在校生の声
課題ハガキ
文学学校入学にあたって
夜間部本科 H100(広島県)
入学式に出席して
部屋に入ると中央にテーブルがあり、周りにぱらぱらとパイプ椅子が並んでいた。私ははじめ、一番後ろの席に座ったのだが、なんだか最初から腰が引けている感じがして、思い切って、まだ誰も座っていない前から三番目くらいの席に座りなおした。開会を待っていると「あ、電車にかばん忘れてきてしもた!」と声に出しながら、慌てて部屋を出ていこうとする人がいた。黙って見ていると、独り言のように「あ、ここにあった」と照れ臭そうに頭をかいて、その人は、また席に座った。
入学開講式が始まった。歓迎のあいさつに続いて、朝井まかてさんの「新入生のみなさんへの言葉」があった。朝井さんが文校入学に至った経緯をお話されているのを聞いて、突然、胸が突き上げられ、涙が目の裏側に湧いてきた。つい二週間前まで小説を書くなど思いもしなかった癖に、すっかりその気になっている自分に驚く。
朝井さんは、大きな犬と出会う不思議なお話をしてくださった。チューターの先生方も次々とお話をしてくださったのだが、皆さんのお話は、私が今まで聞いたこうした会の挨拶とはまるで違っていた。それらは、一つ一つの小さな物語だった。私は、そのことに心底感動し、文学学校だものと妙に納得した。
開講式の前にぶらついた谷六も魅力的だった。今度入ってみようと思う店が何軒もあった。小説が書けなくても、この街にまた来られるならまあいいかと、ニヤニヤしながら帰途についた。
〈H100さんは広島からZoomで参加したり文校教室に出てきたり/在籍半年 「文校ニュース」22・12・23〉
22秋 入学生の想い
昼間部本科 福迫泰平(ふくさこ・たいへい/大阪市)
書くことよりも面白いことを。
学生時代から小説を書くことは趣味の一つでしたが、小説の書き方を学ぼうと考えたことはありませんでした。
そういった学校の存在を知らなかったこともたしかですが、自分は書くことが好きで、ただ書き終えただけで満足していたというのが大きい気がします。
だから、学ぶ必要がなかったというのが、これまでの自分でした。
そんな自分が、大阪文学学校の門を叩くことになったのは、誰かに読んでもらいたいという欲にかられたからです。そして、ネットに晒したり友人に読んでもらった小説の感想が、自分の持つ主観的な感想とは大きくかけ離れていたということも大きな要因です。
書く楽しさよりも、書いたものを読んでもらい、楽しんでもらうことのほうが面白いと気づいたとき、それができない自分には物書きの才能はないのだなと悟りました。
小説を書くことは、もう辞めてしまおうかと思いはじめていました。強欲にも、書いただけでは以前ほどの充足感が得られなくなっていたからです。
そんな自分を後押ししてくれたのが、母の存在でした。
母は、連続テレビ小説『芋たこなんきん』に登場する浪速文学学校が大阪文学学校であることを偶然知り、自分に薦めてくれました。
仕事を辞めて次の職を探していた時期でもありましたが、この転機が何か妙に運命めいたものに感じられ、その流れに身を投じてみようという想いに至ったことで入学を決意しました。
自分は鹿児島出身であるため通信教育部への道も当然ありましたが、自分には無いものを直接感じたいと思い、両親の協力を得た上で大阪に転居しました。
自分が物書きになれるとは思えていませんが、誰かを楽しませるために足りなかったものや、根本的な考え、自分とは違う人たちの見方、それらはこれまでになかったものばかりで新鮮さを感じています。
正直、誰かを楽しませるという一番面白いことを、自分は大阪文学学校という場所で、小説という分野から学びたいと考えています。
〈在籍半年 「文校ニュース」22・12・3〉
課題ハガキ
私の歩んできた道
通教部本科 佐々井サイジ(滋賀県)
宣誓
2022年の12月末で会社を退職する。日本で1%もいない専業主夫になる。妻は育休中で子どもは8月に生まれたばかり。私は来年30歳。不安とわくわくが混ざり合っている。
