在校生の声
24春 入学生の想い
昼間部本科 十河裕子 (兵庫県/79歳)
キセキ
私は79歳になるまで一度も小説を書いたことがありません。
いつか小説を書いてみたいとは漠然と思っていました。それにはどのような勉強をすればいいのか、書きたいテーマはあるのか、書く方法や書くための十分な時間など、どれをとっても雲をつかむような話です。現実的では無いと諦めていました。私にとっての現実は、他でもない、仕事でした。甲子園球場のすぐ側で『ヘンゼルカフェ』を営んで50年が過ぎました。29歳で始めて今79歳。店は最近までほとんど無休で私は仕事一筋の「文学」とはおよそ無縁の世界に没入していました。
そんな日々の中で約13年前、近くの高校に通う3人の女の子がお客様で来てくれていました。彼女たちはとてもおしゃれで綺麗な女の子達でした。その中に一人、白いワイシャツに黒のズボンというような個性的なファッションの女の子がいたのです。
「私、歌手になる。そのためにボイストレーニングに毎週日曜日には東京に通っているの」と夢を語っていました。数年後、彼女はついにトップアーティストとなって帰ってきたのです。おととしの11月5日、甲子園球場にて自作の弾き語りライブで4万5千人の観客を魅了しました。ギター一本で。その人の名は、『あいみょん』。
彼女は見事に夢を叶えました。それどころか遥かに想像を超えたキセキをもたらしたのです。彼女はテレビやラジオで『ヘンゼルカフェ』の話をしてくれます。今では『ヘンゼルカフェ』はあいみょんの聖地となって、国内にとどまらず海外からもファンが集う場所となったのです。私までテレビやラジオに出る始末です。
あの時、高校生だったあいみょんはシンガーソングライターになる夢を強く持っていました。夢を持つことがキセキに繋がることを私はまのあたりに見たのです。
その時代、その時代で人々は入れ替わり立ち替わり巡り巡ってゆく。気遣ったり気遣われたりしながら、出会い別れてゆく。その流れの中にスーパースターは存在していたのです。あらゆる人々はあらゆる可能性を秘めて存在しているのに違いない。
それは、あなたでもあり、わたしでもあるかもしれない。
大阪文学学校は昔から私の憧れの学校でした。まさか通えることになるとは夢にも思っていませんでした。願っていれば夢は叶う。強く願うことが大事な事なのです。
私はこの半世紀で、多くの人々の間で、見聞きしたことや感じたことなどを書いてみようと思います。
小説が書けるでしょうか。
79歳の私に果してキセキは訪れるでしょうか。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・6・15〉
24春 入学生の想い
夜間部本科 ましろ無果 (滋賀県/26歳)
不純な動機
なんでもいいから賞とりたい。これが大阪文学学校に入学した理由です。なんかの賞を受賞してあわよくば本という形になれば、よりわかりやすくていいです。
それだけでわたしのおかしい人生の免罪符になって、みんなに許されると思います。みんなって誰って言われてもわたしもわからないです。どう人生がおかしいのか、許されるってどういうことなのか、ここでは説明できません。
でもなんか文学的な部分で偉い人に評価されたらわたしの今までの期待はずれな人生の免罪符になるような気がします。
文章が上手とこれまでの人生で言われてきました。「そう言われたそうにしているからそう言ってもらえただけ」と言われたらそうでしかないです。でも文章だけは苦労せず書けます。そんなわたしにとって文学は最後の頼みの綱です。不純な動機でごめんなさい。
なんでもいいから賞を受賞してみんなに許されて、これから先も好き放題楽しいことだけして甘いお菓子だけ食べて生きていきたい。それが入学理由です。
なんかすごい賞を受賞した時は、東京で授賞式があったらいいと思います。
そして東京にいる好きな人に、「わたしの授賞式が東京であるので、夕方終わった頃にお茶でもしませんか?」とLINEしたいです。多分好きな人は、「その日は外せない仕事があるんだ、行きたかったーごめんね」と言います。わたしはがっかりします。
