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【7/17~18】文校“夏季合宿”・・・大型バスをチャーターし“熊野三山・新宮への旅”に41名。OBも含めて、松山・岡山・名古屋(2名)・神奈川・東京(2名)からも参加者。落差“日本一”という那智の滝をバックにして記念撮影。

1980年(昭和55年)以来、毎年7月中旬に行っている文校“夏季合宿”は近年、2015年・伊勢志摩(68名参加)、16年・奈良(41名)、17年・倉敷(43名)、18年・奈良(34名)、19年・奥琵琶湖(51名)という変遷をたどっています。
コロナにおおわれた20年と21年は、“泊りがけの合宿”は取りやめ、その代替として学生委員会が企画したのは、ハガキⅠ枚の詩・600字小説の“コンテスト&Zoom合評会”でした。2カ月延期して9月に行った20年の参加者は2日間で24名、いつもの7月に1日だけ行った21年の参加者は42名でした。どちらのときも、昼間・夜間・通教生にチューターも加わりました。
“夏季合宿”の伝統を途絶えさせることはありませんでした。そして今回、コロナの第7波の真っ只中でしたが、3年ぶりに“泊りがけの合宿”を復活させました。
43回目を数える中で、今回の“熊野三山・新宮”が一番の遠出になったことでしょう。しかも、バスをチャーターしてみんなで一緒に行くなんて前代未聞のことです。一人あたり料金も1泊して1万5千円と安く抑えられました。

17日(日)午前9時。文校の入るビルに横付けされた奈良交通の49人乗り大型バスで出発。講師陣から中塚鞠子・昼間部チューターと塚田源秀・通教部チューター、事務局から小原政幸と佐々木鈴が乗り込みました。
奈良県十津川村の「谷瀬の吊り橋」、和歌山県の熊野本宮大社(付近で各自昼食)を経て、午後3時に佐藤春夫記念館に到着。辻本雄一館長の説明で、部屋をめぐりながら佐藤の文学的足跡をたどる。すぐ近くの熊野速玉(はやたま)大社でお詣りをする。
新宮市立図書館に移動し、中上健次コーナーで著作や資料を食い入るように見て回った。地元の日刊紙「熊野新聞社」の取材を受ける。
民宿に着いて、新宮が生んだ作家・中上健次についての辻本雄一館長による60分間の講演がはじまった。辻本さんは、自ら作成した中上の略年譜(B4判・4枚)をもとに話される。新宮高校(辻本さんは中上の1学年上)を卒業して東京へ向かった中上。作家になり芥川賞などを取ってからも、たびたび新宮に戻って来て、文化活動にいそしんでいる様が、辻本さんのお話の中で強く印象に残った。

午後6時半ごろ、諸さやかさんの音頭で乾杯し夕食会。飲み会・懇談会は、場所を何度か替え、大方は午前0時まで、それ以降もつづけられ午前3時までの者たちがいたらしい。

2日目の18日(月・海の日)。8時に民宿を出発。熊野那智大社とそれに隣接する那智山青岸渡寺へ向かう。バスを降りてから、長いながい石段で何度も立ち止まるも、息を切らしながら全員たどり着く。
それから、今度は下ってくだって、那智大社の別宮である飛瀧(ひろう)神社へ。本殿や拝殿はなく、そのご神体である、133メートルの落差“日本一”という那智の滝を直接拝む。ここの拝所で、記念撮影。
その後、串本の橋杭岩(はしぐいいわ)、白浜のとれとれ市場で休憩や昼食をとり、バスの文校到着は午後5時前。

“夏季合宿”を全面的に取り仕切った、谷良一・学生委員長、諸さやか・イベント部キャップをはじめとする学生委員会の皆さん、そしてオブザバーとして企画段階からアドバイスをおくってくれた修了生の平本亮子さん(元・イベント部キャップ/新宮高校出身)、ほんとうにご苦労様でした。