在校生の声

22春 入学生の想い

昼間部本科 房野若菜(兵庫県/23歳)

人生のレールなんかに乗ってたまるか

「で? 今、若菜は毎日何してるの?」
 カランと友達の飲んでいたアイスコーヒーの氷がグラスに当たる。パリッとしたシワのないスーツ。髪の毛を一つに纏めた友達が目の前にいる。日本の新社会人ステレオタイプの友達。
「え、えへへ。通信の大学に入りなおして、図書館司書になるための勉強してる。それと、作家になるために大阪文学学校通いはじめているんだ」
 周りの人が社会人になってから言い続けているまとまった言葉が、私の口からすぐに出る。形式的な言葉。自分を守るための言葉。
 何も説明してないこともあった。だって説明大変だし、作家になるための学校ってなに? 就活から逃げただけじゃーんって、思われても嫌だし。
 だけど、そうすると「え? フリーターってこと?」「働かなくてどうするの?」「バイトで一生終わるの?」疑問の波が押し寄せてきた。悪意のない疑問。いや、悪意あるか。え、こいつの人生大丈夫か? 言葉の裏にそのような意図を読み取った。捻くれているかもしれないけれども。
 だから説明を始めた。自分を何かに所属させるための説明。ちゃんとしているんだよっていう自分を確立させるための説明。
 たいがいは、ふーんで終わる。なんだ。若菜も色々やってるのか。みんなの興味はそこで終わる。
 その子は違った。
「え? 夢に向かって頑張ってるんだね。すごい。また書いた小説読ませてね。若菜の人生ほんっと幸せそう」
 目を真っ直ぐ見つめて言ってくれた。目を輝かせて。
 ほう。声が出てしまった。
 レールの上を走らないと、内定を取らないと。これがずっと私の持っていた思い。自分のやりたいことをやろうとしている、今ここにおいても、このままでいいのか、社会人になっていた方が社会に貢献できたのではないのか、せっかく浪人してまで大学入ったのにこのままでいいのかと、さまざまな思いが混在していた。
 しかし、その子の言葉で胸に熱を持った。ホカホカという擬音語がふさわしいくらいの心のホカホカさ。私はやりたいことしているんだ。夢に向かって進んでいるんだ。いっぱい自分の好きなことができて、私幸せなんだ。
 レール。所属。社会人。さまざまなものに囚われていたが、一気に解放された気がした。
「ありがとう。私、とりあえず突き進む。やりたいことを悔いのないようにやる。頑張る」
 若菜の大きな声がカフェに響いてるよ~。友達が笑いながら返してきた。
 そんな私が大阪文学学校に通いはじめて一ヶ月。
 小説読むの楽しい! 書くの楽しい! ふぉ~! ゼミの方や夏当先生と話すの楽しい! ふぉ~! というテンションアゲアゲな感じで通っている。
 たくさんの個性を持ったゼミの方たち。おっとりしていて可愛い夏当先生。
 私はこの中でたくさんの言葉を食べ、咀嚼し、自分のものにしていくのだろう。ドキドキ。ワクワク。
 自分の人生は自分で決めるんだい。
 人生のレールとか、なんやらかんやらをぶっ飛ばして、大阪文学学校の生活を全力で楽しんでやるぞ。
 皆様どうぞよろしくお願いします。
〈在籍半年 「文校ニュース」22・6・18〉

22春 入学生の想い

昼間部本科 西田佐代子(大阪府/78歳)

