在校生の声
25春 入学生の想い
通教部本科 松﨑貴子 (島根県/26歳)
書くことを仕事にしたい
日直の日は憂鬱だった。授業が終わると、黒板を消さなくちゃいけないし、学級日誌も書かなくちゃいけない。男女で組まされるため、相手が野球部だった時なんか最悪だ。「おれ、部活あるから」と言って、全部こっちに任せてくる。私だって部活があるのに。放課後の教室。学級日誌を開く。こんなの誰が読むんだろう、と思う。今日の時間割を書いた後に、今日の出来事を書く欄がある。それが、2、3行なら良いのだが、10行もある。なんか書くことないかな。体育でバドミントンをした。抜きうちで英語の小テストがあった。今日一日を思い出してみても、語るほどのことはなかった。そのときふと思った。なにか自分が書きたいことを書いてみよう、と。小学生の時に通っていた学習塾のこと。3歳の時から国語だけを習い続けていたこと。その影響か、今になっても国語だけは好きなこと。書き始めると、止まらなかった。ふと顔をあげて、時計をみると30分も経っていた。時間がこんなに早くすぎたのは久々だった。
翌朝、先生から話しかけられた。「松﨑さん、いい文章書くね」と言われた。これまで先生なんて、成績が良い子か明るい子にしか興味がないと思っていた。そのどちらでもないわたしは、先生から声を掛けられて、本当にうれしかった。自分の書いた文章を褒められることは自分自身を認められたように感じるのだなと思った。そして、わたしはものすごく単純なので、文章を書くことを仕事にしたいと思った。高校1年生の夏だった。
それから11年がたち、わたしは高齢者施設で働いている。文章を書くことを仕事にはできていない。大学生の時に、たくさんの文章と出会った。他の人の書いた文章を読むと、わたしよりこの人の方が全然うまいじゃん、と思うことが多かった。高校生の時に先生からかけてもらった、「松﨑さん、いい文章書くね」という言葉にすがって、自分には文章の才能があると勘違いしてしまっていた。それから、わたしは、就職活動でも、出版業界は避けた。本当は一番興味のある業界だったが、わたしにはどうせ受かりっこないし、エントリーシートの時点で、文章のうまい他の学生と比較されて、選考に進めないだろうと思った。その結果、わたしは、競争率の低そうな介護業界で就活を行い、内定をもらった。
先日、実家に帰って、荷物を整理する機会があった。押し入れを開け、段ボールを取り出し、ガムテープをはがすと、そこには、わたしが書いた、たくさんの文章があった。渡そうと思って渡せなかった手紙、読書感想文、日記。いきいきとした、わたしの思いが書いてあった。そうだ、わたしは書くことが好きで、書くことを仕事にしたいと思ってたんだ。そう思い出した。
大阪文学学校では、これまでの人生の中で体験したことをテーマに、たくさんの文章を書いてみたい。少し前のわたしなら、他の人が書いた文章を読んで、自分よりうまいじゃん、と落ち込んでいたと思う。でも、今なら、自分が今度、文章を書くときのアイデアをもらえたと思って、前向きに捉えられる気がする。そして、いつか、書くことを仕事にする。小説家になる。絶対だ。
〈在籍半年 「文校ニュース」25・6・14〉
25春 入学生の想い
夜間部本科 生駒太一朗 (奈良県)
背中を押されて
齢六十の誕生日に「死ぬまでにしたい十のこと」を書き出した。
1位 ピラミッドに行く。
2位 マチュピチュ遺跡に行く。
3位 ベストセラー小説を書く。4位、5位、……。
還暦を過ぎても会社人生は続いており、数年が経ったある日、ふとリストの事を思い出した。書き留めたビジネス手帳を探し出し見直すと、なんと、小説を書く事が堂々第3位にランクインしている。それも恥ずかしげもなくベストセラーと書いてある。
さて、どうしたものかと自問自答してみる。
ベストセラーは論外だが、死ぬまでに一つぐらいは小説を書いてみたいと思う気持ちは心のどこかに種火のように残っていた。自分が読んでワクワクするようなエンタメを書いてみたい。
この歳から小説を書くにはどうしたらよいだろうか?
