学校沿革

1954年(昭和29年)
朝鮮戦争による特需景気が終り再軍備の動きや不況倒産のつづく不安な状況の中で、前年11月の日本文学学校(東京)開校に刺激され松岡昭宏が大阪社会主義青年同盟の仲間たちに呼びかけて「大阪詩の教室」の募集を始めた。
小野十三郎、松岡らが発起人、入会金100円、月謝100円で大阪北区PLP会館に事務局をおき、後援団体として大阪総評、国際新聞社とした。3月20日に入学試験と面接をおこなっている。
詩人の長谷川龍生は詩の訓練として例えば「掌」などのテーマを提示し、その場で連想喚起されるイメージを即興的に書かせる試みなどもしていた。
5月に中央公会堂で開かれた文芸講話の夕べでは、講師として小野十三郎、金達寿、椎名麟三らが話をした。
「詩の教室」の経験のもとに、〈新しい文芸思想と書くことの基礎を身につけ、生活記録から文学への道/講義は知識の習得を目的とするものでなく、学生の集団討議を基礎とする〉として文学学校の設立を計画し、7月5日に「大阪文学学校」第1次本科1期入学式を行った。
入学試験、面接を行ったが、「試験というブルジョア的なやり方をせずに」との要望が強く、全員を入学させた。このときの講師に、小野十三郎、小島輝正(神戸大教授)、黒田了一(大阪府知事)、長沖一、富士正晴、竹中郁らが名を連ねている。
現本科チューターの飯塚輝一は第1次本科1期の卒業生。
1957年(昭和32年)
講師の井上俊夫が詩集「野にかかる虹」で第7回H氏賞を受賞。
1960年(昭和35年)
組長会議で「大阪文学学校新聞」の発行を決定。
11月に雑誌「大阪文学学校」を創刊した。
このころ組会をまわっていた「らくがき帳」に、大阪府下の岸和田の山奥から月2千円の交通費を払って通っている女性の詩。
「高い電車賃をだしてまで、行くほどのこともなかろう」
と義兄が言った。
姉もそういった。
私は行ってみなければわからないと思った。
入ったら出るのが厭になった。
「卒業したら一寸は金になるのかね」
と母は言った。
1962年(昭和37年)
現通教チューターの日野範之はこの年第17期の卒業生。
岡保夫「火の見える風景」が新日本文学賞に佳作で入選。
学校機関誌「大阪文学学校」は終刊、『新文学』が代わって月刊になる。
1963年(昭和38年)
「ハト小屋」と呼ばれたPLP会館の一室から西区阿波座北通りの三和ビルに引っ越す。
昼間・通信教育コースを新設。
5月文学講演会参加者906名。講師は開高健、堀田善衛、小野十三郎ほか。
7月大阪文学学校9周年記念講演会とレセプション。対談岡部伊都子×港野喜代子「大阪で書いている女流文学者の発言」大江健三郎「作家と自由」中馬馨(大阪市長)「未来都市大阪」椎名麟三「文学の視点」の講演。
講師陣は、小野十三郎、岡部伊都子、高橋和己、眉村卓、黒岩重吾、鶴見俊輔、梅原猛、田辺聖子、長沖一、倉橋健一など。
現チューターの奥野忠昭は、この年21期の卒業生。
1964年(昭和39年)
田辺聖子が「感傷旅行」で第50回芥川賞受賞。
大阪文学学校創立10周年を記念して、「第1回大阪文学学校賞」を募集。
選考委員に富士正晴、小野十三郎、小島輝正ら。11月に第1回発表、受賞作無し。
1965年(昭和40年)
現理事長の高畠寛チューターは第24期の卒業生。
1966年(昭和41年)
北川荘平「白い塔」(VIKING)で第55回直木賞候補となる。
1967年(昭和42年)
