイベント情報・広告など独自の紙面作りをしています。

隔週の月曜日の夜に、文学学校の教室で開催します。
月曜日の夜に都合が付く人は、ぜひご参加ください。

うちのクラスは
こんなんやで

昼間部本科/小説(夏当紀子クラス)

お茶会でもあるまいし、和気藹々では困る。素材がいい、見事な包丁さばき、何とも良い味などと、振る舞われた手料理を褒めそやすだけの合評会ならお断りだ。珈琲でも麦酒でも、苦くなければ旨くない。少し意地の悪い舌で辛口の批評を頂戴した方が、気分もすっきりするし、今後の成長のためになる。かと言って、余りに手厳しいのも、ただ冷たいだけなのも、次に料理を出す気が失せる。やはり、少なくとも、作り手の意図と心ぐらいは汲んでほしい。
 そんなやや甘えた半信半疑の気持ちで、夏当チューター二十九年度後半クラスの年内最後の組会を見学した。会が終わって風花の谷町筋に出たときには入学を決めていた。「合評は恥をかくところ」――先生の言葉が私の背中を大きく押した。そうだ、自分は恥をかくことを恐れていたのだ、それを乗り越えなければ小説は書けないのだと思った。
 入学した途端、さっそく恥をかく機会が与えられた。途中入会だったため、都合が悪くなった発表者のピンチヒッターに選ばれたのだ。年末から書き始めたが、一月四日に急性腸炎で入院する羽目になった。しかし穴をあけるわけにはいかない。見学者の私を受け入れてくれたクラスの皆の顔が浮かぶ。書かないわけにはいかなかった。左腕に点滴の針が刺さったままキーボードを叩き続けた。点滴が落ちるのが遅いと看護師さんに叱られながら。
 初めての組会が自分の作品の合評会となった。思った通り、いや正直に言おう、最初にしてはよくできたと内心思っていたにも拘らず、合評は散々だった。読者が泣く前に作者が泣いている。痛いところを指摘された。しかしその通りだった。一方で、文体が好きだと言ってくれた仲間がいた。それは嬉しかった。この素晴らしい仲間と指導者がいるから、初めて小説が書けた。この学校ならもっともっと書けそうだ、私は入学して本当に良かったと思った。
(清水幹夫)

うちのクラスは
こんなんやで

夜間部本科/小説(小原政幸クラス)

金曜夜七時、定刻を三十分過ぎた。谷町筋に面した古いビルの三階の教室で、ロマンスグレーの男が心配そうな面持ちで座っている。出入り口のドアから一番奥、全員が見通せる場所が男の定位置だ。
「Mさん、どうしたんかな。今日の合評、忘れてるんかいな」
〈小原さん〉と皆から呼ばれている男が、この夜に集まった八人全員に聞こえる大きめの声で口を開いた。眼鏡の奥の瞳は優しい。
「真面目なMさんが忘れるはずありませんで」
〈インテリゲンチャー〉と親しまれているSが首を傾げた。
「何かあったのかしら。事故とか……」
 クラスのマドンナ、H子がドアの方に視線を向けた。
「大丈夫、大丈夫。来はるまで、追い出しコンパの場所でも決めときましょ」
〈インテリげんちゃん〉が愛称のミュージシャンGが、重苦しくなりそうな雰囲気をかき消すように明るく振る舞った。
 その時だった。パトカーのサイレンのけたたましい音が教室に飛び込んできた。続いて階段を駆け上がる足音が近づいてきた。
 警官か。事件か。事故か。
 ドアが開いた。九人の視線が一斉に向けられた。
「すんませーん。居眠りして、地下鉄行き過ぎてしもうて」
 Mがいつものように満面の笑顔で入ってきた。
 この日の合評も盛り上がった。神戸から通うMの作品は女子高生が主人公の掌編。「Mさん、おじさんなのに、女子の気持ちわかってるわ」と東京から越してきたO子。「えーっと。ドラマ性がちょっと」と二十歳後半のIが意見を述べる。「僕の勤めている学校にもこんな生徒います」と高校教師のO田が言えば「この描写がいいですね」と大学職員のK。「結論がわかりにくい」とは医師のAの評だった。出席者の合評が終わると〈小原さん〉が、視点や時制の問題を丁寧に説明した。合評はその後、空堀商店街の韓国料理屋に場所を移して、夜中まで続いた。
(真田南夫)