不貞腐れたわたしは授賞式で花束を抱えながらマイクを持って「ま、こんなもんかーと思いました。これ(なんかの偉い賞を受賞)より嬉しいことは人生でもっとたくさんあったので。好きな人とデートするとか。なのでま、こんなもんかーって感じです」と偉そうに言うのです。そしてネットニュースに載ってプチ炎上したいです。そんな様子を好きな人に見られて呆れられたいです。そういうわけで大阪文学学校に入学しました。超がんばるのでよろしくお願いします。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・8・8〉
課題ハガキ
最近強く思うこと
昼間部本科 廣瀬 浩 (大阪府)
文学青年を取りもどす
六十六歳。家庭においても、会社においても必要とされる場面が激減した、情けないが現実である。二十の頃、六十六歳は老人と思っていた。実際に自分がその年齢に達し、多少分別臭くなっただけで、ほとんど成長していない自身の脆弱な精神構造に気づき愕然とした。運動身体的な衰えを枚挙すれば暇がない。頭は物覚えが悪くなり、有名人の名を思い出すのに「○○に出演して、○○の役で……」周辺部分ばかり思い出し肝心の人名が思い出せず、全く場違いの時に思い出し一人手を打つ。筋肉としての頭脳の衰えだろう。
結婚、子育て、親の介護も経験し、自身の親は看取った。配偶者の親の介護が本格化しそうな状況ではあるが、精神的に成長しないのは何故? 過去の文学青年が急浮上してきた。今なら間に合う「小説を書きたい」そんな思いが膨れ上がり文学学校の門を叩いた。年齢を経て深い洞察力が身に付き、第三者に共感できる描写、心情吐露ができるかと言えばそんな訳はない。入校間もないがチューターの指摘、同好の士達との出会いが私を成長させてくれている。最近強く思います、入校して良かったと。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・8・8〉
24春 入学生の想い
通教部本科 河内 康 (栃木県/25歳)
対話の可能性を探る
私はこれまで二十五年余りの人生で、誰かと真剣に語り合ったという経験がありません。中学・高校はあまり行っていなかったので、ひとと関わる機会が少なかったということもあります。しかしそれだけでは説明しきれないくらい、私は折にふれて対話の困難さと、それへの渇望を味わってきました。ここにはなにか、現代特有の問題がひそんでいるような気がするのです。対話に裏切られ、同時にそれに憧れるというのは、私だけの悩みではないはずだと言いましょうか……。
ちょっとうまく表現できないのですが、たとえば大学の同級生同士で文学の話をするとします。すると現代では、本当に「文学」だけの話になってしまうのです。円環が閉じていると言いますか、そこからより大きなもの(世界とか、人類とか)につながる通路がまったく断たれているような窮屈な感じをおぼえます。つまりここで文学は一つの趣味になっている、誤解を恐れずにいえばサブカルチャーになっているのです。内輪だけで理解し合って楽しめればいい、そういう類いのなにかです。
ところで、現代では文学にかぎらずあらゆる文化の領域が、また文化の領域にかぎらずあらゆる実生活上の話題が、今言った意味での内輪話になっているのではないでしょうか。夫婦が将来を語りあう、子供が夢を口にする、企業家が経営理念を掲げる、宗教家が信仰箇条を唱える。それらすべてが、言葉として発せられたとたん、急速に内側にしぼんで、個別の小さなシャボン玉を形成する。そしてそれはたちまち弾けて、かすかな虚しい音をひびかせる……。
日々の暮らしの中で、私たちが絶対的な地盤の感触を得ることは、もはやほとんどありません。他人とつながったというたしかな手応えを感じることもまた。私たちはつねになにかの表面を滑り落ちつづけています。情熱も、魂の高揚も、そんな上滑りの心に生まれてくれるはずはありません。
しかし、これは本当に避けえない事態なのか、ということを私は考えます。私たちは本当にもう誰とも真剣に語り合うことができないのでしょうか?
