在校生の声

23秋 入学生の想い

昼間部本科 緑 北洋(兵庫県)

幸せな空間

文学学校を知ったのは、数年前。妻の先輩の旦那さんがキッカケでした。ちょっと変わった雰囲気の方で、「あの人、何の仕事してる人?」と訊くと、「何か小説の学校に通っているみたい」ということでした。ネットで調べました。「ここかな?」「こんな学校あるんやなぁ」その時は、それで終わりました。
 コロナ禍で在宅勤務が始まった頃、〇〇新聞文芸の川柳欄に友人の奥さんの名前を発見。お祝いに連絡すると、「カミさんにネタにされとうねん。これがまた、よく載んねん」と嬉しそう。良い趣味だなぁと感心して、妻と息子に宣言。「お父さんも書いたろ。二万円もらえんで。ワンカルビ行こ」急いで原稿用紙七枚の作品を書き上げ、すぐに応募。ペンネームは、近所の喫茶店「みどり」と弁当屋「北洋亭」から「緑北洋」。当然、掲載されると信じて疑わず。発表当日に朝刊を開いて、「??」「何で? 佳作にもなってない」と私。気を遣う妻は、「〇〇新聞アカンねん。おばあちゃんの『庭にアジサイ咲いた』みたいのが載るねん」「マジで? 俺の方がエエんちゃうん?」「締め切り間に合わんかったんかな。来月かな」翌月も影も形もありません。少しショック。
 しばらく経った十月の土曜日、珍しくヒマ。時間つぶしに映画館に向かう途中、仕事を辞めたらヒマなのかと空想。「文学学校に行こう」急に思い立って、Uターンして帰宅。ホームページを見ると、入学式は終わっているにもかかわらず、まだ入校できそう。詳しくわからないまま、「好きな作家? 久世光彦」申し込みフォームを適当に記入し終えて送信。
 昼寝をしていたら、事務局から電話がありました。フレンドリーな感じで、少し話をすると、簡単にクラスが決まり、「じゃあ、火曜日ということで。がんばってください」と、淡々と手続は終了。少しワクワク。帰宅した妻に「文学学校申し込んだで」と、ホームページを開くと、早速、私の申し込みが紹介されていました。「これ俺やんっ。俺やでっ」と、いつものように妻と息子を置き去りにして、テンションが上がりました。「良かったねぇ。楽しそうやわ。がんばってよぉ」「プロみたいな人がおるんちゃうん?」と、妻。「マジで?」「俺、『庭にアジサイ咲いた』がライバルやで」近年、文庫本を読み切ったことのないことに気が付いて、少し不安。合評作品が届いて、さらに不安。
 初登校当日。喫茶店でコーヒーを飲み終えると、「文学学校? 二軒隣のビルの三階ですよ。新入生? がんばってくださいね」と、応援をいただきました。ビルに入ると、そこは、ちゃんと、学校でした。佐伯チューターの穏やかな紹介で、クラスが始まった途端、えらい所に迷い込んでしまったことに気が付きました。校正の指摘、次々に繰り出される豊富な言葉。圧倒されました。「大変だ……ここは」
 初めての合評の日。梅田でコーヒー。谷町六丁目でコーヒー。僕も「庭にアジサイ咲いた」が書けるようになりますように。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・12・2〉

23秋 入学生の想い

夜間部本科 池永 修治(奈良県)