生きた証〈あかし〉を残すために

後期高齢者になり、今更、何を思って文学学校へという思いはあったのですが、まあ、何時死んでもいい年になったのだから、恥も外聞もなく、他人様に学校へ行ってる事を言わなければ、まあいいかと思い入学する事になりました。文学学校の存在は知っていたのですが、中々、思いきりがつかずこの年に至りました。気分の変化の折々に詩を書いてみたり、俳句を詠んだりはしていましたが、元々、高校生の頃、友達にさそわれ文芸部に入部し、文学に興味はあったのですが、本を読むのは、全く乱読で、ジャンルは問わず、新聞は朝夕刊で一時間以上かけて読みます。ただ活字を追う毎日にあきる事はありません。しかし、それが身についているかどうか分かりません。なんせ字を追っているだけの時もあるから、漢字を忘れ、えっ小学生、それとも認知症、私って何? でも一人で生活もできているし、テレビはめったに見ませんが、ネタの割れたお笑いなぞおもしろくもなく、昔に放映していた山岳紀行なぞは大好きで見ます。少し片寄った性格をしているのかも知れませんが……。
 前置が長くなりましたが、とにかく文学学校に行き小説なる物を書いてみたいと思ったのがきっかけです。でも国語の文法も分からない、小学生の作文じゃあるまいし、原稿の書き方も分からない。はたと困っている私です。感想文もほうほうのてい、合評などできるはずもなく、でも入学してしまったんだから、何時かは感じ入って、読んでいただける作品が書けたら……。この年迄の長い人生、色々な事がありました。百二歳迄生きた姑、三人の個性的な子供達、四十年に及ぶ闘病生活の夫、他人から見れば苦労性の私、私の身内からはよく苦労性な人と言われましたが、私自身さして苦労したとは思っていません。それはそれで苦しい時もあったんだと思いますが、昔の人は言います。喉元過ぎれば熱さは忘れる、という事です。悪い事より、良い事に気をかけていれば、良い思い出の方が勝ります。その様な事で、色々御指導いただけたらと思って通学していますが、まず自分がやりとげたいと思う強い心が一番大切なのではないかと思っております。字を書いていると右手が疲れます。年ですから、又一休みして右手を動かしなだめつつ書きます。歯も痛くなってきます。肩も回すとボキボキ鳴ります。でも私はヘタだろうと書きます。書かないと物事は始まりません。途中で止める事は私自身を否定する事になります。さあ、ガンバッテ、私の生きた証を残すためにガンバります。
 ボケばあさんにならないために!!
〈在籍半年 「文校ニュース」22・6・18〉

22春 入学生の想い

夜間部本科 永長景虎〈えいなが・かげとら〉 (兵庫県/21歳)

原点、つまり書くこと

思えば、あの時から気付いていたのだろう。
 真夏の日照りはグランドの底におぼろげな陽炎(かげろう)をつくる。ぼやけたその陽炎を切り裂いて走る少年たちの顔は歪んでいる。泥交じりの汗、土に残る無数のスパイクの穴、ピッチを飛び交う重い声。そうした全てがここの恐ろしい暑さを物語っている。不甲斐ないプレーをした僕は、ピッチからほうりだされ、ベンチの一番奥隅で泣いている。仲間が励ましに駆け寄ってきた。彼らの温かい視線が冷たい。ちがう、僕が泣いてるのはそんな理由じゃないんだ、お願いだからほっといてくれ。きっと道を間違えたんだ。だがもうどうしようもないじゃないか。
 高校卒業までの十八年間、文字通り人生の全てをサッカーに捧げてきた。時間だけじゃなく、精神そのものも。勉強なんてそのついででしかなかったし、小説なんて国語の授業でしか読んだことがなかった。別に望んでそうしたわけじゃない。そもそも僕の周りにはサッカーしかなかったのだ。心ではずっと違和感を抱えながら、そこから抜けだす勇気がなかった。
 結局、進む方向を間違えた時計の針はどこにもたどり着くことはない。小中高で目立った成績は一つも残せず、高校最後の大会は一回戦負けという何とも僕らしいあっけない幕切れ。大学に入り、サッカーをやめると、僕は失われた時を巻き戻し始めた。これまでの十八年にいったいどんな意味があったのか、その何かしらの答えを求め、時計が狂い始めた原点に戻ろうとしたのだ。長い自らの過去を一年かけて遡ると、「物語をかきたい」という根源的欲求とぶつかった。余白に書き込まれた小さなメモのような、頼りなくて古いその感情との出会いは自分自身にとっての救いである予感がした。過去の自分からSOSを受け取ったようなそんな感じだった。
 その頃もう周りは進路を考え始めていた。組織社会に組み込まれることの恐怖に囚われていた僕にとっては、すぐに就職して社会に出るなんて正直ありえなかった。そして個人を失わず、なおかつ社会で生きていく最低限度の妥協点は「小説を書く」ことではないかと思ったのがおよそ一年前。その瞬間、僕は「小説家になった」と確信した。これは自惚れである。だが確かな感覚だった。うまくいくかなんて分からない。これまでまともに小説を読んだことすらないのだから。でもこれから何かを書き続けていくことはおそらく間違いないだろう。
 たぶん珍しいと思うが、僕は書きたいと思ってから、小説を読み始めた。だから文校の他の学生さんに比べ、小説に関する知識はかなり劣っていると思う。執筆のテクニックもほとんど何も知らない。文学という世界の全体像すら掴めていない。今のところ僕には、使える素材がほとんど自分しかないのだ。それは今後克服すべき弱点であるが、良く言えば個性でもある。他の誰かを題材にして書くという器用なことはまだできない。まずは一番身近な自分を丸裸にし、恥をかきながら物語を紡いでいく、今はそういう方法しか知らない。きっと独りよがりになるだろう。だがいつかその独りよがりが、誰かの心と共鳴する「作品」となった時、僕は初めて救われるんじゃないかと思う。オリジナルな自分自身の言葉から、他者と通ずる何らかの普遍性をめざして。
〈在籍半年 「文校ニュース」22・6・18〉

