在校生の声

課題ハガキ

昼間部本科 富田晋二 大阪府

文学学校入学にあたって

定年祝いの宴会、大勢の仲間の前で、酔っぱらった私はこんな宣言をしてしまった。
「学生時代からの夢だった小説家になり、直木賞をとって悠々自適の生活を送る!」
 家に帰って、妻にも同じことを言った。すると、間髪を入れずに妻が静かに言った。
「また法螺(ほら)を吹いて! 書くのは勝手だけど、条件付き! 家庭の恥を世間に公表しないこと! 私の悪口を絶対に書かないこと! 法螺の実現時には、賞金は私のもの!」
 私小説での直木賞挑戦を目指していた私は、その言葉に苦しんだ。しかも、生活のために同じ職場で働くことになり、仲間が冷やかし半分でいつもこんな風に尋ねてきた。
「傑作はもう出来ましたかね? 受賞パーティを楽しみにしていますよ」
「もったいぶらずに、ペンネームを教えてくださいよ。本を探して何冊か買いますから」
 そんな時、私はいつも苦しまぎれに……、こう答えてきた。
「直木賞は、家庭平和のためにやめた。ミステリー小説で、江戸川乱歩賞をねらう!」
 あれから数年、人は『まだか、まだか』と尋ねる。私は今まじめに……、こう答えている。
「多くの文学賞作家が出ている『大阪文学学校』に通って、基礎をしっかり学んでいる。目標はぐっと近づき、乱歩賞はすぐそこに見えてきた。もう少しだけ待ってくれ!」
〈在籍半年 「文校ニュース」20・6・6〉

課題ハガキ

通教部本科 松浦このみ 東京都

文学学校入学にあたって

応募の動機を思いつくままダラダラ書いて、入学申込書を送信した。
 数日後、文校ブログを見る。えーっ!? ダラダラ文が全文載っている。
 公開されるものだったのか。油断ならない学校だな……。
 不用意に何かを書いてはいけないぞ。
 初めての郵便物が届く。ワクワク。最初の課題は何かな。まずは原稿用紙2~3枚で書くのかな。プリントを隅々まで見る。ない!
 課題テーマも字数指定もどこにも書かれていない。
 さては事務局さん、入れ忘れたな。
 樹林通教部作品集を読む。わ。長い。本格的。まるで作品のようだ。
 そうか、作品集なのか。
 え? ということは……、いきなり好きなことを好きなだけ書いて送る、ということなのか、もしかして。シュノーケルの付け方も知らないのに、大海に放り出されてしまうのか。とんでもない学校だな……。
 場違いなところへ入学してしまった。どうしよう。
 落ち着こう。まずは広い海を見渡そう。パシャパシャ水音を楽しもう。上手くはないが、とりあえず泳ぐことはできる。
 どこにたどり着くかわからないけれど、少しずつ、ゆっくり泳いでみるか。
〈在籍半年 「文校ニュース」20・6・6〉

はじめてのスクーリング

通教部本科 関 篤子 新潟県

禁断の握手

私の住まいはうまいお米のコシヒカリで有名な新潟県魚沼市です。この春、大阪文学学校通信教育部に入学しました。なんではるばる新潟からわざわざ大阪の学校を選んだのかと聞かれれば、ただ運命に導かれてと説明することにしています。
 どんなことが始まるのか全く見当がつかない中、とりあえず、初めての作品を書き上げて提出しました。すると、なんと、数日後に事務局の方から電話があって、私の作品が塚田チューターの推薦を受けて、「樹林」通教部作品集に載るからデーターを送ってほしいというのです。ほんとにびっくりしました。何かの間違いじゃないかとも思いました。しかしまあ落ち着いて考えてみれば、所詮田舎のおばあさんの作文でしかないわけだから、大した作品であるはずがないということに気が付きましたが、それでも、私の書いたものが大勢の人の目に触れることになるなんて二度とないと思うとこれはもうどうしても大阪へ行かなければならないと思い詰めてしまったのです。コロナ禍の中ではありましたが、他県との往来が自由になったことを幸いに夫や子供たちを説き伏せて、スクーリング前日の土曜日、上越新幹線の浦佐駅から東京へ向けて出発しました。東京まで一時間三十分、東海道新幹線に乗り換えて新大阪までおよそ三時間、都合五時間の長旅でしたが、修学旅行の中学生のように期待に胸を膨らませて、あっという間に大阪に到着しました。
 翌日、プレ・スクーリングから参加して、夕方六時近くまでみっちり文学の中にいました。こんな経験は初めてでした。これまで小説を読むことはしても、自分で書こうとしたことがなく、書く人の立場から考えたことがなかったので、合評会では皆さんのお話を聞かせてもらうだけで精一杯でしたが、参加者の皆さんがとてもパワフルで刺激をたくさんいただきました。そして、帰り際、一人の女性が私を追いかけてきて「とてもよかったです。また会いましょう」と言って私に今や禁断の握手を求めてきたのです。そのことを、後で何回も思いだして「やっぱり行ってよかった!」と一人で幸せ気分に浸っています。次回いつ参加できるかわかりませんが、先日Zoomによるオンラインイベントを初めて体験し、その方法にも今後の可能性を感じています。
〈在籍半年 「文校ニュース」20・8・8〉