まずは文章の書き方を学ぶところからと思い、ネットで調べると文学学校なるものが大阪谷町6丁目にあることを知った。家から電車で通える。
早速「一日体験入学」に参加したものの、「合評」というスタイルに怖気づき、入校をやめてしまった。
翌年、梅の花が咲き誇る頃、入校案内が送られてきた。
桜の季節となり、読むともなしに案内資料をパラパラめくっていると、「小説がまだ書けていなかったら『書けていません』と言ったらいい。合評が上手に言えなかったら『分りません』と言おう」
ご婦人が綴られたこの一文が目に飛び込んできた。そうだ、怖がらなくて良いんだ。同じ思いの在校生がいる。その瞬間、合評する自分の姿が想像できた。まだ間に合うだろうか? すぐに学校に電話した。
翌日の入校式に向かう道すがら、まぶしい日差しを浴びて燦々と咲き誇る桜が、我ら新入生を祝ってくれているかのようだった。
入校して1か月余り、二十歳以上年下の若者達と机を並べて共に学んでいる。
彼らの素晴らしい文章や、彼女たちの深い洞察に、毎回圧倒されながらも、勇気をふり絞り自分なりに論評している。先日も言葉を知らずに、頓珍漢な解釈をしてしまいとても恥ずかしい思いもした。しかし、楽しい。創作の現場にいることを肌で感じられる。学びの歴史が詰まっているようなこの建物、老若男女が目を輝かせ合評し合うこの教室、こんな素敵な場所をもっと早く知りたかった。
来週、いよいよ私の合評の日がやって来る。クラスで最後の順番だ。
出来上がった作品を読み直すと、どうしても皆さんの提出作品と比べてしまい、「まだ書けていません! 次回の授業にずらしてもらえませんか」と逃げ出したくなる。やさしい合評は望んでいない。しっかりダメ出しをお願いしたい。
クラスの皆さん、還暦過ぎの1年生、クラスメートとして切磋琢磨してもらえたら幸甚です。先生、皆さん、よろしくお願いします。
昨日、事務局から入学にあたっての抱負を聞かれ、思わず「覚悟と勇気です」と答えた。それはご婦人が綴られた文章のタイトルだった。
私の文校生活は今、間違いなく「覚悟と勇気」で成り立っている。
〈在籍半年 「文校ニュース」25・6・14〉
25春 入学生の想い
昼間部本科 南田由芽〈みなみだ・よしめ〉 (奈良県)
プロポーズ
この想いは恋だ。青春時代に誰もが体験する恋。身体(からだ)の芯が焼き切られて、他の何もかもが手につかなくなるガチ恋。そんな僕の恋心は一冊の本に由来する。
『蹴りたい背中』に出会う前、僕は本からは遠い場所に居たように思う。
巷の若者よろしく、電車内でいちごミルクを飲み、可愛い子に視線を送り、いかつい人が来たら三センチぐらい縮む。そんな量産型高校生だった。
第一三〇回芥川賞授賞式のニュースを見たのも偶然。ただ、話半分で聞いていた眼球に雷みたいな衝撃が走ったのは確かだ。初手は綿矢りささんのルックス。マジ、タイプ。こんな可愛い人が小説を? ということで本屋へ走った。
まさに衝撃だった。いや、綿矢りささんの見目麗しき姿もだけれど、何よりも『蹴りたい背中』という小説が激強パンチだった。言葉の美しさ、表現の種類の多さ、そして純文学の面白さ。この瞬間、僕は完全に沼に嵌った。
本を読むと、何かを書きたくなるのは必然なのだと思う。滾るような焦燥に突き動かされ、初めて小説を書いたのは高校三年生。衝撃を受けた『蹴りたい背中』を参考に、思いつくままキーボードを叩いた。完成したそれは誰が見ても稚拙で、面白みの無いものだったけれど、何よりも僕は「小説を一つ作り上げた」という事実に震えた。
こんな純粋(?)な憧れから始まった執筆活動。それは本数をこなすうち、出所不明の自信へと進化し、遂には野心という名の蕾を持った。「せっかく蕾が付いたなら、咲かせてやるのも主人の役目」と考えて、短編、中編、長編、思いつくままに小説を作って、思いつくままに文学賞へ応募した。
返ってくるのは一次予選敗退の報せばかりだったけれど、自信を失わずに済んだのは、馬と鹿が走り回っているこの脳のおかげだと思う。けれど自信の裏側には、このままではダメだ、という実感が常にあった。僕には何かが足りない。それが分からない限り、この野心が華を咲かせることはない。