会社には感謝している。新卒から入社し、社会人としての振舞いや業績を上げる重要性を一から教わった。優秀ではなかったが役職をいただけた。この会社で働いたことがきっかけで妻にも出会えた。人見知りで女性慣れしていない私は、結婚に強く憧れつつ諦めていたので嬉しかった。さらには子どもも生まれた。愛おしい。ただそんな大切な二人を養っていかねばならないときに無職になる。
でもせっかくなら夢に生きてみようと思った。大学生時代に挑戦した小説家への夢。長編小説を書いてすぐ挫折したけれど頭の中に残り続けた夢。幸い妻も応援してくれている。久々にその小説を読んでみたら意味不明な文章の羅列で顔が真っ赤になった。
私はいわば退路を断った状態。貯金額から考えて何としても2年以内に小説家となり、文章でお金を稼げるようになると誓う。
〈在籍半年 「文校ニュース」22・12・23〉
22秋 入学生の想い
夜間部本科 井上(大阪市)
読む理由、書く理由
11月18日の深夜(正確には19日)、書き上げたばかりの作品をクラスのLINEグループに送った。宿題をやり終えた充実感で満たされ、その夜は久しぶりに近所の騒音に飛び起きることなくぐっすり眠った。翌朝、自分が送った作品を読み返して驚いた。なんという素っ頓狂な代物か。クラスの皆さんの時間を奪ってこんなものを読んで頂くのは忍びないが、覆水盆に返らず。身を小さくして合評の日を待つばかりである。
生まれて初めて小説を書いた。その過程で感じたことがある。まず何よりも、読むと書くとは大違いということだ。当たり前だが、一つの話を書き上げてみて痛感した。初めて自転車に乗った時を思い出した。コントロールが利かない、全然行きたい方向に進めない。違和感なくすんなり読める作品に仕上げていたクラスのみんな凄い……。尊敬の念しかない。
もう一つ、しみじみと思ったのは「何のために書くのか」ということだ。提出期限に追われて書いたせいか、随所に無理が出た。こんなのが書きたいんだっけ? こんな面白くもないものを読んでもらうことに意味がある? そもそも人は何のために小説を読む? そういえば私はなぜ小説を読むんだろう……。迷宮入りしそうな雑念を必死で頭の片隅に追いやり、話が破綻しないように神経を使いながら、なんとか最後まで辿り着いた。いや辿り着いていないのだが、とにかく提出した。「何のために書くのか」に、今回は明確な答えがあったからだ。提出期限。それがなかったら私は永遠にどこにも辿り着かなかっただろう。出発すらしていないに違いない。
昔から本を読んだり文章を書いたりするのが好きだったし、幼い頃は空想もよくした。だが成長するにつれ、それらの傾向が急速に薄れた。外の世界の刺激が強かったのだと思う。ルポやノンフィクションを好み、小説を読む機会はぐっと減った。事実は小説より奇なり。現実世界の観察に夢中になった。けれど、ここにきて現実をそのまま写し取ることに限界を感じてもいる。時代性はあっても、普遍性に欠けてしまう部分が否めない。その点小説は、場所も時代も飛び越えて人の心の奥深いところに触れることができる。それが最近になってまた私が小説を読み始めた理由かもしれない。
私の「読む理由」はうっすら見えた。では「書く理由」はどうだろう。確たる答えは見つかっていないが、きっと読む理由と表裏一体で、人の心に何かを届けたいのだろうと思う。何を届けたいかは自分と向き合って掘り下げるしかない。一方で、読んでもらうに足る物になるよう磨き上げなければならない。なんと難しいことだろう。とてもできる気がしない。それでも数か月後には次の提出期限が来る。大阪文学学校というまたとない修行の場でこれを繰り返すうち、私も何かを掴めるかもしれない。そんな期待をしながら、次のテーマを探し始めている。
〈在籍半年 「文校ニュース」22・12・3〉
22秋 入学生の想い
通教部本科 平 かよ(沖縄県)
田辺聖子さんの学校へ