20春 入学生の想い

夜間部本科 井垣厚子 73歳/大阪府

多世代の中で七十代からのスタート

教室で四月から始まるはずが、コロナのせいで作品はメールでのやり取り、講評もメールでという状態になった。お目にかかるまで、その作品を書かれた方の人となりは想像の世界だった。
 文学と呼ぶにふさわしい作品が、次々とメールで送られて来て、どのように講評を書くのかもよくわからずの三ヶ月が過ぎた。
 七月七日、待ちに待ったゼミが文校で始まった。
 今まで文学と程遠い暮らしをしてきた私が、文学好きの人が集うこの学校に本当に参加しても良いのだろうかと内心ビクビクしながら出掛けた。年齢層も高校生から二十代・三十代、五十代、七十代と様々。
 その教室には、書くことが好きという、今まで出会ったことがないバラエティに富んだ人々が集っていた。世代によって作品に対する感じ方も、もちろんその方の実力度によっても感想が違う。普通に生活をしていてこのような多様なメンバーで、同じ作品を批評するということは経験できることではない。でもそれはとても面白いことと感じた。
 しかし、いざ自分自身が作品を書くということになると、慣れていない私にはとても大変なことだった。
 そして、文校では幼稚園レベルの自分の文を講評されるおそろしい日を迎えた。不慣れな読みづらい私の文章に対し、西村チューター始め、皆さんが様々な視点から優しく改善点を指摘してくださり、本当にありがたかった。そして少しずつ自分の文章を書いていこうという方向に、気が向くようになった。
 五十歳になった時、思いがけず夫が写真館を立ち上げ、私自身運営に携わるようになって二十数年が経った。色々苦労はあったけれど、本当に沢山のお客様とのステキな出会いがあった。
 写真館ってこんなにドラマチックな仕事なのだとは思いもしないことだった。
 そしてこれらのお客様のステキな物語を、自分の手で書き残せないか、といつしか考えるようになっていた。そして残すなら、出来れば読みやすい文章にしたいと考えたのだ。
 七十代になってのスタートは少々無理があるかも知れない。でも新たな魅力的な人達との出会いと、それらの方々の作品を読ませてもらえるというのは、きっと私自身の大きな力となると信じて頑張りたいと思う。
〈在籍半年 「文校ニュース」20・8・8〉

20春 入学生の想い

昼間部本科 岡本 無礼朗(なめろう) 24歳/兵庫県

ぼくの分身が〝出会いたい〟とわめく

抱負ってなんですか。
 抱いたり負ったり忙しいですね。昭和のおっかぁですか。
 抱負ったってもう夏も盛りに入っちゃいましたけど、無理にフレッシュな気持ちをひねり出してみましょうか。
 僕が作品を書き出して、十年かそこらになります。諸先輩方に比べりゃ短いモンかとも思いますが。
 初めて書き上げたのはサラリーマンの幽霊と少女がバス停で喋るだけの話でした。それが唯一の長編作品です。
 新人賞の締切が高校のホームステイに重なりまして、異国の知らない家のリビングで泣きながら書きました。「となりのトトロ」のような日本情緒を取り入れたかったのに、我が身は雄大な荒野をバスで行くというのは、こう、閉口ですよ。
 それを皮切りにして、妖怪が来る喫茶店の話や、蛾の幼虫を飼う高校生の話、滅びた文明の跡で鉄クズを拾う話、へたれた天才作家と男勝りの酒屋の娘の話なんかを書きました。
 書ききれたものも、書ききれなかったものも、書ききる気はあったのだけどもデータを紛失したものなどもあります。決して多作ではありません、むしろ寡作の部類だとは思いますが、この十年ほどの間、作品たちは生まれ続けてくれました。
 僕は、作品とは読み手に出会うために生まれてくると考えています。
 作品は誰かの中から何かの拍子に湧き上がってきて、出会いたい出会いたいと叫びます。婚活中のアラフォーも真っ青なくらい。
 生まれたからには出会わなければ。