だから探した。僕に学びを与えてくれる場所。僕を高みへ連れて行ってくれる場所。仲間とライバルの居る熱い場所……。
「大阪文学学校?」
【小説 文学 学校 関西】と打ち込んで、スマホ画面に現れたのは見慣れない名前。見学OKとも体験OKとも書かれてあったけれど、そんなの全部すっ飛ばして入校希望を送信していた。細かいことなんてどうでも良かった。入学しない、なんて選択肢は僕には無いのだから。だって、間違いなくこれは運命だから。
僕が目指すのは小説家だ。それ以外は一切考えていない。
この頭の中にある世界、そしてその世界に生きる住人を、一日でも早く現実世界へ連れ出してあげたい。そしてその子達と共に、僕は小説家として生きていきたい。
そのために、僕は大物になる。物語を創り続ける大物になる。
これが僕の初恋への答え。
そして、これが僕のプロポーズだ。
〈在籍半年 「文校ニュース」25・6・14〉
課題ハガキ
文学学校入学にあたって
通教部本科 栗城〈くりき〉陽子 (千葉県/80歳)
60年ぶりの邂逅
20代の頃、熱海だか箱根だかの社員旅行を欠席して、太宰治の青い全集を持ち、上野から北へ向かう夜行列車にぶらり乗っていた。風来坊の気質がある。
そして社会に出て初めて就職した、気質に合わない大企業をさっさと辞めてしまう。人間関係はとてもよくて、2年ほどしかいない女子社員の送別会を盛大にしてくれた。
時は経って77才喜寿の祝だ! と旅に出た。福岡博多の旅だ。あの日の送別会の幹事役だった親切な先輩が博多に移住している、と聞いて連絡をしてみる。
お会いできた。聞くところによると私は退職理由を、文学の学校で学んでなにか書きたいのだといったとか、それでみんなで万年筆を送別品に選んだとか……すっかり忘れて、長い長い年月がたってしまっていた。
帰ってからは律儀に文学学校を探すことにした。思い出したことがある。昭和40年代のこと、東京の東中野にあった日本文学学校というところに夜少しの間通ったことがあった。学生運動はなやかなりし頃で勉強もせず落ちつかない日々だった。
ある日こんなことを小耳にはさんだ。「大阪に同じような文学学校があって、そこはここより書くためには良いところらしい」と。
昨年、東京新聞の小さな記事に、なつかしの大阪文学学校を見つけた。
60年ぶりの邂逅であった。
〈在籍半年 「文校ニュース」25・8・9〉
課題ハガキ
最近強く思うこと
夜間部本科 梅澤昌子 (大阪市)
関西のオバチャン
「おかんはもう〝関西のオバチャン〟なんやから、出かける時は飴ちゃんくらい持っとかんと」と、高校生だった息子にのど飴の袋を差し出されてから十年あまり。
わたしの中のオバチャン度は順調に加速している。自分をよく見せたいという思いがどんどん減っている。恥ずかしいと感じることが少なくなり、「しゃあないわ」「どうでもええわ」で済ませることが増えた。小説なんて書いたことがないのに、大阪文学学校への参加をほぼ直感で決めたのも、「まあ書けなくても、しゃあないわ」というオバチャン的な諦念があったからにほかならない。
いざ、小説のクラスに入ってみると、これが実に楽しい。毎回の合評は刺激的で学ぶことばかり。作品のストーリーを考えるのもワクワクする。締切には遅れたものの、短い小説がなんとか完成した。深く読み込んでくれるクラスメートとチューターの講評を聞いた晩は、感激してなかなか寝つけなかった。
いやはや、関西のオバチャンになって、本当によかった。妙な自意識の鎧が抜け落ちて、とても楽になった。才能があるかないかなんて、どうでもいい。わたしってつまんないヤツやなーという気づきすら、新発見として面白がれる。書いていたらそのうち壁にもぶつかるだろうが、それでもなんとかなるだろうという気がする。
できなくなったこともあるけど、できるようになったこともある。それは結構楽しくて、幸せなことだと、最近強く思う。
〈在籍半年 「文校ニュース」25・8・9〉
課題ハガキ
私のふるさと
昼間部本科 藤山育子 (大阪府)
勝負の対象