実を言うと、私は「大きな物語の終焉」も、相対主義的な世界観も、あまり信用していません。ベルクソンの影響を深く受けている私は、普遍性や絶対に到達することは可能だと思っています。したがって誰かと切実な対話をすることは今なお十分にできるはずだと。とはいえ、頭のなかでそう思っていても、実際に生身の人間と相対したときにそれを実現できなければ、自分と相手の心に大地の感触を生じさせることができなければ意味はありません。私の現在の課題はそこにあります。
私は、この文学学校で、なにかを学びたいというよりも、むしろだれかと話したいと思っています。コミュニケーションが得意な人間ではありませんし、遠方に住んでいるので何回文校に足を運べるかわかりませんが、入学(?)した以上はなにかしらの手応えを掴みたいと思っています。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・6・15〉
24春 入学生の想い
通教部本科 渡邉 誠 (静岡県)
文章力を磨くための合評会
私は旅行と旅先にまつわる読書が好きです。
昨年12月に八丈島を旅行している際に、島のことをもっと知りたいと思い、島の書店で八丈島に関する本を探したところ、木下昌輝先生の『宇喜多の楽土』という小説を見つけました。関ヶ原の戦いの後に八丈島へ島流しにされた宇喜多秀家公を題材にした小説です。現代でも遠くてなかなか来られない島に、当時はどの様な経緯と思いを持って島に流されることとなったのか、想像力を掻き立てられる作品です。
作者略歴を見ましたところ、木下先生は理系の学部を卒業後、メーカーに勤務し、大阪文学学校で学ばれたとのことです。私も理系の出身ですが、卒業後は理系とは関係のない事務職として就職しており、木下先生の経歴に関心を持ちました。中でも、理系出身者でも文学を学べる大阪文学学校について、非常に興味を持ちました。
話は変わりますが、仕事をする上でも、人に何かを伝える上でも、文章力は非常に大切です。理系出身の自分は、文章力に自信がないままこれまで生活してきました。そこで、文章力を磨くために『合評会』の様なものが住んでいる静岡にないか探しましたが、努力が足りないのか見つかりませんでした。合評会を通じて、文章力を高めるとともに、参加者で交流できる場がないか求めていました。
大阪文学学校のホームページをを眺めていたところ、まさに自分が求めていた場がそこにあることを知りました。でも大阪は遠くて無理だろうなと思っていたところ、通信教育部があるではないですか。スクーリングや合評会のため、年に3~4回ならば大阪へ行けそうです。そのため、問い合わせもせずに思いきって入学申し込みを行いました。そして、入学式に参加して、その思いは確信に変わりました。大阪文学学校は、歴史があり、多くの方々が交流し、とても魅力的な場所です。
なかなか多くは大阪へ行けないですが、文学学校で全国の方と切磋琢磨し、一人でも多くの方々と交流していけるのを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・6・15〉
24春 入学生の想い
夜間部本科 鞠の川 (兵庫県)
文校の価値
最近、生活のベースを日本に移した私は、懐かしい友人らにひととおり会うと、あれ、私の友達ってこれだけだっけ? と自分に問いかける瞬間があった。長年連絡を取っていない幼なじみや仕事仲間の掘り起こしはできるが、新しい知り合いを増やすのも良いのではないかと思った。ちょうど親友が、「友だちってどうやって作るの?」という子供からの質問に、「みんながいるところに行って、喋ったらいいんとちゃう?」と言っているのを目撃したところだったので、私もそのアドバイスに従うことにした。新しい知り合いを作ること。これが、私が大阪文学学校に入学した主な理由で、「抱負は?」と聞かれるとちょっと困るのだが、自分に小説というものは書けるのだろうか、という問いへの答えを見つけること、というのが正直なところだ。
そんな風に気楽に入学した私であったが、クラスが始まって二ヶ月以上が経ち、予想以上に良い発見をしている。まず、私のように気軽な気持ちで入学している人が他にもいたこと。これには、本当にほっとさせられた。次に、文章を縦書きするのが新鮮で楽しいこと。今ではときどき、海外の友人に英語の単語を混ぜた縦書き文章を送りつけ、縦書きってかっこいいなあと言わせたり、迷惑がられたりしている。ゼミでは、西村先生がいつもおっしゃっているように、毎週クラスメートの創作物を批評することが、自分のスキルアップにつながるのを実感している。そして、二次会ではもちろん、楽しい時間を過ごさせてもらっている。