一発当てたい

私は卑小な人間です。
 この学校に入学した動機が自分にしか書けない小説を書いて褒めてもらいたい、小説を書いて一発当てて印税で家のローンを返したいなんて誰にも言えません。絶対に言えません。妻にも大阪文学学校に通っていることは秘密にしています。会社の同僚はもちろん、古くからの友人含めて自分の身の回りの人に私が大阪文学学校に通っていることは内緒にしています。なぜなら、小説を書いていることを言うと「いつか読ませてください」的な反応を相手に強要することになる気まずさが伴いますし、妻に言ったら「子供ほったらかしてあほちゃうか?」と言われるのが関の山です。こそっと始めていつの間にか自信が持てたときに、ごく控えめに言うことくらいはあるかもしれませんが、それまでは絶対に言えません。だから「小説を書くために私は生まれてきた」なぞと私が壮語することがあったときはどうか皆さん私の本心ではないことをご留意ください。
 私は今まで執筆活動はしたことがありません。ソーシャルメディアで恥ずかしい短文を書き残すことはあっても、路上で干からびて死んでいるミミズのような文章です。私は本を読むことは好きです。図書館やブックオフは私にとってはテーマパークのような場所で一日中いても苦痛になりません。でもなぜか私は、本に囲まれていると頻繁に便意を必ず催します。初めて行く図書館や本屋さんではまずトイレの場所を確認するほどです。Googleで調べてみると、このような現象を「青木まりこ現象」と言い、Wikipediaには「1985年にこの現象について言及した女性の名に由来する」と書いてあります。私だけではないのだ! これでわたしは有名書店だろうが、国会図書館だろうが堂々と青木まりこ現象に襲われていることを告げ、トイレを借りることができます。「抱負」を述べるはずでした、失礼しました。改めて「抱負」という言葉と向き合うと、なぜ負けるという字が入っているのかと不思議になったので、カチャカチャ調べてみますと、「負」は「負う」という意味だといいます。「抱えて」「負う」とは、私みたいな人間には強迫観念しか覚えません。なぜなら私は褒めてもらい、一発当てたいという卑小な人間です、抱えて背負っているのは、のこり10年余りの会社人生で返せそうにないローンくらいです。今回の学費も傾いた会社が上場廃止をし、入社当初の何年か積み立てていた数少ない持ち株を売ることができた(売らざるを得なくなった)のでそれを充てて入学しました。もちろん妻に内緒です。そういう臨時収入がなければ自分の小遣いを切り詰めて学費にするなぞという涙ぐましい努力ができたかかなり怪しいと自分でも思います。入学をして2か月足らず経ちますが、同じクラスの方々の作品を読むと圧倒され、自分の動機の不確かさと浅はかさで体が押しつぶされ、ぺらぺらになりそうです。いったんもめんよろしく、ぺらぺらになった私でも自分の卑小な願望をかなえるため、ぺらぺらなりの矜持をもって、ぺらぺらな文章を書いてゆきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・12・2〉

課題ハガキ
文学学校入学にあたって

昼間部本科 小池 和代(大阪府)

入学式に一番乗り

四十にして惑わずという言葉がある。それに反して、私は惑いまくりの五十二歳だ。今年の猛暑、文学学校への入学を申し込んでしまった。それもいきなりオンラインでだ。その直後「近所のカルチャーセンターに行ってください」と入学拒否されるかと怯えた。そう言われたら、文学学校推薦のカルチャーセンターを教えてもらえば良い事だ。と前向きに考えたのは、やはり年の功か。
 その後、事務局の小原さんから確認の電話を頂いた。近所のおじさんのような話しぶりが楽しかった。門前払いもされず、無事に文校へ潜り込めた事に安堵した。後は、十月の入学開講式を待つばかり。たとえ週一でも、再び学生に戻れるのが嬉しい。「イェーイ」てな気分で、入学までの日々を過ごすようになった。
 入学開講式には、やはりベレー帽と眼鏡でキメて行くか? それでは漫画道場か? とワクワクして迎えた当日は、谷町六丁目で迷子になりつつも一番乗りで到着。初めての文校のビルと教室は、想像以上でも以下でもなかった。正に私の想像通りの経年劣化と雰囲気が良かった。そこに、ぽつねんと緊張して座りながら「皆に、四十分前精神を教えたらなあかん」と、緊張して変な事を考えていた。
 あの日から約一ヶ月経ち思うのは、思い切って飛び込んでみて良かった。これに尽きる。自分が書くのも、人の作品を読むのも、私には凄く難しい。合評も緊張する。でもその分、チューターとクラスメイト達と飲む、ゼミ後のビールの美味しさよ。と書いたは良いが、次の合評や飲み会では、掴み合いの喧嘩になったりして。それはそれで戸惑いながらも楽しんでいきたい。私は五十二歳でピカピカの新入生なのだから。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・12・23〉