22春 入学生の想い

通教部本科 髙岡隆一郎(青森県)

書くことの喜びと欠けているもの

小説や随筆といった文章を書き、投稿するようになって、八年になろうとしています。八年前の私は、ある挫折をし、胸に目標を抱きました。「物書きになる」という目標です。私はそれからすぐ、その思いに突き動かされるように、小説を書くためのハウツー本を見て小説を書き、投稿したのです。結果は当然のことながら、一次選考落ちでした。結果が出るまでの間、随分と気をもんだのを覚えています。いきなり最終選考まで行けるんじゃないかとか、名前が雑誌に載ったらどうしようなどと期待し、発表の日にそわそわして、家の中をぐるぐる歩き回っていたのです。
 それまでの私は、小説や随筆は気が向けば読んでいる程度でしたし、小説を書くこともありませんでした。ですから「いいところまでいける」などという考えは勘違いも甚だしかったのです。が、当時の私はそんなことすら気がつくことができませんでした。小説・随筆を書くこと、いえ、文章を書くことを甘く見ていたのです。
 私は日本語を話すことができる、日本語を書くことができる、だから日本語の文章を書くことは簡単だ、小説も随筆も一気に書き上げることができるだろうというものです。違いました。自分の大いなる勘違いに気がつくのに、二、三年がかかりました。けれどもそれに気がつくようになっても、まだ駄目でした。他の人が賞を取った作品の良さがわからなかったのです。
 なぜ私の小説や随筆が落選し、他の人のものが選ばれていくのか。わかりませんでした。そして賞を取った作品よりも、自分のほうが面白いと心の中でうそぶいていました。結局、賞に選ばれた作品のほうが興味深いと思えるようになるのに、また二、三年が過ぎました。
 私はその間、無駄に過ごしていたわけではありません。小説を読み、他の分野の本を読み、創作することに励んでいたのです。けれども、文章を作ることが苦しかったのです。その苦しさの中、書き続け、さらに二、三年が過ぎました。そして最近、ようやく書くことが楽しくなりました。資料を集めたりする苦しさと、毎日文章を少しでも書く面倒くささはあるものの、その中に喜びを見つけられるようになったのです。何かが私の中で変わり始めていることに気がつきました。投稿を続けました。けれど、まだ駄目なのです。
 以前のような根拠のない自信は消え、自分の文章を客観視できるようになってきたつもりです。が、結果になかなか結びつかないのです。私は、まだ何か多くのことが欠けているのだと思います。それに気がつきたいがため、大阪文学学校の扉を叩きました。これから一年間、通信教育部で他の方々と交わり、お世話になり、学ぶことになるわけですが、その中から自分の足りない点を見つけることができる実りある年にしたいと思っています。
〈在籍半年 「文校ニュース」22・6・18〉

はじめてのスクーリング

通教部本科 田島紗月(千葉県)