あえてこのタイトルを選んでみた。ある程度の年齢になれば懐かしく思うのが「ふるさと」というものなのだろう。何冊か読んだ本の影響もあってか、そう理解していた。だが、どうだ。年々どうでもよくなっているものの筆頭に「ふるさと」がある。良い思い出なんてない。ひねり出せば、ひとつ、ふたつはあるか、いや、思い出せない。
意思を押さえつけられて生きてきた。若い頃、一番輝いていると社会的に言われている人生の始まりの時……辛かった。イコール「ふるさと」だ。偏屈な両親はますます難しくなり今だに健在だ。人間という物体はいつまで生きるのだろう、とすら思う。毎日かけさせられていた日々の報告である電話から20年でようやく解放され、罵詈雑言を浴び、しおれまくって心が枯れる寸前に携帯をブロックした。これで勝ったと思ったのだから、「ふるさと」とは私にとって勝負の対象なのだ。
これから先の人生にも郷愁を帯びた「ふるさと」は無い。過ぎてきただけだ。傷みを忘れることが出来るとは思えないが……あちらの世界に旅立ったあとに懐かしく思える「ふるさと」をこれから探しに行くのは、有りかもしれない。
〈在籍半年 「文校ニュース」25・8・9〉
はじめてのスクーリング
通教部本科 清野〈きよの〉千晶 (東京都)
おしゃべりアヒル、スクーリングに行く
新幹線の中でわたしは内心冷や汗をかいていた。とうとう文校のスクーリングの日がきたのだ。大阪文学学校。その歴史深く、あまたの作家や詩人を輩出している。物を書くことに淡いあこがれのあったわたしが、勢いで入学を申し込んでから早三ヶ月。ほぼ毎日更新される文校ブログからは本気しか感じられない。いったいどんな場所なのか。朝な夕な通学組の猛者たちが激論を交わしているはずだ。そしてスクーリングは、そのリアルを求めて全国の通教部生が一同に会する、半年に二回の貴重な機会なのである。こんなガチンコの場に、来てよかったんだろうか……。
ぐるぐる思考のまま、新谷町第一ビルに到着した。昭和建築の渋いガラスドアを入り、右壁ずらりの集合ポストに目を走らせる。見つけた、文校の郵便受け! 君がわたしのレターパックも受け止めてくれたのか! つい手を合わせてしまう。ポストさん、どうか今日を無事に過ごせるよう見守ってください。
大教室はすでに人だかりで、ビカーッとまぶしかった。席は一番前が空いていた。プラチナチケットにうっかり当選してしまった気分だ。恐縮しながら着座した。まず講義だ。
木下昌輝さんは、長編時代小説「愚道一休」でW受賞された文校の先輩である。木下さんは、はじめに短編賞で受賞したことで短編を書く機会を多く求められるうちに、長編をどう書くのかが分からなくなったという。サラリーマンな自分には身に染みる話で、別世界の天才と思っていた存在が、一気に身近になった。長編の作り方を探ろうと、一人こもって黙々と韓国映画を見続けたという木下さんが、私たち後輩に話してくれたのは、壁にぶつかったとき、いかに手を動かし続けるかということだった。
木下さんは創作論を読むのみならず、それを使って場面ごとに数々の長編小説を分解しまくり、執筆中の自作を分解、検証しまくった。どれだけの量をしたことか。しかもプロだから、きっちり時間管理して取り組んでいるはずである。ここまで話していいんですかと思うほど、具体的に話してくれたやり方は、音楽や映像の編集作業のようでもあり、現場の工程管理表を思い出させるものでもあった。ある日の打ち合わせで、ライターとカメラマンが、自分をそっちのけで一休のことを語り合っていたとき、手応えを感じたという場面は、やった! と思わず自分も手をぐっと握りしめていた。すごいライブだった。
講演を聞き終え、この時間がさっき話してくれた創作論どおりだったと気づいた。まんまとやられました。これがプロのエンターテイナーか。熱気とさわやかな感動をじわじわと噛み締めながら、次の会場の福祉会館へ向かった。いよいよ初めての合評会である。
