在校生の声
課題ハガキ
文学学校入学にあたって
夜間部本科 五十嵐ゆうき(大阪市)
自分の好きなこと
私は小さい頃から、ものを書くのが好きだった。こんなことを自分から言ってはおこがましいが、ものを書くのが得意だったと思う。
田舎の小さな学校だったが、小学校の頃クラスで作文の授業があると、私の作文はたいていみんなの前で、代表として読まれていた。クラスには私より勉強のできる子がたくさんいたが、作文に関しては、私が一番だった。
それから、皆がそうであるように、成長し、進学し、就職しと、いくつもの時間が過ぎ、私は小さい頃の記憶なんてすっかり忘れてしまっていた。
私は手に職をということで、念願の看護師になった。病棟勤務を経験し、巡り巡って管理や調整に携わる仕事に就いたとき、世界中で新型コロナが流行した。
毎晩深夜の帰宅が続いた。落ち込んだ翌日も気を奮って出勤し、患者対応、機関対応と、必死に働いたとは思うが、だからといってバリバリのリーダーシップも発揮できず、自分の存在ってなんだろうと悩むようになったとき、ふと、書いていた頃の自分を思い出した。
小学生の頃、感じたことをただ無邪気に書いていた自分。授業中にみんなの前で作文が発表されると、それが少し恥ずかしくも、ほほーっと嬉しくなった自分。
その時の気持ちを思い出した時、私の心は勇気を出したのだと思う。
文章が上手いか下手かは別として、私は書くのが好きだ。
自分の生活に、自分の好きなことを取り戻したい。そんな気持ちで、文学学校に入学した。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・8・8〉
23春 入学生の想い
昼間部本科 越村 舜(京都府/20歳)
特別な場所
日々の生活が充実していなかったわけではありません。朝目覚め、大学へ足を運び、ある晩は騒ぎ、ある晩は働き、ある晩は課題に取り組み、またある晩は何も考えずに天井のしみを見つめる、といった生活は、私にとって決して満足できない毎日ではなかったはずです。
鴨川で迎える朝の中に、あるいは、終電を逃して歩く長い帰路の中に自分の若さを実感することは、私の人生において、一瞬間の抵抗と解放のようなもので、それは同時に、今を生きること、なににも代えられない今を、少年のように生き抜くことへの執着を生み出しました。そんな生活が、充実していなかったわけではないのです。
しかし、そういったとき、私の内で、なにかが芽生えることがありました。ほんの小さいなにかです。それは非常に繊細であり微小なもので、しかし、一度顔を出すと、私の感情に大きな影響を与えます。それがなにであるのか、私にはわかりません。感じ取ることで精いっぱいなのです。私がこの大阪文学学校の門を叩いたのは、そのなにかを探り、小説というかたちで表現するためです。
しかし、それぞれの合評の日程が決まり、いざ執筆にとりかかってみると、私の頭の中は、氷のように固くなってしまいました。溢れ出る感情や繊細な感覚は、それらを表現しようとしたとたんに、その生きた力強さを失って、私の中から、平凡な黒い文字の羅列として排泄されていってしまうのです。自分の世界を、自らの手で枯らしていく感覚は、決して気持ちのいいものではありませんでした。書かない方が自分のためだと思うことも、何度もありました。
それでも私は書き上げることができました。クラスメイトの作品のおかげです。クラスメイトの生んだ小説を一本読むたびに、私の氷の頭に、新しい春風が吹きました。景色や、香りや、音が、深く体の中に吸収され、書かずにはいられなくなるのです。合評の日が楽しみになり、時間を忘れ、空想に耽ります。そしてしばらくの没頭を脱した時に、また、自分の中に、言葉にできないなにかが芽生えていることに気がつくのです。
毎週読む作品が、どれほどの傑作なのか、あるいはどれほどの駄作なのか、私には見当もつきません。どの作品にも良い点と悪い点があり、合評を終えると、いつも私は、読み込んでいたはずの小説のもつ、全く違ういくつもの表情を持ち帰ることになります。小説の重厚さ、文学の奥深さを見せつけられ、帰途の景色すらもが、無限の可能性を孕む色鮮やかな世界のように感じられました。
この学校は、不思議な場所です。私の中にあるはずのなにかが、ここでは、ずっと宙に渦巻いています。クラスメイトや大西チューターと顔を合わせるのは、週に一度、ほとんど百二十分ほどの短い間です。それでも、他の場所では絶対に触れられない、心の中の裸の部分で、時に抱擁的に、時に暴力的に、その仲間たちと語らうことができるのが、私には楽しくて仕方がありません。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・6・17〉