数日前、初めて書いた小説をクラスで合評していただいた。私にとっては、感謝と学びと希望の場になった。チューターを含め十四人もの方々に拙い作品を読んでいただき、感想を述べていただき、細かい点にいたるまでご指摘いただいた。私は映像作品を制作しているので、自分の作品を他者から批評されるという経験は日頃もしている。でも、それと文校での合評は違うように感じた。映像作品の完成前に、私が受けるフィードバックは、一般視聴者からの感想も少しはあるが、多くは作品の関係者や評論家からのものだ。その場合、どうしても利害関係やそれぞれの専門分野に基づいた批評になってしまうことが多く、作り手である自分もその点を踏まえて、フィードバックを理解する傾向がある。それに比べてゼミの合評は、そういった利害関係がないので、率直な感想だと思える。読み手が多様なので幅広い意見が出やすい、または意見の一致があれば、それは多数派の所感であると捉えられ得る。また、それぞれの批評が一斉に発表されるので、感想が他者の声に影響される余地が少ない。学びを目的とした前向きなフィードバックである。という具合にメリットが満載だ。
今後、書き続けることで、自分に小説というものが書けるかどうか、その場合の小説とはどういうものかは、徐々に明らかになるとこの二ヶ月余りで確信できた。友達もできるような気がする。でももし、それらが達成されなかったとしても、この学校は人間ウォッチの価値あり。個性豊かな生徒や学校関係者を眺めているだけでも、元を取れて満足できそうだ。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・6・15〉
はじめてのスクーリング
通教部本科 鴨居みこ (長野県)
こんな世界があったのか
三月、入学申込をして学費を入金したら事務局の小原さんが電話をくださって、小説なんか書いたこともないから書けるかどうかわかりません、と言い訳がましい私に、こんなことを仰いました。
「そらもう、学費払ったんやから、書かな損ですわ」
確かにそうだと私はとにかく第一作を書き上げ、その後、初めてのスクーリングにはプレも加えて二日間のフル出席を表明しました。交通費をかけて遥々行くのに、すぐ帰っては損だと思ったのです。あわよくば得したい気持ちまで加わって、プレでの第一作の合評もお願いしました。少し前のめりすぎたかもしれません。
勝手もわからぬまま迎えたプレ・スクーリングで、先輩や仲間の励ましとダメ出しからは、多くの勇気と気づきを貰いました。また佐伯チューターには、私がうまく作品中に表せなかった思いまで細やかに拾って頂き、一種癒しのようなものを感じたことを覚えています。
そして日曜のスクーリング本番。担当の谷口チューターにお会いできたことが、まず嬉しいことでした。すでに頂いていた個別評や講師紹介などから想像していた通りの氏の柔和さと活力に触れ、次回作も安心して書こう、読んで頂きたい、という思いを強くしました。
合評は執筆のテクニックを教わる場ではありませんが、面白い文章にも読みにくい文章にもその理由がありそうだ、と私は気づくことができたように感じます。そこは俗世間から離れた熱くて不思議な場で、全員が「書く」という共通項を持っている仲間だから、核心を突く鋭い言葉も平らかに有意義に受け取ることができるようです。チューターの皆さんの的確な指摘と包容力に感じ入り、同じ空間に、或いはZoom越しに集った仲間たちの個性と溢れる思い、書くことに対するひたむきさに圧倒されました。
なんだか癖になりそうです。こんな世界があること、こんな学校があることに、もっと早く気づきたかった。五年前か十年前に気づいていたなら、今頃はもっと沢山の物語が書けていたのに。
書きたい、もっとしっかりと読みたい、そしてまた皆さんにお会いしたい、そう私は思っています。
〈在籍半年 「文校ニュース」24・8・8〉
特別講座に参加して
夜間部専科 かとう英俊 (愛知県/22歳)
遥かなる胎児と詩人
私が、文校に入学する際に、影響をうけた詩人に吉増剛造さんを書いていたことがきっかけとなり、先日の吉増剛造さんの特別講座について感想を書く機会をいただけた。
しかし、とにかく、なにを書けばよいのかなかなか難しい、キーワードは胎児の言葉だろうか。また、聞き手の倉橋健一さんは、吉増さんは、言語表現から、絵画的表現ないしは、表現行為そのものまで遡った人が、また文字に戻ってきた。また、吉増さんの詩は意味を追ってはいけないと言っていたのも印象的だった。意味を追わない詩、これはとても難しい。誰もが真剣に聞いているが、誰も真剣に理解していないんじゃないかと思いもするほど、分かりそうで、分からない。
