文校ブログ

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佐々木鈴さん(文校事務局員)への“追悼メッセージ”相次ぐ。「事務局のお手伝いをします」という声も多数寄せられる。

事務局の佐々木鈴さんが脳出血のため急逝されてから丁度1週間。
日曜日から月曜日(休日)にかけて、鈴さんへの“追悼メッセージ”が多数、文校のパソコンには届いていました。以下に掲出した島田チューター、飯田チューター、通教部生の峯本さんのほかにも、塚田もとひでさん(通教部チューター)、林隆司さん(昼・佐伯c/学生委員)・・・・・・。
封書で“追悼メッセージ”を寄せてくれたのは、川久保さん(通・美月c/愛媛)、久保さん(通・音谷c/京都)。
また都圭晴さん(夜・高田c)は、教室内の祭壇に花束を飾り、飲んベーだった鈴さんの遺影にビール缶を手向けていました。
文校事務局は、真銅くんと僕の2人だけになってしまいました。教室や電話、メールで、「事務局の仕事、手伝えることがあったら、声をかけてね」という“事務局への励まし”を何人もからいただいています。力強いことです。大阪文学学校の“みんなでつくる学校”という“協働の精神”を久方ぶりにかみしめています。
(小原)

・・・・・・・・・・・・・・
【島田勢津子(昼間部チューター)より】
文校ブログで、佐々木鈴さんの祭壇を見て、追悼のメールも寄せられているとのことで、私も書かせて頂きます。
13日の木曜日、ゼミの前に小原さんから佐々木さんが亡くなったと知らされました。
あまりに突然で、呆然としてしまいました。
ほんの一週間前には、いつものように挨拶して、なにげないやり取りを交わしたばかりだったのに。
ゼミの後、打ち上げだったのですが、皆で佐々木鈴さんに「献杯」して、お礼を言いました。

鈴さんは本当に、事務局員として最高のかたでした。
PCやZOOM、通信に堪能なだけでなく、誰にも気さくに対応することが出来るかたでした。
多くのチューターや生徒が事務局を通りかかって、いろんな雑事を持ち込むのですが、自身の仕事も多く抱えていたはずなのに、いつも嫌な顔一つせず、処理してくれました。
コロナ禍での、ZOOM導入やその後のことなど、随分助けて頂きました。
私はクラスの共通資料をPDFにしてもらうことが多かったのですが、いつもその日のうちに届いていました。

困ったことがあっても、鈴さんに言えば何とかしてくれるようで、その有能さと性格の良さに、甘えていた気もします。
早く行った時でも、教室は整えられていて、「クーラーつけてくださいね」などと気遣いしてくれて。
そんな時にあれこれ話したことも楽しい時間でした。

昨年、教室での打ち上げの時、食事がほぼ終わったころ、するっと入って来られて一緒に飲んだことがありました。
といっても残っていた缶ビール少しと、生徒さんお手製の梅酒だったのですが。
とても美味しそうに飲まれていたこと、夏だったので、その腕の細さに驚いたこと。
「もっと、食べて太らないと!」とみんなで言ったこと。
「あまり、食べたくないんです。父もこんな、細かったですから」
言われたことを思い出します。

なんか、可愛い人でしたね。作品は読ませて頂いて、クラスで採り上げたり、感想を伝えたりしました。
鈴さんともっと、一緒にあれこれ話したかったです。こんなに早くお別れするなんて哀しすぎます。

・・・・・・・・・・・・・
【飯田未和(通教部チューター)より】
つい先日も、お電話いただいたばかりだったので本当に驚きで・・・・・・
まだ実感も湧きませんが、あまりにも早すぎる突然の悲報でとてもショックです。
私がチューターになったときに不安でいっぱいのなか、佐々木さんがクラスにいてくださってどれだけ心強かったか。
事務局に寄ったときもいつも笑顔で接してくださって、もっと色々とお話ししたかったなと悔やまれます。
お子さんのお話も何度か聞いていたので
ご家族の辛さを想像すると本当に心が痛いです。

・・・・・・・・・・・・・・
【峯本雅子(通教部・若林クラス生)より】
佐々木さんの訃報を見て、何かの間違いじゃないのかと何度も目を疑いました。あまりにも突然で、どうしてもまだいらっしゃるような気がしてなりません。