大阪文学学校の出版部門として、葦書房設立。
1968年(昭和43年)
本科入学者338名の記録的数字、在校生602名という未曾有になった。
1973年(昭和48年)
社団法人大阪文学協会設立、新谷町第1ビル3階(現)に移転。
1974年(昭和49年)
講師に米倉斉加年、灰谷健次郎なども。
1977年(昭和52年)
三井葉子詩集「浮舟」で第1回現代詩女流賞受賞、奥野忠昭が小説「姥捨て」で第2回神戸文学賞受賞。
1978年(昭和53年)
福元早夫、小説「足並みそろえて」第16回新日本文学賞受賞
枝村たつ江(48期)、小説「風の吹く日」第4回解放文学賞佳作
福本武久(31期)、小説「電車ごっこ停戦」第14回太宰治賞受賞
三木一郎(25期)、小説「重い雨」第一回歴史文学賞受賞
1979年(昭和54年)
詩人金時鐘夫人姜順喜氏経営の朝鮮料理風居酒屋「すかんぽ」が開店。
新文学は『文学学校』と改題。
1979年(昭和54)~
1981年(昭和56)
広岡昌子(43期)、第一回年刊現代詩新人賞受賞
押田ゆき子(30期)、『合わせ鏡』第4回日本随筆家協会賞受賞
吉保知佐(3期)、小説「待つ父」第10回ブルーメール賞受賞
稲垣恵雄(42期)、童話「たもうたん」第1回わたぼうし文学賞受賞
坂田菜穂子(53期)、小説「肉の味」第1回大阪文学学校賞入選
大上ミツ子(創4期)、ケネス詩賞佳作
1982年(昭和57年)
大上ミツ子、小説「海に預けた」第2回大阪文学学校賞入選
岩下典子(53期)、詩「夕陽の家」 同 入選
青木はるみ詩集『鯨のアタマが立っていた』第32回H氏賞受賞
木辺弘児(49期)「水の果て」等で第92回芥川賞候補作
日野範之(17期)評論「部落解放の文学」第7回解放文学賞入選
姜英子(47期)詩「ふるさと」第8回部落解放文学賞佳作
1983年(昭和58年)
平田俊子(創1期)『鼻茸について』他で第一回現代詩新人賞(思潮社)を受賞
四宮秀二(創3期)小説「落陽の海」第3回大阪文学学校賞入選
同作品で第5回徳島作家協会賞受賞
杉林稔(創3期)詩『月蝕」 同 入選
長野奠子(43期)詩「石の中に産んだ女たち」第9回解放文学賞佳作
1984年(昭和59年)
鵜瀬順一(創6期)小説『春の峠』第4回大阪文学学校賞入選
辻 久 (創6期)小説「谺」で 同 入選
小宮山忠明(創5期)詩「変光星」 同 入選
村上章子(創1期)小説「四月は残酷な月」中央公論女流新人賞受賞
山本英子(旧研21期)第22回現代詩手帖新人賞受賞
1985年(昭和60年)
津木林洋(47期)小説「贋マリア伝」で、第92回直木賞候補作
岡村玲子(創6期)小説「ピンク色のリンゴの切れ口」第5回大阪文学学校賞入選
中島公代(創5期)詩「電話の鳴る風景」 同 入選
早野貢司(39期)小説「朝鮮人街道」第61回文学界新人賞入選
桜井康子(創9期)小説「ながい影」等で、第27、28回郵政文芸賞入選
1986年(昭和61年)
藤岡万代(創11期)小説「守宮のいない部屋」文学学校賞入選
坪田恵美子(創8期)「プラスティックの夢」 同 入選
知念和江(創12期)詩「合歓木と蔓」    同 入選
須海尋子(43期)小説「見えない町」で第13回部落解放文学賞入選
芦田千恵美(創4期)小説「土の声」で、 同 佳作
西口典江(50期)小説「凍結幻想」で第4回大阪女性文芸賞受賞
新谷麻子(創11期)詩「逢瀬」で、第7回文学学校賞受賞
有松洋子(創11期)小説「淡い声」で、同 入選