課題ハガキ
文学学校入学にあたって

通教部本科 古松 恵子(愛知県)

等身大の自分を書く

私が、毎日読みもしない新聞(*)をその日に限って熱心に読んでいたら、文学学校の募集がガツーンと入ってきた。その頃、母の介護に奔走しており、とりあえず記事を切り抜いた。しばらくして、入学意思も固まらぬまま事務局に電話をすると、「今なら入学名簿に載せてあげますよ」と。エスコートして下さるまま申込書をメールしたが、それでもまだ他人事だった。後日、作品締め切り日が三日後であることを認知した。書かねば~。中学生以来の作文だ。タイトルは、小学生が書きそうな「母の事」。縦書きの原稿用紙も五十年ぶりかもしれない。横書きで枠のない紙に書くのとは頭の働き方が違うかと思うぐらい書き難かった。書き上げてから、私をここまで育ててくれたのを当たり前と思っていたのに気がついた。お詫びをした。今日も母は何度も同じ話を繰り返す。そんな母が愛おしく思えた。紙に書くとは、神に書く事と聞いた覚えがある。飾り立てるような嘘は書けない、誰かの真似をしたようなきれいな言葉も使えない、ただありのままの等身大の自分を書くしかない。歳を重ねて、自分の感性が鈍っていくようで怖いが、これからも、今の自分を精一杯書いていきたいと思う。
*9月21日付「中日新聞」
〈在籍半年 「文校ニュース」23・12・23〉

課題ハガキ
最近強く思うこと

通教部本科 塩崎 拓(大分県)

ぼくの願い

八月下旬、大分の別府市で大学生をしているぼくは、沖縄の友達と一緒に座間味島へ遊びに行った。座間味島の海はとてつもなく綺麗で、はしゃいで遊んだぼくたちは案の定日焼けで肌が散々なことになり、寝られない夜を過ごして泣くことになったわけだけど、まあそれはそれでいい思い出だ。ぼくはそんな愉快な思い出たちと、未だにひりつく黒焦げの肌とをたずさえて、今度は沖縄から大阪の和泉市に向かった。大阪から大分へはフェリーで帰れるから、そのついでに和泉市にいるおばあちゃんに会いに行くためだ。
 今は沖縄で暮らしているお母さんのお母さん、つまりぼくのおばあちゃんは、両目に白内障と緑内障を患ってるから目がよく見えないらしいんだけど、それでも家のドアを開けて現れたぼくの姿をいちべつするなり「よく日に焼けたねぇ」と言って、優しく笑ってくれた。それからお昼を一緒に食べたぼくとおばあちゃんは、コーヒーを飲みながらゆっくりしてたんだけど、その時「そういえばね」と、おばあちゃんはある話をしてくれた。それはぼくのお母さんの、それもぼくが一言も聞いたことのない話だった。
 ぼくには四歳上のお兄ちゃんがいるんだけど、お兄ちゃんが生まれてからしばらく、お母さんは神奈川にあるお父さんの実家にいたそうだ。ぼくのお父さんの実家は赤ちゃんに寛容じゃなくて、おもらしをしたお兄ちゃんを怒ったり、お兄ちゃんのお世話でご飯が食べられなかったお母さんの分を先に片付けたり、お母さんに優しくなかったという。そんな扱いを受けているのを知ったおばあちゃんは怒って、神奈川まで迎えに行ったんだけど、その時のお母さんと出会ったのは実家じゃなく、近くにある公園の木陰だった。そしてお母さんは、泣いているお兄ちゃんを必死にあやしていたんだって。真夏日の暑さの中、日焼けでボロボロになった両腕で、大切そうにお兄ちゃんを抱きながら。
 もしかするとぼくたちは、自分だけじゃなくて、他の大切な方々の泣いている姿を、ふと、記憶の中で見つけることがあるのかもしれません。そういう時はそうっと、心の中で抱き寄せて、頭を撫でてあげてくれませんか。それがぼくの、心からの願いです。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・12・23〉