合評会の緊張感

二〇二二年三月十三日の通教部スクーリング合評会に、今回私は千葉の自宅からのオンライン参加ではなく、大阪の現地に赴いて参加させて頂きました。まん延防止等重点措置の期間内ではあったものの、拙作、「隣のひと」を樹林二〇二二年二・三月号にご掲載頂き、合評会でチューターの先生方や文校の生徒の方々の批評を直接伺うことのできる機会なんて今後無いかもしれないと思い、思い切って出向いた次第でした。
 遠い昔の修学旅行以来人生で二度目の大阪にひとり降り立ち、元来地図の読めない人間であるため、グーグルマップを表示しているスマホを本体ごとぐるぐる回しながら開始時間ギリギリに大阪文学学校の会場に到着したときには、初めての教室の雰囲気と、降車駅を間違えて無駄に一駅歩いてしまった余韻で、今年一番心臓がドキドキしていました。
 合評会にオンラインでは参加したことはあるものの、家からパソコンのカメラとマイクの切り替えのみで参加していた時と、初対面の人がぐるりと輪になりその中に自分も座って参加するのでは、緊張感がまるで違いました。参加に際して、樹林を何度か読み込み、ノートに自分なりの考えをまとめて当日臨みましたが、作品ごとに飛ぶ自分とは異なる視座の指摘や、考えが及ばなかったような鋭い批評を聞き、何度か読んだはずの作品の中に全く新たな発見があったり、作者の意図を聞いてなお幾らか疑問が生まれたり、心の中でうるさいくらいに相槌を打ちながら皆さんの意見を逃すまいと聞いていたら、生来のメモ魔な性格も手伝ってノートが汚い字で真っ黒になっていました(その時感じたことを一作品ごとにここにも記したいのですが、あまりに文字数があるので私のノートの中だけに控えておきます……)。オンラインでも思っていたのですが、同じ作品を読んでいるはずなのに、読み手のバックグラウンドや感受性によってここまで出てくる批評や感想が違うのかと毎回本当に驚きます。世の中に出回っている書籍を読むときにも、ネットのレビューや雑誌の批評で様々な差異があるということは当然のことではありますが、実際にこのような顔を突き合わせて作品に対しての見解を述べ合う場に参加すると、話者の顔や声を認識できる分、読み手によって文章の受け取り方は様々であるという普遍的で、とても重要な配慮すべきことが、ともすれば自慰的な創作を繰り返しがちな私の頬を張ってくるような、そんな気持ちになります。
 また、自分以外の方の作品の批評を聞いていると、そこで出てくる指摘や感想を通して気が付かなかった自分の創作物の未熟さや、現時点で不可能であろう表現が浮かび上がってきて、それを掴み取って自分の作品に組み込むことで、また新たな、面白いものが書けるかもしれないという、意欲と可能性を得ることのできる、欠如への前向きな気づきがありました。
 合評会から宿泊しているホテルへ帰る道で、今の気持ちを残しておこうと思いガリガリと道端で書いたメモを読み返すと、
〈胸がドキドキしている。自分の書いた作品に、誰かが何かしらの感情を抱いてくれるのは幸せだな。永遠に自分のポテンシャルに夢だけ抱いて、未完の小綺麗な文章を作っては眺め、ひとりで満足するようなオナニーをし続けるんじゃなくて、頭をぐるぐるさせながらでも完成させて人前に出してよかったな。仕事や恋愛以外にこんな気持ちになるものを得られてよかったな〉
 と走り書きで記してありました。私にとり、書いたものを誰かに見せるのはおそらく中学生の時以来で、文校に参加するまではどこに出すでもなく、進歩もない未完の作文を繰り返すだけの毎日でした。何か変えたい、と思い入学した文校で得られた気持ちは、長年私がこういう気持ちになってみたいと無意識に欲していたものでもありました。スクーリングを終えた後にも、拙作の批評時に時間がなかったからと、廊下でお声がけくださる方がいらっしゃり、拙作を読んだ際に抱いた思いをお話しいただけて本当に嬉しかったです。多分この気持ちが、今後も自分が創作して行く上で指針になり、糧になるだろうなと今このメモを読んでも強く思います。
〈在籍一年 「文校ニュース」22・4・4〉