胎児の言葉とは何だろうか、二つの解釈をした。胎児という言葉が、人間を対象としている場合、人間が胎児のように生まれる前に持っている言葉、つまり先天的でより意識の深層部分に近い言葉という意味にとることが出来る。二つ目、胎児がそのまま言葉にかかっている場合。言葉の胎児の状態。つまり言葉がまだ生成過程にあるような状態の比喩として考えられる。いずれにせよ対象が、人間なのか、言語自体なのかという違いはあれど、どちらも原初に近い状態にあるという事は共通している。
また、意味を追わない詩、意味を追わないとは、どのような時か。意味を持たせない、は既に意味だ。つまり、意味を持つことが出来ない、が正しいのではないだろうか。
胎児の言葉、言葉の胎児。根源と本質の違いだろうか。例えば、マラルメ的本質と、リルケ的本質ではどちらに近いんだ? 本質がないと決めてかかりたくはない。
また、純粋言語と胎児の言葉、二つの違いはなんだ? 胎児。胎は胎盤、児は子供。根源的であり、生成過程がある点で動作がある。変化がある。胎児は外からは見えない。何かを通すことでしか確認できないというのは存在としても曖昧だ。そんなふうにあいまいな存在としての言語を確認するための超音波、触覚、聴覚、としての詩なのか? なかなかつかみどころがない。まるで詩を詩で説明されているような感覚だった。
私が初めに読んだ吉増さんの本『詩とは何か』の帯には、現代最高の詩人と書いてあった。確かに、ここまでわからないと思うことは滅多にない。しかし、ただ分からないものを分からないままにするのは簡単だ。だが、所々でなにか引っかかる言葉も出てくる、分かりそうな瞬間がある。そしてそれがまた分からないものに変化してしまう。もし仮に、ある日突然、何も意味がなかったと本人が言ったとしても、ここまで、この分かりそうで分からないバランスを維持するのは、それだけでも達人的な技と言えるほど絶妙だ。
確かに、全身詩人。その通りだ。新しく生え変わる爪や髪まで、一瞬で詩人のものにしてしまう勢い。中原中也や宮沢賢治、アルチュール・ランボーとは、まるで違うようで、でもどこか、万人が漠然と詩人に求めるイメージを反映している。
間違いなく言えることは、この詩人を形容する言葉は、芸術家、アーティスト、画家、ではなく、詩人なんだ。でもこれまでの詩人のイメージとはまるで違って見える。なのに、詩人なんだ。そう、詩人として、斬新で強烈な、かつ誰も真似できないような何かを体にまとっている。動きにまとっている。言葉にまとっている。この詩人は、どこにも属さない、どこにも当てはめることが出来ない。何を言っているのか聞き取れているのに理解できているようで、理解できない。それに、なぜこんなに柔らかい口調なのに、斬新だとか、強烈だとか。そういう言葉で説明してしまうのか、分からない。それに、なぜこんなに理解したいと、もがいているのだろうか。
きっと、ただ私は、この詩人の見ている世界を見てみたいからに過ぎないのだ。腰をかがめ、眼鏡に虫眼鏡を重ねて、詩を一文字一文字読み、二時間、ほとんど止まることなく詩を語り続ける。こうして、生きてきたこの詩人の世界を見てみたい。そしてその世界は、吉増剛造という詩人を経由することでしか見ることが出来ない世界だと思う。
〈在籍二年 「文校ニュース」24・6・15〉
学生委員会の活動
24年度春期学生委員長 林 隆司(夜間部研究科)
大阪文学学校(文校)には只者でない人達が集まってきます。文校に入った時点でこれを読んでいるあなたも只者ではありません。その只者では無い人達にどうしたら、楽しんでもらい、喜んでもらい、ワクワクしてもらえるのかを考えて形にするのが私たち学生委員会です。
私は二年半前に文学学校に入って、いや文校に入って学生委員会に所属して、人生が変わりました。コロナ禍の閉塞感の中、在宅介護3年目。先の見えないトンネルの中にいた私でしたが、文校に入学と同時に何かに導かれる様に学生委員会に所属しました。それからというもの毎日が楽しくて、外へ出ればそれまでは、どんよりとしていた風景もすべてのものがキラキラと輝いて見え、毎日ご飯が美味しく、お肌もつるつる、すべすべで……(個人の感想です。効果を保証するものではありません)
そんな学生委員会の各部の活動をご紹介します。