スクーリング体験記

通教部研究科 和田 幸世〈さちよ〉(静岡県)

Mission in Osaka

スクーリングに参加するのは初めてではない。過去三回参加している。過去三回のスクーリングでは、まず当日が近づくと気が重くなってくる。合評会で上手く話せる自信がないし、薄っぺらい感想しか言えないし、遠いし、人見知りだし、頻尿だし。と後ろ向きな弁解ばかり頭の中に浮かび、いっそのことZoomに切り替えてしまおうかと思ったりする。それでも勇気を出して参加すると、書きたい気持ちが湧いてきて達成感も感じてはいた。
 今回のスクーリングへの意気込みは過去三回とは違った。今回は自分にミッションを課して参加することにした。①知り合いを作る ②合評会だけでなく懇親会にも参加する ③大阪城を見てくるというミッションだ。①②については「交流会……作品とだけでなく人との出会いも」という文校ニュースに載っていた言葉に背中を押された。また「小説には技術や感性はもちろん必要……でも『人間同士の交わり』も大切……だって小説はどこまでも『人間』を描くものだから」という樹林10月号のクラス紹介のページの岡本さんの文にも感銘を受けたからだ。(文校ニュースも樹林もいいことたくさん書いてあるね)③については娘の言葉に奮起した。「お母さん、折角大阪まで行って観光もしないでとんぼ返り? お一人様を楽しめるシニアにならないと後の人生の大きなイベントは死しかないよ。そんなのつまらないでしょ。歩けるうちはどこへでも行く。生き方変えな」とはっぱをかけられた。
 さて、合評会の前に朝井まかてさんのビデオ講演があった。朝井さんは文校のことを「わが母校」と呼んでいるそうだ。私もそう呼べるように文校にどっぷり漬かりたいものだ。ビデオを観た後、机や教室の移動のための時間が少しある。この時間に腹ごしらえをする必要がある。13時半からの合評会にすきっ腹のまま参加すると、人前で話さなければならない緊張と相まって胃が痛くなるのである。それを防ぐため家からおにぎりを握ってきた。教室内で物を食べている人はいないので、第一教室を出て廊下の突き当りで一人もしゃもしゃと食べ始めた。そこへ同士がやってきた。「私も食べます」と言うなりつやつやとした柿を取り出し丸のまま皮ごと食べ始めた。ワイルドな食べ方をするご婦人はNさん。知り合い第一号。合評会が始まった。新しいタイプの恋愛小説、昭和初期の社会派小説、夫婦の有り様をユーモアを交えて表現したものなど作品はバラエティに富んでいる。自分にはないセンスや発想、描写力に刺激を受ける。自分が読み取れず疑問に思っていたことが他の人の批評を聞いて霧が晴れるように分かった時は感動すらした。意気込みを持って参加したせいか、いつもより多くの発言ができた。「あなたの読み取り方を聞いて私もより深く今日の小説を読めた気がする」と沖縄から参加のOさんに褒められる。幾つになっても褒められると嬉しいものだ。
 この後、懇親会にOさんと徳島から参加のSさんと参加した。いい温泉地や一週間後に締め切りが迫っている次回作についての情報を交換する。私のところへマイクが回ってきたので自己紹介をする。「徳川家康のご遺体は日光東照宮にあると言われていますが、本当は静岡県の久能山東照宮にあるのです」などと言って静岡をアピールしておく。元気に挨拶できて大変よろしいと事務局の小原さんに褒められる。今日二度目だが、何度褒められても嬉しいものだ。
 翌日、大阪城を見に行った。石垣の大きさと石積みの見事さに目を奪われた。「ここに茶々様が居たんだ……」と感慨に耽る。ミッションコンプリートである。
〈在籍三年 「文校ニュース」23・12・23〉

特別講座に参加して

通教部本科 阿部 慈子(大阪府)

