文校ブログ

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【10月12日・日本経済新聞(日)文化面】中上紀さん<11/8文校・特別講座ゲスト>の寄稿エッセイ・・・父・中上健次(46歳の1992年没)によって1990年に設立され今もつづく《熊野大学》について

中上紀(なかがみ・のり)さんは、11月8日(土)午後4時、東京から文校教室にやって来てくれます。そして、葉山郁生・大阪文学協会代表理事を相手に、「私の創作のこと、中上健次のこと」というテーマで存分に語っていただきます。
25年10月15日・文校ブログ参照。

中上さんのエッセイが載った10/12日経新聞を事務局に届けてくれたのは、昼間部・津木林クラスに毎週土曜日、岡山市から高速バスで通って来る70歳代の川又さんです。感謝です。
添えられていたメモ書きには、「このエッセイで、熊野大学と大阪文学学校の立ち位置が何か同じ文脈(草の根の文化拠点)にあると感じました」とありました。

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★【まだコロナの真っ只中だった2022年7月の夏季合宿<学生委員会主催>は、“熊野三山・新宮への旅”でした。大型バスをチャーターして、2日がかりで紀伊半島南端をめぐる“旅”には41名の参加がありました。
22年7月19日・文校ブログ(小原・記)に詳細を載せてあります。
以下は、その文校ブログからの抜粋です。
1日目の最後に、新宮市立図書館内の中上健次コーナーで著作や資料をくいいるように見て回りました。その後、宿泊先についてからのことを書いてあります。】★
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民宿に着いてまもなく、新宮が生んだ作家・中上健次についての辻本雄一・佐藤春夫記念館館長による60分間の講演がはじまった。辻本さんは、自ら作成した中上の略年譜(B4紙・4枚)をもとに話される。中上が、文校で講演(タイトル「物語の定型」)をした日時が、1978(昭和53)年7月11日であることを教えていただいた。それは、「岬」で芥川賞を受賞した2年後、中上31歳のとき。
文校の通教部本科のテキスト(講義録集3)に、中上の講演録が載っているので、文校で講演してもらっていることは明らかだったのだが、おこなわれた日時が、テキストや「30年略年表」などどこにも見当たらないままだったのだ。
新宮高校(辻本さんは中上の1学年上)を卒業して東京へ向かった中上。作家になってからも、たびたび新宮に戻って来て、文化活動にいそしんでいる様が、辻本さんのお話の中で強く印象に残った。「部落青年文化会」を組織し連続公開講座(金時鐘さんも講師を務めている)を開いたり、高校の同級生を中心に「隈ノ会」を結成したり、今もつづく市民講座「熊野大学」を発足させたりしている。また、日ごろから懇意にしていた歌手の都はるみを新宮に招いて、神社の境内で何度か歌ってもらっている。

(小原)