九月の終わり、地元新聞紙(「沖縄タイムス」)で見つけた、9×6㎝の記事を切り取った。いつもなら見逃しそうなのに。一瞬で「田辺聖子」の文字に反応したからだ。それで「大阪文学学校」を遅ればせながら知った。あと数日で開講するとのこと。一応ネットで調べてすぐに申し込んだ。間に合った。病的に飽きっぽい性分のため、せめて半年は頑張ろうと思い、学費は分割払いにした。そんな自分に「抱負」はあるのか。……課題は遅れずにちゃんと提出しようと思う。
以前、図書館で働いたことがあった。好きなだけ本が読める! と思ったら間違いだった。雑務に追われ、クレームにへこみ、いい上司もいたが、人間関係もきつかった。そんな時、田辺聖子全集にハマった。図書館の貸出しカウンターに常連のめんどくさい利用者がやってきたら、心の中で(おっちゃん)と呼んだ。(一年で図書館は辞めた)
あの軽妙な関西弁や、情のある会話のやり取り、あったかい夕餉の場面、まっすぐ恋愛に向かうかわいらしさなど、物語の主人公も作者もまとめて大好きになった。いつか、本物の田辺さんに会って手紙を渡して、屋形船で一緒に呑んだりして……とか妄想も膨らんだが……。今となっては叶わなくなった。せめて同じ学びの場所に自分を置いてあげたいと思った。だから秋期生募集記事の「田辺聖子」に反応した。
短編が好きだ。小説も詩もエッセイも。会話も仕事も風呂も付き合いも。何も残さない。何事にも執着しない。ひとりでやってきて、ひとりでしぬ。それで解き放されて終わり。そんな感じで五十四年生きてきて気づいた。何も残さない、じゃなくて私には「何も残らなかった」と。伴侶も家もお金も仕事も。(若さも教養も洗練された佇まいも、何もかもだ)
五十路を過ぎたある日、この降ってわいた絶望と、砂漠に一人ぼっちのような寂寥感の中でも涙の一粒も落ちやしない。多肉植物と酎ハイに癒しを求め、サボテンの棘で遊ぶ猫背のおばちゃんがそこにいた。ようやく間違いに気づいた。しかも、気づいたら修正する素直さはまだ残っていた。海風が吹き渡る平らな島に生まれた者の強みは、素直さと打たれ強さしかないのだ。何もないと嘆かずに、今あるものと周りに感謝しようと心を入れ替えてみた。呑んべえの妹夫婦の仲良さと明るさに救われた。二十歳で結婚した同窓のミワコが築いた居心地の良い家で飲んで気づかされた。自分の人生の終盤の過ごし方を見つめ直し、新しい自分の第一歩を「書く」ことにしてみた。
あの日の図書館で読んだ田辺聖子の短編「金魚のうろこ」の中に好きなセリフがある。
「夜明けの美しさは、人生以上、人生未満。人生以上に美しいけど、人生にはもっと、美しい時もある」
若さに頼って生きていたあの頃は知らなかったけれど……。目覚まし要らずで、朝焼けを眺めている今の自分だからこそわかる美しさや愛しさがある。それをここで書き残したい。
〈在籍半年 「文校ニュース」22・12・3〉
22秋 入学生の想い
通教部本科 よしだひかる(長崎県)
ばあさん、再び大阪へ行く
「ばあさん」という言葉が好きである。高齢者の呼称は難しい。特に女性の場合は。孫が居ないので「おばあちゃん」と呼ばれたことがないし、他人におばあちゃんと言われたくはない。「婆さん」という漢字名も過去の人のようで嫌である。こんなひねくれ者の私が、大阪文学学校に再入学するとは思いもしなかった。最初に入学したのは五十歳になった時だった。小説など書いたことのない商家の嫁が、通信教育とはいえ、大枚はたいて大阪まで行くにはそれなりの覚悟がいった。その頃「私は一体何なのだろう」という焦りがあった。○○店のお嫁さん、○○ちゃんのお母さんと呼ばれる日々。働くことは嫌いではない。闇雲に働いた。嫁、母親、妻ではない日常の中で自分を探したかった。下の子が進学のため家を出ると、名前のある自分探しをするために仕事を済ませて夜行バスで通った。
70歳を過ぎて再入学した。義母が大往生して五十年近い商家の嫁の役目は充分果たした。今度は誰はばかることなく入学を決めた。もう一度小説の勉強をしたいという思いを、教員を定年退職した夫が後押ししてくれた。教材が送られてきて、『原稿の書き方』を読む。保存していた前回の『原稿の書き方』も開いた。黄ばんだ表紙をめくると、あちこちに引いた赤いマーカーの線は色あせずに残っていた。真新しい本を開くと、心が躍った。団塊の世代。友人達はコロナ前までは、ランチ、小旅行、サークル活動にいそしむ。趣味で小さな店を営んでいるので、彼女たちの輪にどっぷり浸かる事はなかった。地方の町でもどかしさを感じていた。