特別講座に参加して

通教部研究科 松浦このみ(東京都)

豊潤な時間

文校に入学して二年弱。一番書きたいことが書けていないジレンマがあります。伝えたいことが自分の中に確かにあるはずなのに、世間に流布されている様々な情報や、手垢の付いた表現が邪魔をし、自分自身の声が、言葉が、良く聞こえないような感覚です。
 堀江さんのお話を聞いて、あぁ私は「ノイズが邪魔だ、ノイズよ消えろ、私だけの言葉が聞きたい」と無理な注文を自分にしていたのかもしれない、と感じました。
 聴診器を発明したライネック医師のお話をしてくださいましたね。心臓の鼓動以外に身体中のノイズがたくさん聞こえてくる中から、その人の病気を特定する大切な音を聴き取る。それは一朝一夕にできることではなく、数えきれないほどたくさんのノイズを丁寧に聴いた末、ようやく辿り着いたものだと。
 ノイズも丁寧に聞くのか、と視界が広がりました。むしろあらゆるノイズを聞けば聞くほど、出てきた言葉の厚みが育つ。五感を研ぎ澄ましていると、理屈では聞こえない音が音になってくる、という表現を使っていらしたと思います。そんな風に自分の言葉が出現したら、どんなに素敵だろう、と夢が膨らみます。
 人は体調や気分によって出てくる言葉が変わる、というお話も印象的でした。その変化の幅を、どのくらい自分に、そして人にも許せるかが大事なのですね。常日頃、勝手に自分を窮屈な場所へ追い込みがちなので、無駄な力がふっと抜ける感じです。
 ひとつの場所で育った種は弱いけれど、数種が交雑してはじめて次の世代へ繋がる種が育つ、というお話も合わせ、焦らず書くことの価値と、廻り道をしながら生きることの豊かさに目を向けることができ、勇気をいただけました。
 最初の一音だけで異世界へ連れていってくれる音楽のような文章を書かれる堀江さん。そんな堀江さんが感じる美しさとは、一体どんなものだろうと興味が湧き、些か答えづらい質問を送ってしまったのですが、それに対しても、私が大好きな作品と質問書に書いた「ラの音」の最後の一節と結びつけて、美しいと感じる瞬間について言及してくださいました。感謝します。全ての質問に対して、決してぞんざいに扱うことなく言葉を贈られる姿、人を敬う在り方が心に沁みました。
 まさに豊潤、という言葉がぴったりの二時間半、この時間を新たなスタートに、言葉の種を大切に育てていきたいと思います。ありがとうございました。
〈在籍二年半 「文校ニュース」22・3・7〉

学生委員会の活動

22年度春期学生委員長 谷 良一(夜間部研究科)

大阪文学学校の学生は個性の塊です。
 みんな強烈な自我の持ち主で、それぞれがその我を隠すことなく主張し、叫びます。
 そんなきつい集団の中で、ひっそりと、目立たぬように、陰に隠れるように、みんなのために頑張っているのがわれわれ学生委員です。
 決して報われることを求めず、ひたすら人のために動いている学生委員に、自然と陽が差します。学生委員はいつの時代も人気者、みんなの憧れの的です。
「あれが学生委員のUさんよ、凜々しいわねえ」
「キャー素敵、あれがMさんか、かっこいいなあ」
「Fさん、いつも渋いなあ、ほれてしまうわ」
 学生委員の行くところ常にファンがついてまわり、賞賛の嵐です。

 ここでその憧れの学生委員が何をしているかをお教えします。
・在特部:学生が応募して、学生が選考する樹林・在校生作品特集号の制作をします。
 在特号は高校球児における甲子園のようなものです。
 自分の好きなことを楽しみたいと思っている人も、プロを目指す人も、決して避けて通れないのが甲子園であり在特なのです。
・イベント部:春と秋の文学散歩、夏季合宿、冬の文学集会など文校生の楽しみであるイベントを企画・制作します。ちなみに今年春の文学散歩は京都鉄道博物館、夏季合宿は熊野新宮に行きました。
・新聞部:発行する「コスモス」は文校ニュースとはひと味違う文学趣味にあふれた新聞です。在校生が投稿した詩やエッセイ、小説などが随時掲載されます。
 新聞づくりの楽しみを味わってください。

 さあ、みなさんもこのすばらしい学生委員の一員になってみよう!
 きみも、そしてあなたも!

