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【7/21毎日新聞<兵庫版>】・・方政雄さん(大阪文学学校修了生)、第1回アスベストセンター賞《文芸部門》の表彰を受ける。

兵庫県伊丹市の方政雄(パン・ジョンウン)さんは、2015年4月に大阪文学学校昼間部に入学し、休学を挟みながら24年3月まで9年間在籍されています。
方さんのアスベストセンター賞受賞については、7月18日・文校ブログで既報。
受賞作「光る細い棘」(小説集『白い木槿』所収)は、文校の図書室で読むことができます。

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●7月20日、尼崎市の「都ホテル」における方政雄さんの“受賞スピーチ”●
アスベストセンター賞の文芸部門賞をいただき、深い感謝とともに喜びを感じています。本当にありがとうございました。
小説集『白い木槿』(新幹社・2021年刊)に収めた「光る細い棘」が受賞の対象になりました。アスベスト疾患の兄は横たわる病院ベッドで、人工呼吸器を装着し、点滴用チューブを何本か体に刺したまま、苦しみながら逝きました。人間は窒息死が最も苦しいそうです。7年前、享年69歳でした。ここから北へ1キロほどの病院です。
深い悲しみ、なぜなんだ、なんでや、そして込み上がる怒り。こんなことがあってたまるか。この惨事を知らしめなければ兄は救われない、無駄死にだ、そんな思いを持ちました。
作品を書き始めましたが、あまりにも身近で生々しい様子(苦しいから人工呼吸器を自分で取り外すんです。本来は呼吸を助ける装置ですが、声をあげ引きちぎるように。最後は苦しみで人格が変わるほどでした。身内も近寄りがたい状態でした)を知っているだけに、弟視点では辛く筆が進めなくなり中断となりました。また友人もアスベストによる疾患で亡くなっていました。
思いなおし気合を入れ再び筆を握り「弟」からの視点でなく、他者を主人公視点にすることで、徐々に書き進めることができました。
久保田鉄工(ここから北へ約2.5キロ。現、クボタ本社阪神事務所)の下請けの臨時工として父が働き、朝鮮高校を卒業した兄は、当時民族差別がきつく働くところがないので、父の口利きでそこで働き、私と友人は高校の3年間夏休み中はそこでアルバイトをしました。兄は石綿パイプを削り(中ぐりで「継ぎ手」作成)、私らは工場の清掃や雑務でした。兄の旋盤の周りは石綿の切粉が霧のようにおおっていました。私らは工場隅をほうきで掃くと、ほこりがタンポポの綿毛のように空中を舞っていました。
 平穏な日常生活にひそんだ刃が「アスベストのわざわい(禍)」だと思っています。報道によりますと阪神淡路大震災(来年で30年)などのがれき処理などで飛散したアスベストによる健康被害が今後増加するだろうと報じています。(潜伏期間15年から40年、それ以上も)大震災は今や全国にもおよんでいます。静かな「時限爆弾」はすでに何人もの体の中で時を刻んでいるかもしれません。
私は毎年アスベスト検査を受けています。今年は先月6月18日に検査をし、昨日の7月19日に結果が出ました。「『現在』のところ異常なし」ということでしたが、明日は分かりません。咳き込むと手のひらをスキャナーのようにし、「棘」はないか静かに胸元をさすります。
この小説を、もちろん比べようもないですが、水俣病を語る小説「苦海浄土」(石牟礼(いしむれ)道子)のように「アスベスト禍」を語るときに読んでもらえれば、兄と友人の死は無駄ではなく、きっと二人は喜んでくれると思います。
この度の受賞、本当にありがとうございました。

《2024年秋期(10月開講)入学》3人目。50年以上前から文校の存在を知っていた奈良市の70歳女性が、通教部・小説クラスへ。“突発的に起きたテーマを書かねば死ねません。”