23春 入学生の想い
昼間部本科 平田(大阪府)
オンラインの世界から飛び出して
二次創作という活動を、皆様はご存知でしょうか。漫画やアニメなどのキャラクターや世界観を借りてきて、その土台の上で絵や漫画、小説を創作する活動のことです。私は数年ほど前から二次創作で小説を書き始め、その世界にどっぷりとはまってきました。そのため、登場人物や世界観を一から作り上げて書いた経験はほとんどありません。
こう書くと、二次創作とは人の褌で相撲を取っているものだ、という印象を持たれた方もいらっしゃるかもしれません。確かにそのような面もあるのですが、好きなキャラクターを自分の思い通りに動かす、つまり書くことは、何事にも代えがたい快感がありました。
二次創作をネット上に公開すると、感想をいただけることもあります。そのようなオンライン上のコミュニケーションで、私は満足していました。
しかし、大阪文学学校に通い始めて、私の創作活動は一変しました。毎週金曜日、決まった時間に十数人もの人々が集まり、その中の誰かが書いた小説をその人の前で評します。この「合評」という活動は非常に熱量溢れるもので、入学してしばらく経った今でも、圧倒されることがしばしばあります。
日常生活では、小説を書いている方に出会う機会はなかなかありません。仮に書いていたとしても、それを大っぴらに他人に言うことはあまりないからだと思います。だから、私はオンライン上に居場所を求めました。しかし、大阪のごく普通の雑居ビルの中に、居場所はあったのです。しかもそこへ行くと、周りは小説を書いている方しかいないのです。ある種、異質な空間であると思います。
そんな密度の濃い場で、私は課題を含め二作品を合評していただきました。とにかく勉強させていただこうとメモを取るのに必死でしたが、その一方で、感動が胸に押し寄せてきていました。
オンライン上における小説の発表は、誰しもの目に触れる可能性があるという利点もありますが、講評をしていただけるほどじっくりと読んでもらえるかどうかの確証はありません。しかし、大阪文学学校では合評が前提にあるので、誰もが真剣に作品を読んで合評に臨んでこられます。そのような方々の生の声を聞けるということに、感激したのです。
これから大阪文学学校へ通う日々が続きますが、私はその中で小説と、私自身をも成長させていきたいと思っています。そして、それは小説を通して、実際に人と関わり合うことで達成されるのではないかと考えております。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・6・17〉
23春 入学生の想い
昼間部本科 太田多恵子(大阪市)
短歌、随筆から小説へ
二十代後半は短歌結社に籍を置いていた。片腕に乳幼児を抱き、上の子らの騒ぐ声の中で、短歌を作る日々を送っていた。四人の子育てでくたくたになり、眠りは常に浅かった。ぼんやりとした頭の中にふうと言葉が浮かぶと、飛び起きて枕元のメモ帳に言葉を書き留める。そんな日々を繰り返していた。
ほんの少し時間の余裕があるようになった三十代からは、近くの公民館の文章教室で随筆を書き続けてきた。大変な時期になぜ書き続けていたのだろうか。時が経って分かってきた。おそらく、書くという作業が、忙しい日々のストレスを浄化してくれていたのだろうと。
短歌や随筆だけではなく、小説も書きたいという強い思いは、その頃よりずっと持ち続けてきたが、願いはかなわず、その後は、認知症になった母の世話や仕事に追われて暮らしてしまった。時は瞬く間に過ぎてゆき、気が付けば、今や、自分自身が認知症にならないかと心配する年齢になってしまっている。
そんなわけで、小説を書くのは、体力的にも能力的にも無理のような気がして、すっかり諦めていたが、三月末のある日、たまたま用事があって娘の家に行っていた。そして、朝日新聞紙上に大阪文学学校の募集記事が載っているのを見つけた。私の家は他紙である。娘の家でふと見つけた記事、締め切り日が迫っていた。何かに背中をどんと押されたような気がして、すぐに体験授業の申し込みをした。まだ今からでも頑張れる。自己実現のためだけでも良い、そう思うことにした。
入学してみて驚いたのは、授業のテンポの速さ。心の裡に物語の形が少しずつ生まれてくるまで、ゆっくりと待てばよいのではという、入学前の私の甘い持論は見事に覆された。
次の作品の構想を早く練らないと間に合わない。合評会の作品はしっかり読み込んで臨まないと、とんちんかんなコメントを述べてしまう。置いて行かれないように頑張らなければならないと焦る一方で、「読みたい」「書かずにはいられない」といった気構えの人たちの集まる世界に身を置ける幸せを、今しみじみと感じている。