学生委員会は、隔週月曜日の夜に開催致します。月曜日の夜に都合のつく人は、是非ご参加下さい。

うちのクラスは
こんなんやで

林 隆司

昼間部本科/小説(佐伯敏光クラス)

真っ昼間の午後二時開始という時間帯のせいか、所属しているのは退職された年配の方が多く、後は主婦(夫)、自営業。そして職業不詳……。
 年齢は下は三十代から上は七十代と幅広く、クラスの方の経歴も様々で、刑務所職員だった方、成田空港三里塚闘争の元闘士の方、大学の教員だった方、それに、阪神淡路大震災の際、崩れた高速道路の端に引っかかったバスを下ろす作業をした方。また、元議員秘書等、あまり普通では聞かない人生を送って来た方が集まっている。
 作品に関しては自分の人生をバックボーンに書かれておられるものが多いが、若い二人の女性は才能に溢れており、独自の世界を築いている。小説のクラスだが、落語の台本を書いてる人もいる。
 我がクラスには名物がある。通常は「始めましょう」と言う佐伯チューターの一言が、何回かに一回、「今日は冷蔵庫に日本酒を、冷やしてます」とおっしゃる。若しくは、クラスのメーリングリストに佐伯チューターが「今度の合評は日本酒を持って行きます」と予告されている事もある。どちらの場合も、合評が終わると、机の上にどこからともなくいくつかの紙コップとおつまみが出て来て、あっと言う間にコップの中には日本酒が注がれていく。佐伯クラスが「居酒屋 佐伯」に変わり、お酒を口にしながら雑談が始まる。また、その際にはクラスメンバーで、文校から徒歩五分程の所にあるロシア料理店「カフェ・ポーチカ」のマスター岩崎さんが大抵ワインを持って来てくれる。初めての時は確か、何かと話題のウクライナの隣国モルドバのワインを持って来てくださった。お酒を嗜まないご婦人にはこれも岩崎さんが紅茶を振る舞われる。
 これを読まれた貴方、ほら佐伯クラスに来たくなったでしょ。

うちのクラスは
こんなんやで

森 紳太郎

夜間部本科/小説(西村郁子クラス)

私は、東京単身赴任中のサラリーマンでして、企画の捻出力・表現力を鍛錬すべく、文校に申込させて頂きました。
 最初は通教部を考えておりましたが、西村先生や事務局の方々に、Zoom参加もできるし、合評のダイナミズムを味わうなら通学にすべし、と勧められ火曜日夕方の本クラスを選択させて頂きました。この選択、正解でした。
 今は多様性の時代と言われますが、西村クラスはまさにその縮図です。写真家、音楽家、精神科医、エンジニア、外国在住経験が長い人、哲学、ファンタジー、これぞ天才! と呼べる人……。年齢も十代から六十代まであらゆる世代が集まり、皆さんが身を削って書きあげた、心情の吐露にも近い物語を読みあい全力で合評する。愛や善性についての回もあれば、AIやメタバースなどのテクノロジーの回もあり、また、狂気や悪や不道徳についての回もあります。薄っぺらい議論なんかこれっぽっちもなく、私のような普通の会社員が、これほど知的で刺激的で濃厚な時間を毎週過ごすことができるのは奇跡だと思っております。
 西村クラスの皆さんは、多様性をリスペクトする視点を持たれているのが素晴らしいです。合評はグッド&モア、まず作者・作品へのリスペクト・賛辞からはじまり、より高めるために何が必要かという点を真剣に語り合います。人間は、言語によってこそ知識形成・伝達を行ってきた生き物なのだと改めて感じることができました。
 私自身も、拙作について、皆さんに愛のある合評を頂き大変感動しました。この感動体験や、思索の鍛錬が、バタフライ効果を呼び、本職の仕事も不思議なことにうまく回りだしてるんです、と、最近大阪出張が多くないか? と言い出してくる無粋な上司に言い訳をしているところです。