詩の連続講座(夜)

担当講師:
冨上 芳秀(詩人)
半年3回/月曜日開催
18:30〜20:30

 

在校生無料

冨上 芳秀(詩人)

 スランプになったことはないかい。詩が書けなくなったという状態だ。書けなかったら書かなかったらいいという人がいる。しかし、そんなことをすれば永遠に書けなくなってしまう。そうではない。スランプになって焦るのは、書きたい気持ちがありながら書けないから悩んでいるのだ。先日、私はメールで毎日のように詩を発表していた会を解散した。二〇〇四年六月一日から開始し、十八年二十二日間、続けたものであった。この間、グループ全体で八千二百四十八篇の詩を書いた。私自身は二千三百十五篇の詩を書いた。といっても、日記のような生活の感想文ではない。生活で刺激を受けたことを核に幻想的な物語や言葉遊びの実験など色々と試みた。また、自分のノートに書いて誰にも見せないのではない。詩誌などに発表するように、作品を作り、推敲し、完成した作品をグループ全員にメールで送るという発表形態である。しかし、この公開講座をはじめ、とても忙しくなってきた。十八年以上こんな緊張状態で詩を書いてきたのだから、もういいと思った。これから以前のように書きたい時に書き、月に一回は、実験的な詩を書くという普通の生活に戻る。さて、どうすれば、スランプにならずに作品が書けるのか。毎日書こうとすればスランプにはならない。しかし、それは無理だろうから別の方法を教えよう。語るのである。自分の思いを相手に語るのである。現在、悩んでいることや、生まれて今まで経験したことを語るのである。それをものすごい勢いで紙に書きつけているとトランス状態になる。それがオートマチズムである。けれど、別に、そんな状態にならなくてもよい。書こうという意志があれば、語ることができる。その語ったことは色々な要素がある。それらをテーマによってまとめるのである。しかし、自分の狭い体験のみで考えるだけでは充分でない。他者からの刺激は詩作のエネルギーになる。日本語の音楽性を考えるなら那珂太郎を読めばよい。ソネットなんかは日本語とは無関係である。日本語を研究しなければいけない。吉岡実は読んだことがあるか。現代詩の難解性の元凶のようにいわれている。では、その世界をどう読み解くか。詩を書いていて吉岡実が読めなくてはどうしようもない。粕谷栄市の詩は、私がポエジーというものを初めて実感した世界であった。ああ、そうか、詩は改行しなくてもいいのだなと思って、私は散文詩を書きはじめた。もちろん、この講座の目的は、参加者の詩について考えることである。日常生活詩もよい。しかし、もう少し豊かなポエジーに満ちたイマジネーションを自在に駆使する詩も書けるようになってほしいのである。

スケジュール

10月31日(月)
那珂太郎
1月23日(月)
吉岡実
2月27日(月)
粕谷栄市

備考
⦿受講希望者は詩作品を講座日の9日前までに、大阪文学学校事務局(〒542-0012 大阪市中央区谷町7-2-2-305)へ郵送のこと。作品は各自1篇とする。 タイトルと氏名は3行、本文は37行までとする。散文詩は1行30字詰め(原稿用紙だと貼り合わせればよい)、改行詩は1行最大40字まで。提出作品は全てコピーして講座の時に配布します。