感激の夕べ

葉山理事にいざなわれて講演テーブルに着席した三田誠広先生は、紹介を受けている最中、目を伏せて、何かずっと遠い世界の果てのことを想うような表情をしておられた。作家というより哲学をする人という雰囲気を漂わせている。その三田先生がマイクを手にして立ち上がり講演を始めるや、一気に我ら聴衆を想像力の船に乗せ、文学と思想と歴史の大海原へとグイッと漕ぎだしたのである。まず初めは近著『光と陰の紫式部』『善鸞』の登場人物と歴史的背景についての話をされた。有名無名の人物たちが綾なす出来事を非常にテンポよく、そして分かりやすく講釈して下さる。もちろん小説の中身は著書を読んでからのお楽しみであるが、登場人物という縦糸と時代の横糸、そして三田先生の斬新な観点で紡がれていく色あざやかな文様が目に浮かぶ。三田先生はこう言った。「自分が書く人物たちのなかに、私は自分自身を書いています」と。私は三田先生の描く人物たちが、時代に流されて没個性化せず、最後まで自分の人生に対して真剣に向き合う理由を理解した。私が初めて三田先生の著書を読んだのは、もちろん中学時代の『いちご同盟』。その後も学生時代に『地に火を放つ者』『謎の空海』『星の王子さまの恋愛論』と、その時々の人生に愛読してきた人間である。若い頃から私の考え方に影響を与え続けてきた作家にこうして実際お会いするというのは感激に値する。演題である〈近代小説の起源と現況〉について、近代人に芽生えた自我、そしてその自我の成長を、時代を追って丁寧かつ物語性豊かに説明して下さった。例えば、漱石の「三四郎」や「こころ」、藤村の「破戒」、花袋の「蒲団」。近世以前の人間が考えなくてもよかった「自分とは何者なのか? 自分は如何にして生きるべきか?」という近代人の心の問題や、様々な秘密を抱え煩悶して生きる人間の切ない有様は、現代にも通じる創作の源である。
 講演の後、サインを求める方々の長蛇の列が三田先生の前にできた。事務局が用意してくれた販売分の本は、講演前に飛ぶように売り切れてしまい、私はサインの機会を逃してしまった。しかし嬉しいことに、急遽、文校近くの中華料理屋で「三田先生を囲む会」を開いてくださった。私は心の中でガッツポーズしながら懇親会に参加した。三田先生は乾杯の時に「一期一会に乾杯!」と言って、参加者と時間を共有してくれた。私は、三田先生のお隣の席に陣取った。三田先生は、私が生ビールを飲み飲み、歴史や創作活動についてあれこれ質問をしてもいやな顔一つせずに一つ一つ丁寧に答えて下さった。本当に嬉しかった。心に残る最高の夕べであった。
〈在籍半年 「文校ニュース」23・12・2〉

学生委員会の活動

23年度秋期学生委員長 谷 良一(夜間部研究科)

大阪文学学校の学生は個性の塊です。
 みんな強烈な自我の持ち主で、それぞれがその我を隠すことなく主張し、叫びます。
 そんなきつい集団の中で、ひっそりと、目立たぬように、陰に隠れるように、みんなのために頑張っているのがわれわれ学生委員です。
 決して報われることを求めず、ひたすら人のために動いている学生委員に、自然と陽が差します。学生委員はいつの時代も人気者、みんなの憧れの的です。
「あれが学生委員のUさんよ、凜々しいわねえ」
「キャー素敵、あれがMさんか、かっこいいなあ」
「Fさん、いつも渋いなあ、ほれてしまうわ」
 学生委員の行くところ常にファンがついてまわり、賞賛の嵐です。

 ここでその憧れの学生委員が何をしているかをお教えします。
・在特部:学生が応募して、学生が選考する樹林・在校生作品特集号の制作をします。
 在特号は高校球児における甲子園のようなものです。
 自分の好きなことを楽しみたいと思っている人も、プロを目指す人も、決して避けて通れないのが甲子園であり在特なのです。
・イベント部:春と秋の文学散歩、夏季合宿、冬の文学集会など文校生の楽しみであるイベントを企画・制作します。ちなみに昨秋の文学散歩は万博記念公園、昨年の夏季合宿は熊野新宮に行きました。
・新聞部:発行する「コスモス」は文校ニュースとはひと味違う文学趣味にあふれた新聞です。在校生が投稿した詩やエッセイ、小説などが随時掲載されます。
 新聞づくりの楽しみを味わってください。

 さあ、みなさんもこのすばらしい学生委員の一員になってみよう!
 きみも、そしてあなたも!