あっという間に半年が経つだろう。後半の半年を見越してしっかりとした計画を立てておく必要がある。
しばらくは、身の回りに起きたことを題材にして書いていくという手法で様子を見てみたいと考えている。そのほうが楽であろう。けれどもその反面、全く経験のない事柄や、家族や知り合いの中に、モデルになる人物がいない作品も「恐れず早く書けばいいのに」と強く言っている心の声に気づいてしまっている自分がいる。私にはなかなか大変な作業だが、やはり書いてみたい。合評会で厳しい批評があって、ボロボロになっても良しとしよう。未知の世界観の小説に、そのうち挑戦していこうと思い始めている。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・6・17〉
23春 入学生の想い
夜間部本科 西垣光希(大阪府)
書き直しは続く
ポチッ。
三月のある日、気がつけば私は大阪文学学校のオンライン入学申し込みを済ませていた。あらゆるものに気軽にポチッと申し込んでしまうのが、私の困った特技である。
行ったこともないのに申し込んでしまった。
得体のしれない学校に不安が押し寄せてきた私は、やっぱりやめておこうかな、と思いつつ、体験入学に行き、気が付けば入学していた。
幼い頃から文章を書くことが何よりも好きだった。頭の中に湧きおこる物語や世界を白い紙にあらわすということが、私の生活そのものだった。高校時代、文学学校のそば、空堀商店街を下ったところにある南高校の国語科に在籍していた。そこには文章を書くのが上手な技巧派がたくさんいて、いつも圧倒された。私はいつも書くのが遅く、苦しみながら取り組んでいた。三年間、あらゆる場面でひたすらに作文を書いてきた私は、作文というものから離れたくなってしまっていた。日記だけは続けていたものの、進学した大学では違うことを学び、その後就職した会社でも文章を書くこととは無縁だった。就職して一年後、コロナ禍になり転勤もした。自分を取り巻く環境が大きく変わり、気づけば私がすがっていたのは、文章を書くことだった。誰もが経験したことの無い不安におびえ、不安が攻撃に変わってしまう様子。そんな中で発見するちいさな幸せ。変わりゆく世界の中で、湧きだした感情が頭から逃げる前に追いかけるように、夢中で筆を走らせていた。
入学してからクラスの方々の作品を次々に読み、不思議な気持ちになった。何をしている人なのかあまり知らないのに、その人の核に触れている気がしたのだ。それは、何をしている人なのかということよりも、重要なことに思えた。書きたいことは伝えたいことであり、伝えたいことは深く考えていることだった。合評が終わると、軽い運動をした後のような心地よい疲労感があった。
先日、初めて作品を提出した。自分の作品を読んでもらうというのは、意見をもらうというのは、一体どんな気持ちになるのだろう。文学学校に向かう道中、非常にドキドキした。合評が始まると、ここをこうした方が良いのではないか、この表現は必要かなど、多くの意見が出た。そのとき、私の気持ちは意外なものだった。まるで私が生み出した我が子にぴったり合うものを、ああでもないこうでもないとあてがわれているようで、嬉しかったのだ。恥ずかしい気持ちはありつつも、恥ずかしがっていてはいけないとも思えた。入学したことが、まずは一つの成長だった。この学校で、私は湧きおこる言葉や感情を、素直に書き綴っていきたいと思う。ポチッとするくらいの、軽い心持ちで。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・6・17〉
23春 入学生の想い
通教部本科 吉村和加(高知県)
「やるか、やらないか」」
大阪文学学校に入学を決めたのは、作家になりたいと思ったからだ。
友人にそのことを言うと、「じゃあ、作家の卵やね」と返事が返ってきた。はたして自分に作家になるという覚悟があるのかどうか確信があるわけでもなく、弱々しく微笑むことしかできなかった。
文校より「入学にあたっての抱負」を書いてもらえないかという話を頂いた時も、「抱負」という言葉の前に、胃がずしんと重たくなり、頭痛までしてくる有様で、ふがいない自分に溜息がこぼれた。入学願書を提出したのは紛れもない自分なのに、すぐに逃げ出したくなってしまうのは悪い癖だ。
でも、その度に、「私は本当にどうしたいのか」と自分に問いかける。
これまでの人生において「できるか、できないか」ですべてのことを判断してきた。「自分ができそうだ」と思うことだけしていれば、ある程度の自尊心は保たれるし、「自分にはできない」と言えば、失敗して誰かに笑われることもない。安心、安全。波風のない日々。
なのに、なぜか苦しい。