 僕は自身の作品やペンネーム(いくつもあります)に、それぞれ人格のようなものを感じています。作品のことを「あの子」と呼んだり、ペンネームを指しては「彼」と呼んだりします。どうやら無礼朗くんは跳ねっ返りの気があるようですね。
 もちろん作品の登場人物もまさに我が子です。完成した作品のものも、頓挫した作品のものも、まだ構想中の作品のものだって、みなかわいい子どもらです。
 そして同時に作品やペンネームや登場人物たちは、僕の分身たちです。私小説として自己投影したものでなくとも、登場人物たちはどこか僕の欠片を持っています。まるで遺伝子のように。
 だからもしかすると出会いたい出会いたいという声も、僕自身のものと言えるのかもしれません。たしかに僕はここへ出会いに来ました。婚活ではないです。僕に、僕の分身たちに、僕の子どもらに出会ってくれるあなたがたに出会いに来ました。だから本当は技術的な進歩は二の次くらいなんです。
 出会いたい出会いたいとわめく彼ら彼女らを引き連れ、出会わせてやるべく僕はここまでやってきました。20年ぶりに関西に住んじゃってますよ。びっくり。
 まさに抱き負ぶってはるばる来ました。
 僕はこの子らのおっかぁですから。
〈在籍半年 「文校ニュース」20・8・8〉

20春 入学生の想い

昼間部本科 片岡美登里 大阪市

ライティング・ハイ

週に二回から三回、早朝や仕事の合間をぬって十キロから十五キロほど走っている。大阪マラソン、神戸マラソン、名古屋ウィメンズマラソンのどれかには抽選に当たり、年に一度か二度はフルマラソンのレースに出場している。小学生の頃からずっと、体育の授業で長距離走がある日は、なんとかズル休みできないかと考えていた自分が、そんな事をするようになるとは夢にも思わなかった。
「何が楽しいの?」
「なんでそんなしんどいことするの?」
 まわりからもしょっちゅう聞かれるが、十数年経っても未だ的確に答えられない。そしてもうひとつ、よく聞かれることがある。
「ランナーズ・ハイってどんな感じ?」
 限界ギリギリの状態で走り続けると、ある瞬間から無になれる。あるいはふわりと体が軽くなり、苦しさがウソのように楽になる。らしいが、これも未だ一度も体験したことがない。その理由はわかっている。私が限界まで走ったことがないからだ。もう限界だ、と思いながら、もう少し頑張れることに気づいて気づかないフリをしているのだ。いつもどこかで怖がっている。
 一度だけでもランナーズ・ハイを感じてみたいと思う。自分の壁を破る走りをしてみたいと思う。それがしつこく走ることを続けている本当の理由かも知れない。

 走ることと、小説を書くことはすごく似ていると思う。少なくとも私にとっては、そうだ。この春から大阪文学学校に入学して、合評会というものを初めて経験した。クラスの人達からは、原稿用紙三十枚、五十枚、それ以上の枚数の作品が当たり前のように提出される。それだけでも圧倒されてしまうのに、それらの作品を読むたび、「自分にこんな発想ができるだろうか」「自分にこんな表現力があるだろうか」と愕然とする。私は初めての合評作品で、原稿用紙十枚足らずのものを書くのが精一杯だった。せめて三十枚ほどの作品を書いてみたいと思った。枚数だけにこだわっているワケではない。書きたいことはあるのに、取り組む勇気が出ない。最後まで書き上げる自信がないのだ。そんな私にチューターのひと言が刺さった。心地よい痛みだった。
「これを書きたい! って気持ちが心の底からどっと湧いて出て来る時があって、そんな時はひと晩で三十枚や四十枚、一気に書けてしまうこともあるのよ」
 それはランナーズ・ハイに似ていると思った。言わば、ライティング・ハイだ。もちろん私はそれも一度も体験したことがない。きっとまだ限界まで自分に向き合っていない。怖がっているのだ。
 先日やっと二回目の合評作品を書き上げたが、書いては迷い、迷いながら書き、ライティング・ハイには程遠い状態だった。マラソンで言えば、攣りそうになる脚でなんとかゴールできたという感じだろうか。それでも、今まで避けてきた、アップダウンの多いコースを選んだだけでも進歩だと思いたい。原稿用紙約五十七枚を書き終えた持久力は、まだまだ鍛える余力は残っている。次に書きたいテーマに向かおう。今度はライティング・ハイを知ることができそうな気がする。
〈在籍半年 「文校ニュース」20・8・8〉

学生委員会の活動

20年度春期学生委員長 南 成彦(夜間部研究科)