学生委員会は、隔週月曜日の夜に開催致します。月曜日の夜に都合のつく人は、是非ご参加下さい。

うちのクラスは
こんなんやで

間瀬 翠

昼間部本科/小説(夏当紀子クラス)

まだ誰も来ていない教室の、澄んだ空気の中にある机と椅子とホワイトボードを見るのが好きだ。授業が始まる午後二時に向かって、ひとり、ふたり、無機質だった教室は、生徒の体温と言葉で徐々に活気を帯び始める。その感じも好きだ。
 誠実で熱心なチューター。教養溢れる学校や塾の先生方。お洒落な資産家の社長。知性をユーモアで隠す英語の通訳ガイド。思慮深くスマートな大学院生。優雅な年金暮らしの方。疲れを見せない子育て奮闘中の母親。子育てを終え自由を取り戻したエネルギッシュな主婦。歳も性別も職業も、何ひとつとして共通点のない、私のクラスメイト達は、文学という、たったひとつの絆で繋がっている。
 一週間に一度しかないゼミで顔を合わせるだけなのに、自分の中にある思想という一番濃い部分を、惜しげもなく見せあう。恥ずかしい。恥ずかしくてたまらないけど、授業では全てを曝け出し、本音でぶつかる。共感する、意見する、笑う、泣く。そして、気が付けば、大人になっても友達はできるんだと、喜びをかみしめたりする。
 どうしても教室で言えなかったことが、合評後のカフェでの集まりで、ポロリと誰かの口から零れる。あれが書けるのは変態だな。そんな言葉にも、全員が笑う。言われた本人も笑う。その奥には、作者への尊敬と期待があると、みんな分かっているから。
 夏当チューターやクラスメイト達の講評、そして飛び交う意見を聞きながら、書こう、もっといいものを書こう、と心が震える。授業の帰り道は、ひとりになっても、いつも微かな興奮が身体に残っている。夜の帳が下りて、鏡になった車窓に映る自分を見ながら、この学校のこのクラスに入れて良かったねと、幸せそうな顔に語り掛ける。
 ――我がクラス、大体、こんな感じでやってます。

うちのクラスは
こんなんやで

足立 崇

夜間部本科/小説(西村郁子クラス)

「私たちは作品で繋がっているのであって、それ以上でも以下でもない」
 西村チューターの言葉のとおり、文校のクラスメイトは友達でも、ビジネスパートナーでもないし、そもそもみんなが何者なのかよくわからない。文校に来なければ、目の前に小説がなければ、関わることのない人たちだ。ここでは個人がどんな性格で何の仕事をしているのが注目されることはないし、たとえ素行の悪い者(僕)がいても、クラスから排斥されることはない。ただ純粋に、提出された作品のみが評価される。
 西村クラスの合評は、みんなの作品に対する真摯な姿勢が特徴だ。良い書き手になるために、他人の作品を丁寧に読む。独りよがりの視野が狭い批評はなく、自分はこう読んだ、ここは良かった、ここは気になった、と作品に対する敬意をもって合評が行われる。クラスメイトは例外なくみんなが良い読み手で、僕は母親に抱かれた赤ちゃんのように、安心して作品を出すことができる。
 合評が終わったら必ず居酒屋おくまんに行く。良い読み手たちは、アルコールでオブラートをどこかに流してしまい、むき出しの言葉を吐き出す。たまらなく面白いし、ここにこそ西村クラスの一番の良さがあると思っている。何者かよくわからないクラスメイトに、自分を丸ごとさらけ出した作品を読まれ、酔っぱらってあれこれ語り合う。ほとんど覚えていないけれど、確実に自分に残るものがある。
 私たちは作品で繋がっているのであって、それ以上でも以下でもない。
 それでも僕は、半年と言わず、一年と言わず、みんなとズッ友でいたいと思う。