わたしは通教なので、お話する機会は少なかったのですが、前回の在特号の合評で平野チューターのクラスに取り上げていただいたとき、わたしの隣に座って合評に参加してくださいました。
そのときの言葉をまだしっかり覚えています。
そのあとの食事にも誘ってくださり、わたしは遠いので、と一旦お断りしたのですが、「ちょっとだけ」と佐々木さんが言ってくださったので、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
わたしの向かいで谷さんとふざけて笑っておられた佐々木さんの姿がまだ目に焼き付いています。
学校にお花を持って行こうと思いましたが、夏休みなのですね。
ちょっと間が空いてしまうので、メールさせていただきました。
合評のときの言葉は、詳しくは書けませんが、わたしにとっては宝物のような言葉です。
それだけでも佐々木さんはお会い出来てよかったと思える大切な人のひとりでした。
さみしいですが、がんばって書き続けていきます、と手を合わせました。

◆昼・詩の連続講座【担当:近藤久也講師】に、岡山の修了生など22名出席。作品提出20名中18名出席。◆通教部の最終的な締切日の今日、長崎、高知、徳島などの7名から作品がとどく。◆≪2023・文校夏季合宿≫明日、26名で元気に伊勢志摩へ行ってきます。

◆午後3時から6時近くまで、公開/昼・詩の連続講座(春期2回目)がおこなわれました。担当の近藤久也さんは、今回提出のあった20編の中から“わたしが気に入った、好きな作品”として次の6名の詩を発表しました。―――谷町蛞蝓(通・冨上c)、森實啓子(昼・伊藤c)、南条ひろし(昼・中塚c)、ひとみ・けいこ(夜・松本c)、野々ゆか(休学中)、加藤清三郎(休学中)。

◆通教部・春期第2回提出作品の最終的な締切は今日でした。長崎県佐世保市、高知県南国市、徳島県鳴門市、大阪府摂津市の通教生から、作品が速達でとどきました。大阪市内2名、芦屋市1名は事務局への直接持参でした。

◆≪2023・文校夏季合宿in伊勢志摩≫は、いよいよ明日から2日間です。近鉄上本町駅9:13発の特急で出発します。
残念なことに、ダンナさんと一緒に参加するはずだった佐々木鈴・事務局員の姿をみることはできなくなりました。しかしながら、佐々木さんはきっと、みんながワイワイと騒ぐことを望んでいるはずです。
事務局から小原が参加します。チューター陣からは、津木林洋(昼)、西村郁子(夜)、谷口俊哉(通)、佐伯晋(元/通)の4氏が参加されます。今春の新入生は茨城県水戸市、広島市などから5名、遠来組はさいたま市(通)、神奈川県秦野市(昼)、名古屋市(通)の3名。

(小原)

教室内に祭壇を設け佐々木鈴さんを供養。朝井まかてさんや通教部チューターなどから追悼文が次々に寄せられる。



≪教室内の祭壇≫


≪寄せられた追悼メッセージの一部≫

文校事務局員の佐々木鈴さんが急逝されてから今日で5日目。
ご家族によって葬儀が執り行われた13日(木)の夜10時半ごろ、当“大阪文学学校ブログ”で佐々木鈴さん(文校事務局員)の訃報を流して以降、花束やお菓子、ビール、タバコなどの供え物を事務局に持参する文校生や修了生が現れるようになりました。そこで急きょ、第2教室内に祭壇を設けました。遺影をつくってくれたのは新谷さん(夜・休学中)。今までに花束をとどけてくれたのは、平本さん(修了生)、夏当紀子・昼間部チューター、名倉さん(昼・島田c)、眞鍋さん(昼・休学中)、楠さん(夜・大西c)。
また、“追悼メッセージ”のメールも相次いでいます。春・秋の文校の入学開講式にいつも臨席される直木賞作家・朝井まかてさんをはじめ、通教部チューチューターからもいただいています。菅野美智子、平居謙、大沢綾子、川上明日夫(前)、美月麻希の5氏です。
在校生からも、“追悼”のメールをいただいています。青木さん(夜・松本c/長野)、田中さん(通・石村c)、琴森さん(通・平居c/沖縄)、中村さん(通・休学中)、川久保さん(通・美月c/愛媛)・・・・・・。

◆2時半ごろ、鈴さんのダンナさんが、彼女のセカンドバッグを持って事務局を訪ねてこられました。バッグの中に入っていた教室を開け閉めするカギなどを受け取りました。
二人の馴れ初めや、鈴さんが関東でタウン誌の編集に携わっていた時のこと、長岡京市に引っ越してきた時のことなど、いろいろ伺いました。鈴さんは、ダンナさんの実家がある東広島市のお墓で眠ることになるのだそうです。

(小原)

岡山市在住の鈴木陽子さん(文校修了生)が、自身の父・伊藤隆志が書き残したものを編集し『いとうたか志詩選集 全』として刊行。★希望者は、教室のテーブルの上から持ち帰ってください。

