在校生の作品
エッセイ「合奏と気配」
幼稚園に入るとすぐ、ピアノを習い始めた。これは、本人の意思とは無関係に、母親が決めたことだ。彼女は、なぜか女の子が生まれたらピアノを習わせようと、強く願っていたようだった。兄もいるのになぜ? と今となっては思わないでもないが、たぶん、ピアノは女の子にという、昔風の考え方があったのかもしれない。当時住んでいた大分から先生宅のある別府まで、毎週母親に連れられて通ったことを覚えている。残念ながら手そのものが少し小さくて、ピアニストには無理だと言われたが、それでも大学在学中までは、稽古を続けていた。
ピアノがある程度弾けたおかげで、よかったと思うことがある。その一つは交友関係についてだ。大学に入るとすぐに、或る合唱クラブの伴奏をすることになった。かなりの人数のコーラスで、その当時よく歌われていた反戦歌などを大きな声で歌っていた。女子の中高出身者である自分にとって、それは現代社会や男女の在り方について、目が開かれていくささやかな第一歩だった。
それだけではない。ピアノが少し弾けるということで、個人的にバイオリンの二重奏を頼まれたり、五重奏の仲間に入れてもらえるようになったのである。云うまでもないことだが、合奏は、独奏とは違う。そこでは自分が勝手に音を出すのではなく、音の間合いや強弱などすべてについて共演者のそれを瞬時に且つ敏感に聞き分けて進めていかなければならない。それを繰り返し練習することで、自分生来の他者に対する鈍感な感性から少しは遠ざかることが出来たのではないかという気がしている。
一年次の終わり頃、学部は違ったがバイオリンのうまい男子と知り合い、クラシックの合奏を楽しむようになった。口数の多い人ではなかったけれど、気が合ったということだろう。彼はバドミントン部の部長でもあったから、自分も入れてもらい、初心者として打ち方など丁寧に教えてもらった。彼は背丈が180センチほどあり、150センチしかない自分は、電車などで立ったまま話すときはいつも頭を出来るだけ上向きにし、背筋を伸ばしていなければならなかったことなどよく覚えている。
六甲山や摩耶山にも一緒によく登った。神戸という町は、北側に千メートルに少し足りないくらいの山々がゆたかに連なっていて、ケーブルカーも勿論あるのだが、いつでも割合簡単に、徒歩で山登りが出来る。ある暑い夏の日の午後、いつものように裏山にのぼり二人で山頂の木陰で休んでいると、少し離れたところにある草むらに人の気配がした。姿はよく見えないが男の人がじっとこちらを窺がっているようだ。私たちは突然立ち上がり、二人で一緒に走りだした(自分達がその時どんな合図をしあったかなど、今となっては全く思い出せない)。そして、そのまま立ち止まることなく、人家がまばらに見えだす麓まで、休むことなく狭いでこぼこの山道を一気に駆け下りたのだ。さっさと歩くことさえむずかしい現在87歳の体力から考えると、不思議でしかないことだが、その時の自分には実際それが可能だったのである。
六甲山は今、以前と変わらないどっしりとした佇まいで、鮮やかな色彩を見せながら冬の到来を待っている。もう少しすれば、白く色づくこともあるかもしれない。
《『樹林』2023年2・3月合併号(通教部作品集)より再掲》
作品寸評
作者は、今作においても、穏やかで淡々とした語り口で、幼い日の習い事を思い起こし、ピアノを続けてきたことで広がった交友関係、学生時代の合奏体験から受けた恩恵のさまざまを綴っていく。合奏することで自分だけの世界から一歩踏み出し、音楽をとおして人と交流することも学んでいく様子が描かれるが、ただ学生時代を懐かしむだけの作品に終わっていないのが、この作者の作者たるゆえんだ。今作ではあっと驚く幕切れが用意されている。
(菅野美智子)