主に社会人が集まる大阪文学学校になぜ学生委員会があるのか不思議に思う方も多いかもしれませんが、何十年もの間途切れることなく存続してきた歴史ある組織だという事実があります。
 学生委員会が掲載作品選考会を主催し、そこで選ばれた在校生作品だけで編集された同人誌『樹林・在校生作品特集号』が授業に使われるという例外はあるものの、委員会活動のほとんどは文学学校正式カリキュラムの外にあります。学生委員会などなくても学校はすでに完結しているわけです。
 ですから、学生委員会はその活動をとおして、大阪文学学校にプラスアルファ――なにか付加価値的なもの――を作り出しているだけだとも言えます。授業料の対価として本来提供されているものより少し余分なところを、文学を学ぶ場、創作を行う空間としての文学学校周辺に、上乗せするためだけに自主的に活動している集団なわけです。
 あってもなくてもいいものにはちがいないわけですが、芸術一般しかりで、そういう類いのものが無意味なものとはかぎりません。それどころか、あってもなくてもいい余分なものこそが、大阪文学学校を文学創造の場として特別な存在にしていると私は信じています。
 文学学校においてあってもなくてもいいがそれでもなお、いやそれだからこそ、大切なもの――そのすべてがイコール学生委員会とは言いませんが、そんな愛しき"余分"を生み出し続けている人々がここにはたくさん集まってきます。

(学生委員会の三つの主な活動)
①『樹林・在特号』の制作
 発行部数で日本最大の同人誌『樹林』の『在校生作品特集号』の制作を年間二回任されています。この『在特号』は、学生が書いた作品の中から学生が掲載作品を選び、学生が編集して作られます。
②学生新聞の制作
 学生新聞『コスモス』を制作・発行しています。ごく最近では、慣れないリモート取材などを重ね「コロナ号外」を発行しました。
③イベントの企画・運営
 本来は、作家・文学作品ゆかりの地を訪ねる校外学習、文学漬けの一泊合宿、学園祭である「文学集会」などを開催しています。コロナ下では、オンライン懇親会などを行なっています。自然発生的ながら学生委員会も深く関わったリモート会議では、「コロナで集まれなくても文学活動を途切れさせてはならない」と学校を鼓舞してほしいといった文学学校愛に溢れた声が多く聞かれました。

うちのクラスは
こんなんやで

峠(たお)早希

昼間部本科/小説(夏当紀子クラス)

夏当クラスは、毎週金曜日、午後二時から始まります。十四名が在籍しており、男性四名、女性十名です。スタート時予期せぬコロナで「どうなるのかしら」と思ったのですが、オンラインでの顔合わせとお話する機会を経て、現在、学校の教室でオンラインも併用して合評をしています。
 合評では、それぞれが作品に対して面白かったところ、良いと感じたこと、分かりにくかったところ、もっとこうすればさらに良くなるのではないか、など素直で率直な意見を自由に述べ合っています。それがスムーズにできるのは、長く小説を書いてきたであろうベテランから小説を書いてみたいと最近思った初心者まで、書こうとする者であればどんな方でも受け入れようとする柔らかい「ようこそ」の空気感をクラス全員が持っているからではないかと思います。
 また小説を書くと、登場人物に作者自身の投影を感じたり作者の伝えたい熱い思いが反映されたりします。作品を深く読み込み、味わい、意見を交わし合うことで自分でも気づかないうちに皆と親しくなっていきます。
 自身の作品を「ほとんど実話ですわ」とサラッとおっしゃる人生経験豊かな方がいるかと思えば、とても若いフレッシュな感性で自分だけの空想の世界を目の前に存在するかのように文字で紡いでいこうとされる方もいます。それぞれの全く異なった大切な世界観を表現しようとするその試行錯誤の様を肌で感じられることがそれぞれの創作意欲をさらに掻き立てるのではないでしょうか。
 書いてみたいというその想いさえあれば、自分の可能性を自分だけでなく周りの人も一緒に広げていってくれる、そんなクラスだと感じています。

うちのクラスは
こんなんやで

木下佳奈

夜間部本科/小説(西井隆司クラス)

皆さま、こんにちは。
 本日は西井航空241便「未開の文学行き」にご搭乗頂き、誠にありごとうございます。
 当機のパイロットは十一人の交代制となっており、それぞれの個性を生かした魅力ある旅をご案内いたします。客室を務めますのは、西井でございます。どうぞ宜しくお願い致します。
 まもなく当機は離陸いたします。
 途中、激しい竜巻や落雷に巻き込まれる恐れがありますから、シートベルトは決して外さぬようお願い致します。万が一、何らかのトラブルで目的地に辿り着けない場合も、ご安心ください。機内には非常用のパラシュートを備えております。きっと、窓からでは見ることのない景色が皆さまを迎えてくれるでしょう。
 また西井航空からご搭乗の皆さまへ、さらに旅を面白くするためのお知らせがございます。お手元にスマホ、またはパソコンをご準備頂きましたら、ズームというアプリを通して、当機のパイロットと交流できるサービスをご用意しております。是非とも、ご利用ください。
 なお、旅の最後にささやかな宴も行っていますので、こちらも合わせてお楽しみください。
 さてそれでは、息を呑む予測不能な旅を、最後の着陸の一瞬までご堪能くださいませ。