高齢者といわれる年代、あの頃とは違う世界で、私は何を見つめる事が出来るのか。ワクワクする。年を経て時代も人も変わった。だが変わらないものもある。新大阪駅から谷町に向かう途中、高層ビルの建ち並ぶ街並みはすっかり変わったけれど、谷町に降り立った時、二十数年ぶりの文校はあの頃と変わらなかった。多様な人達とのふれあい、何よりも文学への熱い思いが私を奮いたたせてくれるに違いない。老いても人間はその経験を糧に成長するという。自分探しから自分を見つめる。文校という宝箱からそのエネルギーを私にもおすそわけ下さい。これから私は心の中のどんなマーカーを引くのか、楽しみでもある。
〈在籍半年 「文校ニュース」22・12・3〉
スクーリングに参加して
通教部専科 永井敏江(北海道)
大阪夏の陣・大阪夏まつり
いざ、大阪夏の陣へ。昨年度はZoomでの参加だったが、今回こそはと拳を握り締め札幌の自宅をあとにする。まずは千歳空港での第一関門だ。ピーチは格安航空券なので機内持ち込み手荷物は7キロ以内に制限されている。財布とスマートフォンをポケットに突っ込みクリアした。心はすでに天空を舞う。昨年クラスメイトだった「押し」と連絡先を交換したいという野望は胸に秘めきれずギラついている。
合評作は、前回のプレ・スクーリングで教わった「キャラクター小説」なるものを目指して書いた。ちょっと恋愛テイストを入れ込んで、主人公は三〇代前半に設定した。自分の年齢よりも三〇歳近く若いので、若いクラスメイトたちに語彙(ごい)や会話の流れを厳しく批評して欲しい。主人公の名前は桃川モモ、ピーチ航空ともリンクするようで幸先がいい。
さて、いよいよスクーリング開幕だ。会場のメンバーは一見して妙齢ではない品の良いご婦人方六名。う~む。すがる思いでZoomのメンバーを確認する。ま、まずい、絶対プラチナ・エイジな感じ! ああ、いた。唯一の若者、彼が頼みの綱だ。それにしても生真面目で良識ある皆さまに拙作はうけないだろう。ちょっとトーン・ダウンする。さすがに薄っぺらいと嘲弄されたりふざけ過ぎで下品だと罵倒されたりすることはなかった。それでもアラカンのわたしが若者ことばの「告る」とか「メンズ」とかを説明するのは何か変だ。アラサーのクラスメイトさま、フォローアップ感謝です! 夏目漱石の作品まで引き合いに出されて、わたしはすっかり恐縮した。カタカナ多用に関しては、「感覚的な問題提起かも知れないが、言葉が文学の唯一の手段とすれば、わたしも含めて言葉に鋭敏でなければならないと思った」というご意見をわざわざ書面でくださった方もいた。ありがとうございます。でも、天邪鬼のわたしは今後もカタカナ使います、ちょっとだけ罪悪感を覚えながら。皆さん、ていねいに何度も読んでくださったのだろう。質問やコメント、アドバイスが、励みになる。頭が下がる。
ライブでのスクーリングはZoomとは熱量がまったく異なる。専科に(自動的に)進んだとはいえ書いてきた量が少ないわたしは初心者同然だ。直接チューターに質問して合点がいく。さらに休憩のときに食い下がる。言葉を変えて説明してくださる。心に響く。なんと同人誌までくださった! 感謝感激雨あられです。
そんなわけで、大阪夏まつりは大いに盛り上がった。「押し」のメールアドレスをゲットしてやり取りを始めた。カーニバルは今も続いている。
〈在籍二年 「文校ニュース」22・8・8〉
特別講座に参加して
昼間部本科 森田晏史(もりた・さだとし/大阪府)
作家と編集者
八月の最終週の日曜日に公開講座が行われました。教室での聴講者は少ないと聞いていましたが、けっこうな人数が(コロナ前に比べると全然少ないですが)パイプ椅子に座っていたので、久しぶりに文学学校生の発する小説好きの熱気に触れることができて、とても嬉しくなりました。ぼく自身コロナで二年間休学してからの復学。やっぱり文学学校はいいなあ。そう感じました。
