在校生の作品

短編小説「晴れ、時々小説」

下里 厚子
(通教部研究科小説クラス/和歌山県有田郡/72歳)

今、庭がにぎやかだ。ここ数年、ばったりと咲かなくなっていたサツキが今年はよく咲いた。
 花の咲かないのは、剪定の仕方だろうかと色々考えてみたがわからない。咲かない訳を家に来る庭師さんにたずねてみたがはっきりしない。どうも我が家だけではなさそうだ。これも温暖化の影響だろうか、そのせいでメカニズムが変わってしまったのか。
 今年も花を見ないまま終るのではと眺めていたが、まるで満を持していたかのようにいっせいの開花を見た。半ば諦めていただけに思わぬプレゼントをもらったようでうれしかった。花の方でも気を取りなおしたのだろう。そう言えば去年、二、三輪花を付けていた。サツキは時期をはずして花を付けることがあるので何かのはずみぐらいに思っていたのだが、あれはその前ぶれだったのだろうか。再び咲き出したサツキは繁茂しつつある庭に一段と彩りを添えている。
 しばらく前になるが、一応庭造りの最終段階として池を造った。それまで家のまわりに手を加え、自分なりの庭をこしらえてきたが、自己流の庭造りにはおそらく完成がない。後からも色々と手を加えたりするからだ。
 専門の人の手による庭は確かに決っている。自分などの手が入る余地はない。
 そんな必要はないのだが自分としてはいろいろやってみたい。それがまた楽しい。本職さんには手に負えない時だけスポット的に頼む。池もそうだった。
「庭は出来上がったときが一番あかんのやで」とは庭師の言葉だが確かにそれは言えるだろう。突然出現した池は空々しいばかりの代物だったのだから。だがこれも庭の一部として他の樹々と共に次第に溶け込んでいくだろう。

 池を造ることについて最初、夫は気のりしなかったのだがわたしのたっての思いでもあった。以前、観光地で洋風の八角形のスイレンの池を見かけ、それがイメージにあったのだが実際にはそのようには仕上がらなかった。形が思いどおりにいかなかった。また規模も想像していたよりはるかに小さかった。
「池というより水たまりやね」
 わたしはやるかたない思いを口にした。次に移る気持ちも萎え、しばらくそのまま放置していたのだが、夫がかかり始めたので気を取りなおした。
 貯っていた雨水をかき出した。業者さんに頼んで、ユンボで穴を掘り、防水を施してもらった後、新たに土を入れ水を張った。そばに住む孫たちも心待ちにしていて見に来た。男の子は得てして水たまりとか穴ぼこが好きなようだ。ユンボが掘った穴に飛び込んだり、傍らに盛られた土の山に登ってみたり、水たまりがあるとわざと長靴でバシャバシャやったりする。
 まずスイレンを浮かべた。夫がどこからかメダカを探して来て入れた。夜店で掬ってきたコイも放した。赤い背ビレのコイは恥かしがり屋なのか、いつもスイレンの葉っぱの陰にじっとしていた。
 池は次第ににぎやかになっていった。アヤメや菖蒲、オモダカや水草の類、株分けしたコウホネも仲間入りした。それぞれ根を張り、あまり広くない池はいっぱいになった。
 ところがある時、メダカの姿が見当らなくなった。コイはスイレンの葉の下にいるのだろうと思っていたが、いつのまにかいなくなっていた。孫二人は残念がり魚のいなくなった池には興味をなくしたのか姿を見せなくなった。再び彼らを庭に呼ぶ方法にブルーベリーを思いついた。
 去年のこと、よく熟れた実をそれぞれの手のひらに載せてやるとおいしそうにほおばった。小さな木だが今年も実をつけている。色づいてきているがまだ早そうだからもう少ししてから呼んでやろう。今はコロナ禍で学校も長の休みだ。退屈しているだろうから喜ぶだろう。そう思うとこちらまで楽しくなった。
 ところが幾日もしないうちに実があらかた無くなっているのである。一瞬、子供たちがやって来たのかなと思った。いや、鳥のしわざだ。鳥がついばんでいったのだ。後は青いのが少し残るだけだ。これでは彼らもがっかりだろう。そうするとメダカやコイがいなくなったのも野生の仕業なのだろうか。庭に来る鳥の種類も以前とは変わったように思う。

