在校生の作品
短編小説「サイダー」
何度もおじぎをくり返し、最後に事務所のドアを閉めながらおじぎをして、ドアノブに頭を下げるような格好になってから、ようやく彼は頭を起こした。
それから暑い日射しの下、人けのない住宅街を歩いた。
プランターのサルビアの赤色だけが、くっきりと、日射しをはね返して、自分の強さを主張する。
陽炎のようにぼやけた視界の中を、塀や植え込みの少しの陰を探して、道のこちら側、あちら側と移動しながら歩いた。
足の形に伸びて広がった脂の抜けた靴の甲。油の切れてきた彼の出張人生にお似合いのくたびれた靴を見下ろして、自嘲の笑みを浮かべた。
二十分ほども歩いて、さびれた駅にたどり着いた時、二時をずっと過ぎていた。
「席を外してます」と札を下げた人けのない駅の窓口。時刻表を見上げると、電車は今、行った後で、三十分以上来ないのが分かって、彼は、空腹をおぼえた。
さっき通り過ぎたパン屋や喫茶店に後戻りする元気もない。
かつて、どれだけの人が集まったというのか、駅前は、ただただ広い。
白っぽいセメントは陽を照り返し、まともに目を開けていられない。
動くものの音が聞こえない。
重くぶ厚い熱気が、音を吸いこんでいるのだ。
あんまり暑すぎて、駅前タクシーは窓を開けたまま。運転手はどこかへ逃げてしまったようである。
べったりと汗の張りついたワイシャツを剝がしながら、人ひとりいない駅前を見回した。
よしずを立てかけた陰が、タクシーか何かの待合所になっている。そこに暗がりを見つけて、彼は小走りに逃げ込んだ。
缶飲料とアイスクリームの自販機が二台並んでいて、迷わず彼は、アイスクリームのひとつのボタンを押した。
そばのベンチにどかりと座り、派手な三原色の包装紙をべりべりと剥がして、少し固いアイスクリームにかじりつく。
三口目には、もうアイスはゆるみとろけて、コーンをつたわるクリームを顎を突き出して舐めとる。駅前のタクシー乗り場でこの格好は、家族に見せたくないなと思った。
息つく間もなくアイスクリームを食べ終えたとき、視界のすみに母子が歩いてくるのが入ってきた。
母子の服装を見て、とっさに、アイスの包み紙を見られてはいけないと、乱暴にタオルハンカチに丸めこんで、くしゃっと握った。いい大人がアイスなんか食べているのが、恥ずかしいと思うより先にしたことだった。握って同時に、彼は自分を恥じた。
彼は勝手に母親の財布の中身を邪推して、子どもがアイスを欲しがらないようにと念じたのである。
小学校に上がる前だろうか、年長の男の子と、二、三歳くらいの女の子を連れた若い母親の三人だった。
何度も水をくぐって色の抜けた服を着て、母親は、日傘もささず、帽子も被らず、荷物を提げている。何が入っているのかごつくて重そうで、あんなものを提げながら、幼い子を連れて歩いて来れるのは、よほど従順な子供なんだなと感心したりした。
電車に乗るつもりはないようで、母親は子供たちに話しかけながら、三人はまっすぐに自販機のそばに寄ってきた。
しばらく相談してから、男の子が、ジュースのひとつのボタンを押した。
ゴン、ゴトンと音がして、兄妹はめずらしそうに取り出し口をのぞきこむ。
緑と白の模様のサイダーの缶を持って、三人は彼のそばから離れて、駅前の暑い日射しの下に戻っていく。
母親は缶を開けると、まず味見のようにサイダーをひと口飲んで、小さくうなずいた。それから女の子に手渡した。
小さな手に余る缶をこわごわと大切に抱え、もち上げて飲むのを、母と兄は心配そうに見守る。
次に受け取った男の子があごをつき出して飲むのを見ながら、妹は口をすぼめて同じようにあごを上げて飲む真似をするのだ。
そして二人ともあごを下ろして、にっこり笑い合っている。あとは兄妹が、かわりばんこに飲んでいるふうだった。
二人を見下ろしている母親。
三人の小さな環。
自分の小さい頃、あんなふうに家族が顔寄せて楽しげに笑い合ったことがあったろうかと、彼は考えていた。
うらやましい気持ちが抑えられなかった。
じっと見てはいけないと、視線をそらすのだが、見ずにはいられなかった。
陽に灼けた母親の横顔はつるりとして、太陽の光を弾き、やせたからだに汗ばんだえりあしと二の腕が少しなまめかしくもあった。
彼は、自分の母親の若い頃を思い出そうとした。
最近、とみにしわくちゃになった顔ばかり浮かんで、うまくいかなかった。
自分の母親も、昔はこんなやさしい表情をした時もあったのだろうか。
家族間のいざこざばかりが思い起こされ、その記憶がじゃまをして、楽しかった思い出が浮かばない。
こうであれ と言われて「行儀のよい子」に育ったが、いたずらをしたり、じゃれ合ったりすることは「行儀の悪い」ことだったので、そんなふうにしている友だちを羨ましく眺めていたことも思い出した。
世間に見栄をはって生きることが、家族の平和と幸せを表していると思っているような親。それを自分も受け継いでいるような気がしてならない。
自分がいつも持ち続けている不安の原因のひとつは、これかもしれない。
汗がひいて、シャツも乾いてきて、彼はそんなことを考えていた。
飲み終えた空き缶を妹が抱えて、兄妹は彼のそばに戻ってきた。空き缶ボックスの底をのぞきこんで、慎重に缶を落とした。
母親は日射しの下に兄妹を待って、それから三人は、国道の方へ歩いて行った。
どこかで風鈴がちりんと鳴ったような気がして、それをきっかけに、息を止めていたあらゆるものが動き始め、懐かしい音が静かに周りを満たしていった。
いつのまにか、母子の姿はなくなっていた。
あれから彼は、自販機の前に立つと、サイダーが目につくようになった。
その度に買ってみようかと思っては、買えずにいる。
彼の喉の奥にあるサイダーの記憶は、ちょっと苦くて、少し尖った泡が、喉の途中に引っかかり、擦れて小さなきずをつくって落ちてゆくおとなの味であった。もっと大きくなって、これをごくんごくんと飲み干すような大人になるんだと思わせてくれる味だった。
今飲んだら、年取った今の自分の味覚が上書きされ、あの記憶が消えてしまうかもしれない。
あの母子の記憶も消えてしまうような気がして、このままサイダーは飲まずにいようかと思っている。
《『樹林』2022年12月号“秀作の樹・個性の花”欄より再掲》
作品寸評
陽炎のむこうに、輝くまぼろしのような母子の姿が、浮かんで、消えてゆきます。あざやかにワンシーンを切り取っています。短い枚数ながら、疲れた主人公の歩みが確かに伝わってきます。母子に触発され、主人公が自らの家族を回想することで、作品に奥ゆきも生まれました。このような短篇は、作品の閉じ方で成否がきまってしまうものですが、「サイダー」は、ラストの数行が良く、主人公の味覚の記憶を描いて余韻が生まれました。作文ではなく、味読させる作品になっています。
小説家には、まずストーリーが思い浮かぶタイプと、核となるイメージを広げていくタイプがあるようです。エンターテイメントを書く人は前者のタイプが多く、芸術性を重視する人は後者のタイプが多いのでしょう。作者は後者です。細部をつらねていっても作品は完結しませんので、素材の取捨選択をやることになりますが、「サイダー」は取捨選択が的確で無駄のない佳作となっています。
(高橋達矢)