詩・エッセイ本科の冨上チュータークラスもまた、すでに皆さんお揃いだった。難しそうな話をしている。わたし、生の詩人たちにお会いするのは、人生で初めてです。ああ緊張する。右隣の方は、二十年前に文校で学んだと。ひええ。「澱のようなものを表現できたら」と、奇遇にも自分が課題ハガキに書いたのと同じ言葉で自己紹介された。澱センパイが隣でちょっとホッとした。
合評会とは、作者は自作を読み、皆が意見をぶつけてくる場だ。冨上クラスで樹林に取り上げたのは、詩二篇とエッセイ二本。一つの作品に最低三十分はかけていく。これが想像以上に面白かった。他人の作品の、ここがいいと話したい衝動にかられる自分に、なぜこの言葉を使ったのか、あなた自身を知りたいと思う自分に、干からびて地割れしていた心に言葉が染み込んで、再び動いている自分に、気づくのだ。
ところで自分の合評は、惨憺たるものだった。そりゃそうだ。わたしときたらガアガアとよくしゃべるが、喉に何かモヤモヤが詰まって、ここ数年言葉がうまく話せないまま、心が閉じたアヒルのように生きていたのだから。今回提出したのは、自分が何に詰まっているのかを見つけたくて、ただ追体験的に写実しただけの作文だ。皆さんから頂いた、一見厳しいような感想は、実はそのことをちゃんと受け取って、照らし返してくれていた。質問は、わたしがモヤモヤの膜を破って、世界と再接続するためのヒントを教えてくれた。そうか、わたしはつながりたかったから、文章を書いてみようと思って文校に入ったんだ。
冨上チューターは「詩というのは縁のもの、言葉が言葉を生む、詩は書かれた言葉によって解釈しなければいけない、伝えたいこと、言いたいことを、相手が受け取れるように、パンくずを道に置いていくように書いていく」と繰り返し話してくれた。言葉とは、交わし、返すものなのだ。言葉を書きたい。そして次は、詩を提出したい。そう思った。
大教室に戻ると、交流会が始まった。テーブルにはお酒にお寿司が用意されている。ありがたくも冨上チューターと、合評会でも温かい言葉をかけてくれた、詩人の林美佐子さんのお隣に寄せていただいた。最年長で田辺聖子さんの半年先輩でもある、二谷世津子さんの音頭を合図にぐっと飲み干す。今度はビールが胸に染み込んだ。美味い! 程よく気が緩んでいたところに、新入生から挨拶ということで、突然マイクが回ってきた。小原さんがニヤニヤしている。絶対夫の次に回そうと画策されたのだろう。ガアガアあひるは、はい、夫婦で入学しておりますと皆さんの前で白状した。梁山泊かとドキドキしていた大阪文学学校は、愛情深く、とても温かい場でした。ご一緒できた全ての方に感謝。スクーリング、絶対参加をオススメします。
〈在籍半年 「文校ニュース」25・8・9〉
特別講座に参加して
昼間部本科 久野庭子 (大阪府)
プロの作家になれたら……
「この中に、プロの作家を目指している人はいますか?」
二月十五日の特別講座はそんな風に始まった。文校の教室に詰めかけた五十名ほどの内、私を含め十名近くの手がぱらぱらと上がる。藤岡さんはそれを見て、こくっと頷くと、では、私もそういうつもりでお話します、と言った。
『リラの花咲くけものみち』がドラマ化された、作家・藤岡陽子さんと、芥川賞作家・玄月さん、そして大阪文学協会代表理事・葉山さんの鼎談だった。藤岡さんはマイクが回ってくる度、出来るだけ多くを伝えようと熱を込めてお話して下さった。書く前に必ずプロットを立てるという藤岡さん。対して、純文学ではプロットを立てない作家も多い、と玄月さん。玄月さんは行き詰まると登場人物Aを投入し、また詰まると人物Bを投入し……という具合に書き進めていくという。対照的な二人の作家の話を聞くことが出来、実りの多い講座だった。
終了後は中華料理・興隆園で懇親会が催された。ここでも藤岡さんは文校生の質問に答えてくれ、講座に負けず劣らず内容の濃い会となった。
この日、藤岡さんはご自身の創作の秘訣を幾つも伝授してくれた。受講出来なかった方のためにも、折角なので紙幅の許す限り紹介したいと思う。
①五十枚の短いお話×十編と考えると、長編小説が書ける。一章に必ず一つ山場を作る。
②登場人物全員のプロフィール帳を作る。そうするとキャラの言動がぶれない。
③読んだ人にどんな気持ちになって貰いたいかを考える。