 コロナの感染が世界全体に広がっている。感染を抑えるため行動が制限され自粛を余儀なくされた。人々の日常は突然奪われてしまった。テレビはシャッターの閉った店舗や人通りのなくなった繁華街、まばらな駅周辺なぞを映している。コロナに関したさまざまなニュースを見聴きしながら、自分たちは畑に向かう日々に変わりない。むしろ自粛と言って家に籠っていられるのがうらやましく思う。憚ることなく、思いきり自分の時間が持てるのだ。一度そういう時間の使い方をしてみたい。一時、定年退職という言葉に羨望の念を抱いたが、今度はステイホームとやらに同じ思いを抱く。
 締め切りに間に合うように、集中的にパソコンに向っていると「小説は趣味だろ」と夫は苛立ったように声を上げてくる。夫の言いたい事は聞かなくてもわかる。
 確かに読書や庭造りは趣味だ。だが小説を趣味で片付けられるのはごめんだ。理解がないわけではないが、小説にかまけていると決って声をあらげてくる。そのくせ時折、何かの知識をふき込んでくる。書く上でのヒントにでもと思っているのだろうか。そんなところがまたしゃくにさわる。
 過去に苦しい時があった折り、最後の拠り所が小説だった。その思いがわたしを支えた。心の奥にほっこりと別の世界がある。それが言葉をまとって外に出たがっている。小説を書くのは楽な作業ではない。それどころかしんどい。でも止めようとは思わない。苦しいけど楽しい。まさに苦楽しいのだ。
 でもわたしには大前提があるのだ。かれこれ五十年になろうかというミカン作りがそうである。半世紀のあいだよく続けて来られたものだ。一つには健康があったからだが、もういい加減ミカン作りから解放されたいと思っているが未だにこの始末である。だがこの先そう多くない時間だ。後悔はしたくない。
「午前中は好きにさせてもらうわ」
 と二足のわらじではないが、机に向う時間も考慮に入れ、提言してみるが案の定、夫から反応はない。心の中ではそんなーとでも思っているのだろう。
「今の面積を半分にすればよいのよ、そうすればあんた一人でもやっていけるやろ、男なんやから」
 と、檄を飛ばしてみる。だが夫には一人でやる気など毛頭ないようだ。
 勤め人ならとっくに定年を迎えている。新聞の川柳の欄に、死ぬときが定年だ自営業、とあった。農業もそうだが半ば自営ゆえの宿命だろう。健康で働けるのはありがたいが酷にも思う。夫にもまだミカン作りから離れる気配がない。とはいえ年齢的にも限界がそこまで来ているのは目に見えている。わかってはいるが長年携わってきただけに踏ん切りが付けにくいのだろう。かく言うわたしも同じだ。
 書きあぐねている原稿に心を残しながら畑に向かう。着くと、携えていたノコギリと剪定鋏のベルトを腰に巻き、全体を一べつすると枝に足をかける。手をのばし伸び過ぎた枝やこみ入った箇所を落とす。さっぱりと軽くなった木は陽の光を存分に浴び葉をそよがせている。ミカンの剪定は好きな作業の一つだ。仕事に入ると原稿のことはもう頭にない。

《『樹林』2020年8・9月合併号(通教部作品集)より、加筆・修正して再掲》

作品寸評

 作者の下里厚子さんは、有田みかんの本場に住み、家族ともどもでその生産者。通信教育部の小説クラスに5年余り在籍しているが、その間スクーリングには年に一度ほどずつしか出席していない。みかんを育て収穫するためには年間を通じて立ち働かねばならず、大阪に出向く余裕をなかなか捻出できない、とのことである。
 孫たちが学校に行けないなど、コロナ禍はこのみかん地帯にも及んでいるのだが、都会人とわが身を対比して“コロナ騒動”を飄々と眺めている感がある。何につけても“自粛”気味な、都会人の一人たるぼくからすると、日々の鬱屈を幾らかでも晴らしてもらえた。
 庭(池)造り、小説づくり、みかん作り、と三様の“つくり”に日常的に取り組める人はまずいない。それぞれに労苦があり、工夫が要求され、時間のかかる仕事である。だが、その後の達成感は、何物にも代えがたいものがあるだろう。作品の最後7行に、そのことが上手く表現されている。
(小原政幸)