それは、「私は本当にどうしたいのか」という内なる声に対して見て見ぬふりをし、ずっと自分の殻に閉じこもってきたからだった。
幼い時分から、「どうして生きているのだろう」と考えるような子どもだった。長年、家族以外の他者とほとんど会話することができず、そんな孤独を埋めるように、保育園や小学校では一人で絵を描いたり、ベランダでリコーダーを吹いて過ごしていた。その時だけは、自由にありのまま、色や音にのせて自分を表現できた。楽しかった。
でも、本当はずっと友達と喋ったり、遊んだりしたかった。
それを実現するためには、勇気と覚悟が必要だった。当時の私にとって、友達に話しかけることは、スカイダイビングやバンジージャンプの方がよっぽど易しく思えるほどのことだったからだ。その時の私を突き動かしたのは、「変わりたい」と強く願う自分の心だった。
友達に初めて声をかけた時の充足感は、忘れられない。私の言葉に友達が応えてくれたこと、言葉によって心と心が通い合えた喜びと感動に心が震えた。今思えば、その時初めて、この世に自分が存在していることを自分で認められたような気がする。
ここまで書いてしまえば、自ずと答えは出ているように思えてきた。
「作家になりたい」という夢を描いたのなら、時間がかかろうとも、地道に勉強し、挑戦し続ければいいのだ。「できるか、できないか」ではなく、要は、「やるか、やらないか」だけなのだ。そのために、大阪文学学校に入学することを決めたのだから。
しかしながら、実際に小説を書いてみると、ストーリーの構成や思い描いている情景を言葉にすることの難しさ、知識、勉強不足を痛切に感じた。これから作品集やスクーリングを通して、たくさんのことを学び、自分が書きたいテーマ、「生きていることの喜び、楽しさ」を色彩豊かに表現できるように頑張りたい。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・6・17〉
はじめてのスクーリング
通教部本科 浅地 敏(長野市)
熱き心に撃たれた一日
大阪には魔物が住んでいた。
あの日、初めて大阪文学学校を尋ねたわたしは、ここはどこ? なにこの集まりは? という感覚に襲われた。
老若男女、多士済々という面々が今や遅しと開講の刻を待っている。服装もまちまちだ。スーツ姿もいれば、ちょっと近所にお買い物にといった恰好の主婦らしい人もいる。
共通しているのは、きらきらと光る眼だ。そのいずれも食い入るように脇の人と話したり、じっと腕を組んで沈思している。
熱くなったのは、合評会である。これは何か。まるでつるし上げではないか。これはいたたまれない時間になるぞ。
自分の書いたものを人が読むことは許せる。しかし、その作品について、本人の前で各人の批評を話しだす。いやだ。いやだ。まともな神経ではこんな場にいることは出来ない。逃げ出そうと思わず尻が浮く。
しかし、その合評会が進むうちに、違う感情が沸いてきた。各人の指摘は鋭く、生半可な創作態度では太刀打ちできない空気であったが、合評会が進むうちに、その場に温かいものがあふれてきた。その空気をひとことでいえば、〝同志感〟である。
同志であるから言える一言。仲間であるから棘のある態度も許せる、その態度。
なぜなら、自分もその同志の一員であるからである。暗い雰囲気で始まった合評会は終わりには時間も足りなくなるほどであった。
そして、その熱い気持ちのまま始まった、交流会。酒も入り、文字通り、そこは第二の合評会の場になった。
偉そうになりそうな、チューター(失礼)の先生方も、その熱気を巧みにさばき、論点を整理して冷静に収斂させていく。
わたしは、このスクーリングで多くの知己を得た。自分のこどものような青年。詩に、音楽に冴えを見せる才媛。まるで五木寛之のような佇まいを見せる紳士。
谷口チューターの発する凛凛とした言葉には、同志に注ぐ情熱と傾聴と共感が満ち満ちていた。
お前たちも俺も目指すところは同じなんだよ。さあ、ともに手をとりあって前を向いて進もうよ。
そんな谷口氏の温顔は、これから待ち受ける、創作の修羅場に一点灯る松明となる。
まず書け。とにかく手を動かせ。当たり前のこの作業が簡単にはいかないのは、自明であるが、このスクーリングで得た、熱気と交友はこれからの自信にもなり、財産にもなる。
終わりにあたり、運営に当たっている事務局各位、学生委員の各位、その他縁の下の役目をしている各位に感謝と御礼を捧げたい。皆様方の尽力があってこそ、この組織が連綿と続いてきたのだから。
秋の再会が待ち遠しい。今から、ホテルの予約を取らなくては。
大阪の夜景がわたしを誘っている。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・8・8〉
特別講座に参加して