・イベント部:文校の三大イベントである①夏季合宿、②新入生歓迎文学散歩(春・秋)、③文学集会を企画運営します。①夏季合宿は文校の修学旅行です。今年は姫路方面でした。②文学散歩は遠足。昨年秋は大阪新世界界隈。今年の春は大阪四天王寺界隈でした。③文学集会は文校の学園祭。「詩のボクシング」や模擬店で盛り上がります。文校は「大人の集団」ですので各イベントすべて、お酒がついてきます。お楽しみに。
・新聞部:学生委員会の新聞「コスモス」を発行しています。文校オフィシャルの「文校ニュース」が一般紙だとすれば、コスモスはスポーツ新聞の様な位置付けです。文校ニュースとは違った切り口の情報をお知らせします。
・在特部:さて、在校生作品特集号編集部(在特部)です。日本に学校、数あれど在特部が存在するのは文校だけ。文校発行の月刊文芸誌『樹林』のうち、5月と11月に発行される号は、在校生作品特集号として在特部が関わっています。在校生が作品を応募し、在校生の選考委員が掲載作品を選び、在特部が編集・発行します。まさに「文校生の文校生による文校生のための本」を作るのが在特部です。
貴方も学生委員になって、私たちと一緒に普通ではできない経験をしてみませんか。
学生委員会は月曜日に月二回、夜七時から文校教室で行われます。
Zoomでの参加もOKです。見学は常時歓迎いたします。
学生委員会の開催日時、Zoomの情報など、お問い合わせは学生委員会(担当 林)まで、お気軽に。
うちのクラスは
こんなんやで
小川雅美
昼間部本科/小説(佐伯敏光クラス)
火曜の午後2時きっかりに佐伯チューターが話し始める。「今日は3作あります。1作目は……」
佐伯クラスに集まるメンバーは初めて小説を書くという人が多い。最初は15人ほどだったが、少しずつ仲間が増え、今は19名になった。
メンバーの背景はさまざまだが、全員が小説を書いてみたいという同じ目的で集まっている。元中学の数学教師、カフェのマスター、喫茶店店主、障碍者施設で働く絵本作家、スーパー銭湯の職員、元新聞記者、元会社経営者、会社員、主婦、定年退職者などなど。年齢層は少し高めだ。関東から通う強者もいる。
作品もさまざまで、推理小説、時代小説、SF、日常での気づき、障碍を持つ子供への応援、家のルーツ、過疎村の再生、養護学校の生徒、思春期の子供、親の介護、親との葛藤、終活など。メンバーそれぞれが書きたいものを持っていて、そのきっかけを求めてここに集まったようだ。
私も書きたかったことを文章にして、クラスメイト一人ひとりからの合評を受けた。かなり緊張するが、率直な意見や感想、そして自分の作品に読者がいることに、ありがたい気持ちでいっぱいになる。大阪文学学校には仲間と読者がいる。
先日、84歳のクラスメイトが本を出した。自らの人生を振り返る内容で、恋愛あり、トライアスロンへの挑戦あり、読み応えがある。クラスの仲間での出版パーティがあった。お孫さんからの花束に照れながらの笑顔が素敵だ。大阪文学学校のクラスメイトからは勇気ももらえる。
うちのクラスは
こんなんやで
宮田綾子
夜間部本科/小説(西村郁子クラス)
火曜日、夜間部、西村チューターのクラスは現在十三名が在籍している。会社員、医療従事者、ライター、学校の先生、なんでも屋さん、芸人、翻訳家など、食い扶持はさまざまのようだが、実のところ何をやっているのか詳しく聞いた人は一人もいない。遠方からZOOMで参加していて、直接会ったことのない方もいる。文校の「クラスメイト」は同じコミュニティに所属していながら一般的な自己紹介は最低限度の範囲で終わって(それこそフルネームも知らない人ばかりだ)、ある特殊な側面、内臓の内側のような部分だけを晒し合うという不思議な付き合い方をする。
一回のクラスで二作品程度を合評することが多いが、合評前は緊張する。雑談も静かだ。私も皆も、何故かまばらにこそこそ喋る。そのくせ合評が始まると澱んだり澱まなかったりしながら言える限りのことを言う。こう読んだ、ここが良かった、ここが気になった。皆全力で書いているし、全力で読んでいる。誰かがよいと感じた点を、ほかの誰かは許しがたく感じることもある、ということが、小さな教室の中で分かってしまう。
いま私のクラスメイト達は、何かしら戦っている感じがする。相手は人によって違う。でも、そういう人たちからしかもらえない言葉があると思って、私はいつも合評に臨む。だから合評のあとの飲み会は、戦士の酒場という風情なのだ。ちょっと良く言いすぎかもしれない。西村チューターはそんな戦士たちを猛獣使いのように導いてくれる……かと思いきや、しっかり戦士の側にいる。その上で道を整理し、現在地のヒントをくれる。そして戦士たちは毎週のように終電近くまで飲んだくれているのでした。
火曜日、夜間部、私たちのクラスは大変趣深いです。