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週刊誌『サンデー毎日』(8/15・22合併号)のコラム「本のある日々」で、夢野中也さん(通教部・塚田クラス生)の作品『松下損塾』がとりあげられる。

夢野中也(ゆめの・なかや)さんは、通教部の提出作品『松下損塾』を手作りの小冊子にして、友人・知人に届けていました。その1冊が、『サンデー毎日』誌上でコラム「本のある日々」を執筆している上原隆さんの手に渡ったのでした。その間の事情は、以下に紹介するぼくあての中野さんのメールから読み取れます。
なお、上原さんの文章に登場する「Y」は夢野さん、「M」は神戸大学においてその昔“造反教官”と呼ばれていた松下昇(まつした・のぼる)さんのこと。――20歳前後、ぼくも松下さんの書いたものを読んだ記憶があります。『松下損塾』を読んで知ったのですが、60年安保のとき国会内のデモで警官隊と激しく衝突して死亡した樺美智子さんと松下さんは、東大文学部で同じ戦列にいたとのことです。

・・・・【夢野中也さんからぼくへのメール】・・・・・・・・・・・
《樺美智子の赤い糸》
私の友人(N)で、高校のときの同級生に『松下損塾』を送りました。
Nは毎年6/15に国会正門前で開かれている樺美智子さんの追悼集会に参加していました。今では、それほど多くの人数が集まっていないようですが、参加者の中に上原隆さんがいて、何年か前に知り合いになったそうです。上原さんは、《サンデー毎日》の「本のある日々」というコラム欄をときどき執筆しているそうです。
6/15は樺美智子さんの死亡した日、ある意味で松下昇にとってはその日が長い旅路への原点となった日ではないかと私は思っています。私がその思いを引き継ぐようにして執筆した小冊子が、Nの手に渡り、そこから更に上原隆さんの手に渡り‥‥‥まるで赤い糸で結ばれたようだと思いました。その瞬間、樺美智子さんがちらっと微笑んだかも知れません。人知れず‥‥‥。

(小原)