★新刊紹介★遠野魔ほろさん(22年3月まで文校通教部に丸10年在籍/埼玉県)の第2詩集『がらんどうの夢』(思潮社) 【所望される方は、事務局に声をかけていただければ、無料でお渡しします】
埼玉県入間市の遠野魔ほろ(とおの・まほろ)さんは、2012年4月から22年3月まで一度も休学することなく、ずっと通教部/詩・エッセイクラスに在籍されていました。コロナ以前は、泊りがけで通教部スクーリングによく来阪されていました。
遠野さんにとって第2詩集となる『がらんどうの夢』は、思潮社刊で(2000円+税)の定価がついています。文校の皆さんに読んでいただきたいということで、50冊送られてきました。
所望の方は、クラスゼミや公開講座<明日・24日午後3時から詩/入門講座があり>で来校されたとき、事務局に声をかけていただければ、無料でお渡しします。
『がらんどうの夢』の奥付の著者略歴欄には、「1950年埼玉県生まれ。30年間日本語教師をつとめたのち、大阪文学学校通信教育部にて詩を学ぶ」とあります。
▲遠野さんは、作品「がらんどう」で第40回(2020年度)大阪文学学校賞<詩部門>の佳作を受賞されています。
▲遠野さんの第1詩集『夜更けの椅子』(思潮社)は、21年12月4日付の東京新聞・夕刊で取り上げれています。【21年12月9日・文校ブログ参照】
また『夜更けの椅子』のなかの一編の詩が23年春、東京都千代田区の私立共立女子中学校の入試問題に採用されました。
▲僕にとって忘れがたい、遠野魔ほろさんの≪通教部/詩・エッセイクラスでの十年≫と題した「文校ニュース」への寄稿文を紹介します。【2022年3月24日・文校ブログ参照】
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私にとっての大阪は谷町にある文校です。埼玉の入間市から十年通っていつもとんぼ返り。最終のスクーリングで、土曜のプレがなかったので大阪城に行きました。高校の修学旅行以来。お堀に鴨がたくさん浮かんでいて、枝垂れ梅が満開。これで文校の他にもう一つ、大阪での思い出ができました。文校が大阪にあったからこそ、通い続けられたのだと思います。街の様子、言葉、人々の雰囲気、何もかも異なった場所だったから、日常から離れて書くことが学べたように思います。
入校は2012年4月。前年から色々なことが重なって考えあぐねていた時にふと、何かきちんとした文章が書きたいと思いました。恐る恐るの電話の向こうから「八十代の方も書いておられますよ」という小原さんの言葉が返ってきました。まだどのくらい書き続けられるのか見当がつかず、4年間とりあえずやってみようという気持ちでした。最初のスクーリングで校長の長谷川龍生先生のお話がありました。当時は何も知らず、今振り返れば、もっとしっかりお聴きしておけばよかったと思います。
初めての冨上クラスの合評会では、椅子から半分落ちそうになって座っていました。自分の作品が批評されても、何を言われているのか実はよくわからない。ただ、とても真剣に話が続いていたことだけを覚えています。最初の頃のエッセイとも何ともつかないような文章が、批評を受けて書き続けるうちに詩らしいものに変わっていきました。翌年から川上クラスになりましたが、申し訳ないことに、はじめの数年は川上先生の詩がよくわかりませんでした。難解というのではないけれど、何をどう味わっていいのかわからない、なんだかピンとこない。でも先生の言葉、作品の批評自体が詩のようで、合評会が終わるたびに「もっといい作品が書きたい」と思いながら大阪から戻りました。
書くことの比重が私の中で大きくなるにつれ、思いつきでつけたペンネームがとても大事な、自分自身でいられる場所に変わっていきました。それは先生(チューターと言うより私にとっては先生です)はじめ皆が互いの作品を真剣に読み、ときに作者以上に読み込んで批評し合う中で育っていったのだと思います。
それに年2回の読書ノートの提出。私の感想文より長いくらいの批評をいただいた時はショックでしばらくはちゃんと読めませんでした。コロナ流行以前、スクーリング前の先生からの講義も、文校の多くの先生方のお人柄、文学への姿勢などにじかに触れることができる貴重な時間でした。
文校での十年は言葉を通してたくさんの人と出会い、学ぶことができた時間です。こんなに豊かな時間を携えて修了できることに、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
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(小原)