鈴木陽子さんの筆名は“結城まり”で過去、大阪文学学校には3度在籍しています。2006年4月から1年間、2016年4月から1年間、2019年4月から2年間。
明日(15日)午後3時から文校教室で、春期2回目の公開/昼・詩の連続講座(担当;近藤久也講師)がおこなわれます。その講座に、鈴木陽子さんも岡山市から参加する予定です。

◆鈴木さんは以前にも、父・伊藤隆志の小学生時代<昭和初期>の作文を本にまとめています。
23年1月20日・文校ブログ参照。

(小原)

佐々木鈴さん(文校事務局員)が急逝されました。ご冥福をお祈りします。


≪佐々木さんのFacebookより≫

今夜は悲しいお知らせをしなければなりません。
大阪文学学校の事務局員・佐々木鈴(ささき・すず)さんが自宅で急逝されました。10日(月)正午ごろのことで、脳出血によるものでした。文校事務局に出てきた最後は、7日(金)ということになりました。1965年(昭和40年)、東京生まれの57歳。
地元・京都府向日市の葬儀場で、昨日(12日)が通夜、今日(13日)が葬儀でした。身内のみ10数名だけの家族葬を予定しているとのことでしたが、強くお願いして、文校から通夜には4名(葉山郁生・大阪文学協会代表理事/谷良一・学生委員長<夜・平野クラス>/新谷翔・元在特部キャップ<休学中>/小原政幸・文校事務局長)、葬儀には3名(平野千景・夜間部チューター/真田南夫・前在特部キャップ<夜・平野クラス>/真銅孝・文校事務局員)が参列しました。
僕が駆けつけた通夜のときは、電子ピアノから鎮魂の曲が流れる中、一人ずつカーネーションを献花しました。そして、祭壇前に置かれた棺の中の穏やかな鈴さんのお顔に別れのあいさつをしました。
惜しまれてならず、多くの文校チューターの死に際して流すことのなかった涙が出てしまいました。逝去の前夜(9日・日曜)にそれぞれ携帯で話していた文校生二人から、鈴さんはいつもと変わらず快活だったと聞き及んでいたので、無念の思いが沸点に達したのでした。

午後6時から営まれる通夜当日の昼過ぎ、文校事務局から供花4基(一般社団法人・大阪文学協会/大阪文学学校事務局/大阪文学学校学生委員会/大阪文学学校夜間部平野クラス一同)を手配しました〔いつもは鈴さんがやってくれていたことだったのに・・・・・・〕。また、真銅くんに手伝ってもらいながら、小原名で次のような弔電を打ちました。
【あまりにも突然のご逝去、受けとめられずにいます。パソコンとネットを自在に駆使できる鈴さんが事務局に存在していなかったら、文学学校はコロナ禍の難局を乗り越えることができたでしょうか。鈴さんの元気を分けてもらい、励ましの声を聴くためにわざわざ電話をかけてくる在校生がどれだけいたことでしょう。事務局の仕事にとどまらず、夜間部のクラスに在籍して小説を書いていた鈴さん。あの世でもペンは手離さず、わたしたちに人生や社会の問題を投げかけつづけてください。】

◆9月中までには文校教室で、学生委員会にも協力をあおぎながら何らかの形で“鈴さんを偲ぶ会”を開くつもりでいます。その時には、ご遺族をお招きしたいと思います。

≪佐々木鈴さんの文校歴≫
○2016年10月・・・昼間部・佐久間クラス入学(~17年9月)
○17年10月~18年3月・・・昼・夏当クラス
○18年4月~20年9月・・・夜・青木クラス
○20年2月~現在まで・・・文校事務局員(半年の手伝いを経て)
○20年10月~21年3月・・・通・若林クラス
○21年4月~21年9月・・・通・飯田クラス
○21年10月~現在まで・・・夜・平野クラス

≪佐々木さんの『樹林』掲載歴≫
○2017年4月号(入学案内書)“在校生の声<入学生の想い>”欄・・・「前略 お父さん」(3枚)
○19年6月号(在校生作品特集号)・・・小説「僕を呼ぶ声」(42枚)/ペンネーム;佐々木スズ
○20年11月号(在校生作品特集号)・・・小説「触れる」(56枚)/【第41回(2020年度)大阪文学学校賞<小説部門>受賞】
○21年1月号(通教部作品集)・・・小説「サナギ」(23枚)
○21年8・9月合併号(通教部作品集)・・・小説「鈍行列車」(17枚)/ペンネーム;岡山さず

◆上の『樹林』掲載作を読みたい方は、事務局までお越しください。

(小原)