しかも今回の講座は直木賞作家の大島真寿美さんと、オール讀物編集長の川田未穂さんの対談。いままでこの特別講座では作家の講演を聞くというかたちが多かったのですが、いつもとは違う作家と編集長とのやりとりが見れるということで、期待しながらドアの横の隅の席に座りました。(入口扉は換気のため開いたまま。コロナ対策も万全でした)
時間がきて始まると大島さん、川田さんが教室の前方に並べられた長机に座ります。大島さんはキリッとした顔つきをされていて、ぼくはその背後に文章が上手い人だけが発するオーラを感じました。四年前に文学学校に入学してから実際に何人かの小説家のかたがたを見るようになったのですが、勝手にそう思っているだけかもしれませんが、作家の人の背後にはこのオーラを感じてしまいます。
ああ、文章のプロだ。もう拝みたくなる気持ちにすらなりました。するとどうでしょう。二人のあとに朝井まかてさん、木下昌輝さんが続きます。講座の特別大使で来てくれていたみたいです。お、オーラに包まれている。創作の光に囲まれているみたいだ。幸せすぎる。多幸感のなか対談は始まりました。
お二人はまずプロットの話をしてくれました。作る、作らない。人によって違うらしいですが大島さんはまったく作らないらしいです。重要なのは冒頭の一文。これがものすごく大事。そして次の行。正しい一行目を書けたら、正しい二行目。それを積み上げていく。と話してくれました。途中まで書いていておかしい箇所があれば、読み返して正しくなかった文章を探して戻るそう。この話をうかがって流石だと思いました。ぼくもプロットは軽くしか書かないですが、こんなにも一行ごとに集中して書くことはしていなかったと反省しました。大切なのは文章の積み重ね。上手く書くということより、「正しく」と表現している大島さんの言葉が胸に残りました。
対談では編集者である川田さんとのかけあいやエピソードも面白かったです。会場に対しては当然お二人とも敬語なのですが、当人同士の会話だと漫才のような息のあった言い合い。作家と編集者はこんなふうに喋るのだと新鮮な気持ちで聞いていました。他にも文楽の初体験で人間国宝である桐竹勘十郎氏を訪れたとき、二人が素人すぎて呆れられた体験談は、体当たりの作家と編集者の積極性がわかり楽しい気持ちになりました。
終了後の書籍の販売会ではサイン本も手に入れることが出来て嬉しかったです。充実の一日。ありがとうございました。
〈在籍五年 「文校ニュース」22・10・1〉
学生委員会の活動
22年度秋期学生委員長 谷 良一(夜間部研究科)
大阪文学学校の学生は個性の塊です。
みんな強烈な自我の持ち主で、それぞれがその我を隠すことなく主張し、叫びます。
そんなきつい集団の中で、ひっそりと、目立たぬように、陰に隠れるように、みんなのために頑張っているのがわれわれ学生委員です。
決して報われることを求めず、ひたすら人のために動いている学生委員に、自然と陽が差します。学生委員はいつの時代も人気者、みんなの憧れの的です。
「あれが学生委員のUさんよ、凜々しいわねえ」
「キャー素敵、あれがMさんか、かっこいいなあ」
「Fさん、いつも渋いなあ、ほれてしまうわ」
学生委員の行くところ常にファンがついてまわり、賞賛の嵐です。
ここでその憧れの学生委員が何をしているかをお教えします。
・在特部:学生が応募して、学生が選考する樹林・在校生作品特集号の制作をします。
在特号は高校球児における甲子園のようなものです。
自分の好きなことを楽しみたいと思っている人も、プロを目指す人も、決して避けて通れないのが甲子園であり在特なのです。
・イベント部:春と秋の文学散歩、夏季合宿、冬の文学集会など文校生の楽しみであるイベントを企画・制作します。ちなみに昨秋の文学散歩は万博記念公園、昨年の夏季合宿は熊野新宮に行きました。
・新聞部:発行する「コスモス」は文校ニュースとはひと味違う文学趣味にあふれた新聞です。在校生が投稿した詩やエッセイ、小説などが随時掲載されます。
新聞づくりの楽しみを味わってください。
さあ、みなさんもこのすばらしい学生委員の一員になってみよう!