奈良市の女性から、直前に電話をいただいたうえで、オンラインで「入学申込書」がとどきました。
その「入学申込書」に書かれている内容を紹介します。
●《入学のきっかけや書きたいテーマなど》
【私は二十歳前と退職後に入学したいと思ったことがありましたが、諸事情で断念しました。
 その間、仕事(中学教師)の関係もあって、戯曲や雑文を書き散らして生きてきました。私の文章修業はもうこれでいいかと思い、終盤は別のこと(絵)に捧げようかと思っていたのです。
 しかし、突発的なことが起こり、どうしても書かねばならないテーマを抱えてしまいました。大げさに言えば、これを書かねば死ねません。人生の終盤にこれだけは書いておきたいと思ったのです。そして、どうせ書くなら、ただの自己満足に終わらず、専門家の先生方の指導の下、それなりのまとまったものにしたいと思いました。
 ただ、どのクラスに入れば一番私らしく書き進められるか分からなかったので、一応、上記のクラスを希望しました。しかし、今後変わる可能性もあり、半期だけの受講ということにさせていただきました。勝手なお願いで申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。】
●《影響を受けた作家》
【若いころは 太宰治、坂口安吾、ジャン・ジュネなどが好きでした。年取って、杉本苑子が好きになりました。】
●《募集を何で知りましたか》
【随分昔(50年以上前)のことで、よく覚えていません。】

(小原)

7月最後の組会は佐伯クラス。19名全員出席。★チューター、出身者ふくめ17名で、“暑気払い”に谷町4丁目の居酒屋に繰り出す。◆事務局は8月8日(木)まで通常通り開いています。その期間に、『樹林』在特号の小説部門1次選考の集計、詩部門とエッセイ部門の選考会、文校総会などがあります。

今春期の昼間部・本科小説・佐伯敏光クラスの構成員は、新入生12名をふくむ19名【写真は今日の組会模様・午後2時から5時まで】。昼・夜・通教あわせて25クラスのうち、昼・詩/エッセイ・中塚クラスの20名に次ぐ大所帯になっています。4月9日(火)に始まった週1回の組会だけでは提出作品の合評をこなせず、他の昼・夜間部のクラスより2回多い全15回の組会となりました。もちろんお盆明けも、他のクラスと同じく3回の組会があります。
6月27日の読売新聞(夕)で紹介されている大橋正教さん、7月4日の読売で紹介されている覚野弘美さん、お二人とも昼・佐伯クラスのメンバーです。
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■谷町4丁目の居酒屋(中国料理店)で繰り広げられた“暑気払いの飲み会”の写真が3枚とどきました。


(小原)

今夕(7/22)の毎日新聞にも、木下昌輝さん(大阪文学学校修了生)が登場! 新刊長編『愚道一休』(集英社)について大いに語る!

7/17朝日新聞・夕刊に引き続き、今夕(7/22)の毎日新聞でも、木下昌輝さん(文校修了生で3度直木賞候補)へのインタビューが大きく載っています。

7月18日・文校ブログ(7/17朝日新聞・夕刊)参照。
7月5日・文校ブログ(『小説すばる』7月号)参照。
6月14日・文校ブログ(『愚道一休』発売開始!)参照。

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■11/16(土)大阪市北区のサンケイホールブリーゼで、大阪では実に66年ぶりの【文士劇】旗揚げ公演がおこなわれます。木下昌輝さん、朝井まかてさんも舞台に立ちます。チケット販売は9月1日(日)。
5月31日・文校ブログ参照。

(小原)

【14(日)~15(月・海の日)】《2024・文校夏季合宿 姫路・福崎・豊岡――歴史・文化に触れる旅》に25名参加。

1984年発行の「大阪文学学校・30年略年表」によると、今の形のひと晩泊まりの夏季合宿がはじまったのは、80年(昭和55年)7月のことで、場所は大阪・奈良府県境の信貴山でした。それ以来、数えて45回目(2020年と21年はコロナのために代替企画として自宅Zoomによる作品合評会)の今回は、姫路・福崎・豊岡方面に出かけました。
総勢25名。学生(委員を含む)、修了生、チューターは津木林さん(昼)、助っ人としてイベント部キャップの堀越さんのお嬢さん、事務局からは小原事務局長と事務局員の角田が参加しました。小原さんは、先日の通勤時のバイク事故での怪我があり、姫路城の見学のみの参加です【道路を管理している土木事務所に事故の原因をかけあいつつ、文校には毎日来ています】。なので、宿へ向かったのは24名。