④空想で書けないタイプなので取材を大切にしている。目に入ったものをメモしておき、情景描写に入れると本物らしさが出る。アマチュアの内は知人の伝手を頼って取材していた。
⑤編集者にアドバイスを貰えるので、プロになってからの方が楽に書けるようになった。人に貰うアドバイスは重要。文校で信頼できる読み手を探す。
⑥本はたくさん読む。売れてる本は必ず読む。小説を書く休憩に読書。
⑦推敲をせず、どんどん書き進めて完結まで行く。その後最初に戻って推敲を始める。
⑧描写のための語彙を蒐集したノートを作っている。気になった言葉、表現をメモしておき、清書。「雪」「夜」など索引をつけ、困った時にはこのノートを見返す。
⑨好きな小説の構造を分析する。例えば現代パートに過去パートが挿入されるタイミング、分量のバランスなど。この時、自分が書きたい作品と同程度の枚数の作品を選ぶこと。
⑩書けない時は、とにかく手を動かす! 二作目が書けない、という新人作家に話を聞くと、ざっくりしたプロットしか決まっていなかったりする。藤岡さんは『リラの花咲く〜』を書く前にA4十八枚分の緻密なプロットを作った。
藤岡さんは懇親会でも熱意を持って質問に答えてくれた。一つ尋ねたら十返してくれる。「物語を書くことで誰かの背中を押したい」と仰っていたが、その言葉通りのお人柄だった。編集者から教わった方法や、ご自分で積み上げてきた努力、それらを惜しげもなく伝えることで、小説を書きたい、作家になりたい文校生の背中を押して下さったのだ。
今まさに売れている作家の話をすぐ隣で聴くことが出来たのは、痺れるほど刺激的だった。懇親会の後、私は文校のクラスメイト・Uさんとお話しながら帰った。「もし作家デビューしたら、この前合評したUさんの短編も、いつか本になるかもしれませんね」と私は言った。デビュー前に書いた作品は無駄にはならない。プロになれば、手直しして出版されることもあると藤岡さんが言っていた。私は小説を書き始めたばかりだというUさんの作品が大好きなのだ。今日の懇親会に参加して、藤岡さんのお話を聞いた私たちが、いつか二人ともプロの作家になれたら……それって凄いな、と思いながら帰り道を歩いた。
きっと、今夜は忘れられない夜になると私は思った。いや、忘れられない夜にするのだ。
〈在籍一年 「文校ニュース」25・3・1〉
学生委員会の活動
25年度春期学生委員長 林 隆司(夜間部研究科)
大阪文学学校(文校)には只者でない人達が集まってきます。文校に入った時点でこれを読んでいるあなたも只者ではありません。その只者では無い人達にどうしたら、楽しんでもらい、喜んでもらい、ワクワクしてもらえるのかを考えて形にするのが私たち学生委員会です。
私は二年半前に文学学校に入って、いや文校に入って学生委員会に所属して、人生が変わりました。コロナ禍の閉塞感の中、在宅介護3年目。先の見えないトンネルの中にいた私でしたが、文校に入学と同時に何かに導かれる様に学生委員会に所属しました。それからというもの毎日が楽しくて、外へ出ればそれまでは、どんよりとしていた風景もすべてのものがキラキラと輝いて見え、毎日ご飯が美味しく、お肌もつるつる、すべすべで……(個人の感想です。効果を保証するものではありません)
そんな学生委員会の各部の活動をご紹介します。
・イベント部:文校の三大イベントである①夏季合宿、②新入生歓迎文学散歩(春・秋)、③文学集会を企画運営します。①夏季合宿は文校の修学旅行です。今年は姫路方面でした。②文学散歩は遠足。昨年秋は大阪新世界界隈。今年の春は大阪四天王寺界隈でした。③文学集会は文校の学園祭。「詩のボクシング」や模擬店で盛り上がります。文校は「大人の集団」ですので各イベントすべて、お酒がついてきます。お楽しみに。
・新聞部:学生委員会の新聞「コスモス」を発行しています。文校オフィシャルの「文校ニュース」が一般紙だとすれば、コスモスはスポーツ新聞の様な位置付けです。文校ニュースとは違った切り口の情報をお知らせします。