きみも、そしてあなたも!
学生委員会は、隔週月曜日の夜に開催致します。月曜日の夜に都合のつく人は、是非ご参加下さい。
うちのクラスは
こんなんやで
東山光来
昼間部本科/小説(夏当紀子クラス)
言葉は暴力だ。そう思うことがある。言葉を扱って小説を書くということ、そして批評。その試みはきわめてスリリングで、危険に満ちている。生徒はそれを知っている。
毎週金曜午後二時から、夏当クラスの合評会は始まる。一日に二、三作品を取り上げ、それぞれに意見を投げ合うのだ。文校に来てから小説を書き始めたという人は多い。このクラスも例外ではなく、皆苦心しながら作品を仕上げている。その熱量が、作品の行間から漂っているように感じる。
合評会では実にさまざまな意見が出る。教職の傍ら文校に通う人も、文校に通うためマンスリーマンションを借りた人も、無職も、優雅な年金暮らしの方もいて、バックグラウンドは異なる。だからこそ、一筋縄ではいかない。ある人がいいと言っても、別の人は駄目だと言う。生徒の批評はやさしくもあり、時にひどく辛辣だ。だから、面白い。作品は書いたらそれで終わりではないのだ。笑い合う場面もあるけれど、合評の時の空気はいつもどこか張り詰めていて、生徒たちは真剣に作品と向き合っている。
合評の後は喫茶店に移動しお茶会が始まる。批評できつい言葉を浴びせていた人も、また浴びせられて落ち込んでいる人も、ここでは羽を休めるようにしてお茶を飲む。小説の話だけではなく、雑談に花を咲かせる憩いのひとときだ。互いを称え合い、そして次の作品へのモチベーションを高めていく。
言葉は暴力だ。けれども、それは人を傷つけるばかりではない。このクラスには、作品をより良くするために身を削ろうとする覚悟のある猛者たちが集まっているのである。
うちのクラスは
こんなんやで
森下賢一
夜間部本科/小説(西村郁子クラス)
授業が始まる一時間前には席に着いている様子がよっぽど暇そうに見えたのか、事務局長の小原さんは私を傍に呼びました。「これ書いて」何も考えず差し出されたものを手に取るとそれは以前『入学案内書』に掲載されたクラス紹介文。「早めにお願い」その場で固まっていても埒があかないので過去のクラス紹介を読んでみますと、いかにも活気に溢れたという感じの教室の描写の数々。こんな風に生き生きと魅力的な文章で表現するなんて私には無理です。あきらめて教室の窓から飛び降りようとしたところに、ぞろぞろとクラスのメンバーが入ってきます。まずはいつもキレ味鋭い出刃包丁のような批評をするYさんが。つづいてほんわかした雰囲気とは裏腹にブラックな作品ばかり書くKさん。遅れて、目元に少しヤバそうな雰囲気を湛えているのに話してみると気さくなMさんもやってきた。ほかにも新聞記者、お笑い作家、音楽家、精神科医、劇団スタッフ、もうすぐ高校生、何しているのか謎の人。東京や広島からもやってきます。なかには断酒のために通っているろくでもない人(私)も。作風もエンタメから幻想小説、軽快なものから難解な作品まで多種多様。合評ではそれぞれの提出作品を分かち合い、批評し合います。皆さん、真剣に読んでくれます。そして作品をより良くするために愛ある指摘をしてくれますが、それは時として痛みを伴います。苦悩のあまり魂が床をのたうち廻ることもあります。かと思えば、クラスの仲間に思いが伝わった嬉しさに、長テーブル上でタップダンスを踊りだす魂も。おや? 合評後にエゴが剥がれ落ちて身軽になったのでしょうか、奇声を上げながら夜道を駆け出していく魂もいますよ!