〈初日/14日〉



■JR姫路駅中央改札口に11時に集合【写真①】。あいにくの雨模様でしたが、本降りではなく傘を差すかどうかといった降り方なのが幸いでした。まずは姫路城【写真②】へ向かいます。駅北口から出るとすぐに威風堂々たる姫路城の姿が目に入るので、誰でも迷わずに行けます。歩くこと20分ほどで大手門に到着し、一旦解散してそれぞれが昼食を取りました。姫路名物といえば、おでん、あなご、アーモンドトースト等いろいろあるようなのですが、皆さんどうされたのかな【写真③】。午後からは姫路城見学の本番です。案内役は、堀越さんのご親族の堀田浩之氏(元・兵庫県立歴史博物館学芸員/城郭研究者)が務めてくださいました。遠くから眺めると、白鷺城という別名があるように優美な姿をしている姫路城ですが、中に入ってみると要塞としての色が濃く、さまざまな工夫がされていました【写真④】。それぞれの見どころをわかりやすく丁寧に説明してもらえるので、飽きることがありません【写真⑤】。大天守にも当然上がりました。外観からは5階建てに見えますが、内部の構造は、地下1階、地上6階の7階構成です。木造建築なので、靴は脱いで上がります。階段の幅の狭さや踏板の小ささから、当時の人の体格を感じました。そして「武士は足腰が強くないと務まらないな」と思いました。天気のせいで通常よりは少ない来場者だったようですが、それでも大勢の人が上がるので、天守の中はたいへんな温度と湿度で、みな茹で蛸状態に【写真⑥】。有名な「お菊の井戸」も覗きましたが、日曜のことで、お菊さんはお休みです【写真⑦】。




■その後は姫路文学館へ。安藤忠雄設計の建物に、播磨地方ゆかりの文学者の資料が集められています。また特別展は黒井健絵本原画展が開催されていました【写真⑧】。

■姫路駅から単線でワンマン・カーの播但線に乗って宿泊先「文珠荘」のある福崎へ【写真⑨】。

■文珠荘に到着後はすぐにお風呂です。近隣の方も入浴に来られるような人気のお風呂で、混み合いましたが広くて気持ちよかったです。
■19時から1階会議室にて夕食です。席はくじ引きで決めました。折詰弁当ですが、メニューは完全に酒肴です【写真⑩】。

■その後、夕食の場所を宿の方に片付けていただいて、「懇親会」です。つまみには、堀越さん手製の「いぶりがっこタルタル」もあってたいへん美味でした。お酒はウィスキー、焼酎(芋と麦)、レモンサワーの素もあって、ロック・水割り・お湯割り・ソーダ割り、と自分で作りました。歓談するうちにだんだん楽しくなってきて、そこからカラオケ大会になり盛り上がりました。最後まで残った数名が片付けをして引き上げたのは午前3時を過ぎていたそうです。

〈2日目/15日〉


■貸し切りバスにて「文珠荘」を出発し【写真⑪⑫】、同じ福崎町にある柳田國男記念館へ。建物の外には、沼から浮き上がってくる河童【写真⑬⑭】や、飛び出す天狗もいて子供たちに人気でした。柳田國男の生家は田の字型間取りで「日本一小さい家」と自ら言われていたように、コンパクトな農家といった風情です。自分が住んでいた家とは違うのに、なぜか懐かしい。


■柳田國男記念館から出石(豊岡市出石町)へ。到着後はそれぞれが昼食と散策。昼食はほとんどが名物の出石皿そばを。中には20皿、30皿を完食した猛者も【写真⑮】。

■出石を出発して同じ豊岡市内にある植村直己冒険館(建築家・栗生明設計)へ【写真⑯】。深いクレバスを表現した、高いコンクリートの壁に挟まれた入口から植村直己の世界に入っていく。写真はもちろん、生前使われていた装備品が多く展示されていました。

植村直己冒険館を出発するころから急に雨足が強くなり、怖いほどの豪雨の中をバスで安全に運んでいただいて、午後5時ごろ無事に姫路駅に到着し、それぞれが帰途につきました。

最後になりましたが、学生委員会のみなさま、ほんとうにお疲れ様でした。
また姫路城見学でお世話になりました堀田浩之様、いろいろとお手伝いくださいました向千尋様に深く感謝いたします。

(角田)