・在特部:さて、在校生作品特集号編集部(在特部)です。日本に学校、数あれど在特部が存在するのは文校だけ。文校発行の月刊文芸誌『樹林』のうち、5月と11月に発行される号は、在校生作品特集号として在特部が関わっています。在校生が作品を応募し、在校生の選考委員が掲載作品を選び、在特部が編集・発行します。まさに「文校生の文校生による文校生のための本」を作るのが在特部です。
貴方も学生委員になって、私たちと一緒に普通ではできない経験をしてみませんか。
学生委員会は月曜日に月二回、夜七時から文校教室で行われます。
Zoomでの参加もOKです。見学は常時歓迎いたします。
学生委員会の開催日時、Zoomの情報など、お問い合わせは学生委員会(担当 林)まで、お気軽に。
うちのクラスは
こんなんやで
富田眞人〈とみた・まさと〉
昼間部本科/小説(佐伯敏光クラス)
火曜一時半を過ぎ、人が集まり始める。メンバー同士の会話が生まれ、会話の花が咲く中、一五分前頃、講座の主幹佐伯チューターが姿を現す。
二時前後、老翁の発声で講座が開く。静かにそれでいて、執筆者の胸の内に秘めた想いの籠る作品を、仲間が愛しみながら、真摯に一週間かけて読みといた批評を披露する。
講座の参加者は多岐に渡る。様々な職種、生まれ育ち、幅広いバックグラウンドから集まった人たちが、ある人は人生を語り、ある人は創作に励む。その世界は様々だが、どの作品もその創意がめぐらされ、言葉の波にあふれる。
紳士淑女なメンバーだが、本番は講座が終わってからかもしれない。近くの喫茶店や居酒屋に場所を移し、議論は続く。文学論から、演劇、映画、音楽、造形、多岐に渡る芸術論を繰り広げる。
その熱はその夜のみならず、テクノロジーを駆使し、続けられる。だが、その会話から溢れるのは、この人たちの芸術に対する熱い想い、そしてそれぞれが持つヒューマニズムだ。
そんな想いに溢れたこのクラスを佐伯翁は優しく見守り、アドバイスを送る。そういう人たちの想いが重なり合って、我々はより一層創作欲を掻き立てられ、執筆に勤しむ。合評が待ち遠しく、仲間の評は次の創作に誘う。
そんな一日を我々は楽しみ、次の週の集いを心待ちに一週間を過ごす。最初一枚しか書けなかった作品は二枚に増え、そして一〇枚を超える。苦痛にすら思えたパソコンと向き合う日は、歓びに変わり、励みとなる。
私のご近所に住まれて、中学校の校歌を作詞してくださった小野十三郎先生を校長として始った、この学校は今、私たちのクラスのメンバーをこんなに楽しませてくれる場となった。この人たちと繋がったことに感謝したい。
うちのクラスは
こんなんやで
北辻 類〈きたつじ・るい〉
夜間部本科/小説(西井隆司クラス)
私は金曜日の夜、西井クラスに集う人たちのことをほとんど何も知らない。
けれど、私はクラスメートの人たちは皆、他人には真似できない自分独自の世界を確立している人たちであることを知っている。
合評に参加するとクラスメート各々が身にまとう言葉の力強さ、 西井チューターの熱い批評に圧倒される。そして自分の知っている世界の狭さに気付かされ、恥ずかしくなる。
合評は刺激的な言葉と出会う場でもある。ここで、私が合評で初めて出会った言葉たちを紹介する。
沖縄のジューシー、エチゾラム、上背、指扇、大人3、炉、埔里(プーリー)、マーガレット・アトウッド、峻厳な、モスコーミュール、つるべ打ち、始終ご縁、世界連邦平和像、走狗、イキリチー牛、協奏曲、マンジャロ……
ちょうど今、合評に向けて小説を書いているところで、西井チューターやクラスメートの皆さんに読んでほしいと思いながら書いている。読んでほしい人がいるのはとても幸せなことと身にしみて実感している。
最近になって、恒例の合評後の飲み会に参加するようになり、徐々にクラスメートの普段の顔を知るようになった。お酒に詳しい人、ビールが好きな人、毎回アンパンマンの靴下を履いてくる人、映画に詳しい人、オムライスが好きな人、赤いキャップが似合う人。
これだけみんなの個性が異なるのだから、合評で出会う作品も毎回新鮮で楽しいものばかりだ。これからも知らない世界に出会うために、私は金曜日の夜、西井クラスに通う。