夜間部本科 渡邉佳耶(大阪府)
日常と小説の嘘
普通の人だ。目の前の小山田浩子さんを見て、まず思ったのはそんなことだった。
小山田浩子さんの「穴」を初めて読んだのは二年前で、確か東京から大阪に帰る新幹線の中だった。「穴」は青山ブックセンターの文庫本の棚の一角に、ひっそりとたたずんでいた。「穴」という記号的なタイトルと、真っ黒で不気味な装丁に惹かれて手に取ったが、メタレベルも場面設定も一切なく、はっきり言って読みづらかった。しかし不思議なことに、一行一行を読むのが面白かった。まず、淡々としている。描かれている人間には個性があるが、全体的に抑制されて書かれており、なんとなく無機質な感じがする。一方で、雑草や、小さな虫のことがやたらと丹念に書かれている。そして、全体的にメッセージ性がない。あるのは乾いたユーモアだけ。これはなんだ、と思った。こんな小説があっても許されるのだ、と感動した。
小山田浩子さんは人間だった。当たり前である。年もきっと私と近いはず。ご自身は「子供の頃から、先生の言っていることが理解できなかったり、何かをちゃんと見ることができなかった」とおっしゃっていたが、テキパキと小説について話す様子は、ごく普通の話しやすそうな女性だった。
驚いたのは、小山田浩子さんが書いているのは、全て「日常」で「事実」だということだ。小山田さんが小説を書くとっかかりは、日常生活で見た些細な風景なのらしい。派遣で事務仕事をしていた時に、目の前の女性が印刷用のトナーを抱えている姿を見て、そのトナーが一瞬黒い大きな鳥に見えたことがあり、それが「工場」という小説を書く発端となったのだという。路上で犬が死んでいたということ、夢でけものが出てきたこと、そのような断片が小説を書くとっかかりになる。
小山田さんは、子供の頃日記を書くのが苦手だったらしい。なぜかというと、どうしても嘘を書いてしまうから。現実にあったことをまず書くと、次に書くのは嘘になる。言葉がそう要請してしまうから、「その言葉が来たら、次にその言葉が来て」、逸脱していく。行きつく先は、小説になる。
小山田さんの話を聞きながら、私は小説における「嘘」とは何なのか考えた。小山田さんは、小説は何を書いてもいいという。何を書いてもいいが、しかし大切なのは、読者がそれを信じるかどうかということ。読者が本当のこととして受け取るか、現実とつながっているかどうか。
小山田さんの小説で描かれているのは「異界」ではない。むしろ本当のことである。私たちが普段生きている秩序ある世界は、実は自分にとって理解可能なものをピックアップし、都合よく意味を付随させているだけなのだ。小山田作品は、そこから取りこぼれた、道端の雑草や、芋虫、ボケた老人の一挙一動を丹念に書く。都合よく意味を付随させないから、淡々としたものになる。細部が積み重なっていき、小説になる。それは異界が描かれているようで、どこか現実とつながっている。
感性の鋭い人というのは、こういう人なのだと思った。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・4・1〉
学生委員会の活動
23年度春期学生委員長 谷 良一(夜間部研究科)
大阪文学学校の学生は個性の塊です。
みんな強烈な自我の持ち主で、それぞれがその我を隠すことなく主張し、叫びます。
そんなきつい集団の中で、ひっそりと、目立たぬように、陰に隠れるように、みんなのために頑張っているのがわれわれ学生委員です。
決して報われることを求めず、ひたすら人のために動いている学生委員に、自然と陽が差します。学生委員はいつの時代も人気者、みんなの憧れの的です。
「あれが学生委員のUさんよ、凜々しいわねえ」
「キャー素敵、あれがMさんか、かっこいいなあ」
「Fさん、いつも渋いなあ、ほれてしまうわ」
学生委員の行くところ常にファンがついてまわり、賞賛の嵐です。
ここでその憧れの学生委員が何をしているかをお教えします。
・在特部:学生が応募して、学生が選考する樹林・在校生作品特集号の制作をします。
在特号は高校球児における甲子園のようなものです。
自分の好きなことを楽しみたいと思っている人も、プロを目指す人も、決して避けて通れないのが甲子園であり在特なのです。
・イベント部:春と秋の文学散歩、夏季合宿、冬の文学集会など文校生の楽しみであるイベントを企画・制作します。ちなみに昨秋の文学散歩は万博記念公園、昨年の夏季合宿は熊野新宮に行きました。
・新聞部:発行する「コスモス」は文校ニュースとはひと味違う文学趣味にあふれた新聞です。在校生が投稿した詩やエッセイ、小説などが随時掲載されます。
新聞づくりの楽しみを味わってください。
さあ、みなさんもこのすばらしい学生委員の一員になってみよう!
きみも、そしてあなたも!
学生委員会は、隔週月曜日の夜に開催致します。月曜日の夜に都合のつく人は、是非ご参加下さい。
うちのクラスは
こんなんやで
岡本優心
昼間部本科/小説(夏当紀子クラス)
花が健やかに育つには、空気と太陽が必要です。それに水や土も。
小説という芸術作品を美しく咲かせるためには、何が必要でしょうか? 技術や感性は、もちろん必要でしょう。
でも、最近は「人間同士の交わり」もとても大切だと気付きました。だって、小説はどこまでも「人間」を描くものだから。
我がクラスでは、あらゆるバックボーンを持つ人たちに出会えます。教師もいれば、俳優もいるし、明るくおしゃべりな人もいれば、穏やかに無口な人もいる。ここは、年齢も性別も国境さえ関係ない「自由な教室」なのです。
生徒が個性的だから、提出される小説もサラダボウルのように多種多様な作品ばかり。時代小説あり、青春小説あり、SFやBLやホラーまで! 十五名のキャラクターがぶつかりあうのが本当に楽しくて、私は毎週金曜日の十四時からの合評会を心待ちに過ごすようになりました。
そして、チューターである夏当先生は、生徒の想像力の芽を決して摘みません。的確なアドバイスをバシッと与えながらも、最後には励まして応援してくれます。
先生にもらった栄養をぐんぐん吸収して、私たちは書き続けます。面白かった映画を観たら、教え合います。飲み会の日には、一緒に美味しいものを食べます。
我がクラスは、あらゆるバックボーンを持つ生徒たちが、ありのままをさらけだしながらも、お互いを尊重し合う素敵なフラワーガーデンです。
きれいに咲き誇る花だけが、価値あるものではない。枯れたバラも、散りゆくサクラも、それはそれで美しい。そんなことを教えてくれる、厳しくも優しいガーデンです。
うちのクラスは
こんなんやで
野村武史
夜間部本科/小説(西村郁子クラス)
「こんなにも個性豊かな人たちがいます!」と、クラスの紹介をしようと思ったものの、みんなをよく知らないことに気がついてしまった! 最初の授業の自己紹介では、顔と名前を覚えるのが精一杯。授業の後に行く、西村先生の第二の教室『おくまん(居酒屋)』で多少は会話もするが、ここでは「あの作品、リアル何%ですか?」のような合評の続きになるので、みんなのプラベートに関して深く突っ込んで聞いていない……。
なので、クラスメイトよりも、みんなの作品と向き合う時間の方が長いことになる。合評の数日前にあげてもらった作品を合評の日までに何度も読み、その作品の内容や描写から、そのクラスメイトを「こんな人だろうか?」と決めつけている。小説の中に、ユーモアがたくさんの人は、きっとお笑いが好きな人で、言葉遣いがポエムのように美しい人は、普段から言葉を収集している表現マニア、伏線がいっぱいある人は謎多き人で、描写がすごくリアルな人は、いつも緻密に物事を観察している人、心をガサガサとひっかくような共感を描く人は、感受性が豊かな人、ニコニコしながら読んでいられる優しい作品を書く人は、相手の気持ちを察するのが得意で思いやりのある人、歴史小説が上手な人は、言葉選びや表現が豊富で知的な人、食事の描写がいつも美味しそうな人は食べるのが好きな人、さらに考古学マニア、ワイルド、今っぽい、おしゃれ、頭硬そうなど、作品から読み解くに、そんなメンバーがこのクラスには集まっていると思う、というか想像できる。しかし、気を抜くと、二作目で「あれ、あの人こんな作品も!」のように裏切られることもあり、みんなの様々な一面に出会えて、やっぱり楽しい。
僕は文校への入学を数年悩んで今年ようやく思い切った。今年だから出会えたみんなと、みんなの作品。ざっくりいうと、そんな奇跡で西村クラスはできている。