文校ブログ

ブログメニュー
カテゴリー
最近の記事
バックナンバー
年別アーカイブ

月別アーカイブ

2025年11月
« 10月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  

【11月8日<土>】公開/特別講座で中上紀さん(作家)が、自作や父・中上健次について自在に語る。質疑応答相次ぐ▼教室聴講36名(うち新入生5名/一般4名)、Zoom視聴40名(うち新入生は岡山②・愛知・東京・埼玉・インドネシアなど7名/一般4名)


≪中上紀さん≫


≪正面の左が中上さん、右が葉山郁生・代表理事≫

11月8日(土)午後4時、東京から中上紀さんをお招きし、公開・特別講座ははじまりました。演題は、「私の創作のこと、中上健次のこと」。
文校の運営母体である大阪文学協会の葉山郁生・代表理事が、小説集『熊野物語』を中心に中上さんの著作を紹介・分析するのに応え、中上さんは創作意図などを存分に語られました。
講座の後半では、父・中上健次さん(1992年46歳で死去)のことに話はおよびました。
紀さんが、健次の本をしっかり読むようになったのは、健次が亡くなってからのことだったそうです。紀さんの一番好きな小説は『鳳仙花(ほうせんか)』。主人公のモデルになっているのが、健次の母親で紀さんにとっては祖母にあたる人。その母親から、健次は幼少期、おとぎ話をよく聞かされていたのです。そこに、健次の文学のはじまりがあるのでは、と紀さんは思っているとのことでした。
文壇バーなどでの武勇伝は、健次の人間的な繊細さの裏返しだったのではないでしょうか。
《質疑応答の中で》健次が亡くなる前に「書きたいものがある」と言っていたのは、大逆事件のことだったような気がします。〔新宮から、死刑2名、無期懲役4名の犠牲者が出ている〕

◎中上紀さんと会場との質疑応答のコーナーでは、在校生7名が質問に立ちました。
◎講座の最後に、始めから参加されていた谷良一・昼間部チューターにマイクが渡りました。谷さんが文校学生委員長をしていた2022年7月中旬に行なわれた夏季合宿“熊野三山・新宮への旅”のことを話されました。大型バスをチャーターし、1泊どまりで41名が紀伊半島南端を巡ったのでした。
そのとき、新宮市内の佐藤春夫記念館や大がかりな中上健次コーナーのある市立図書館を訪れ、宿舎では地元の辻本雄一・春夫記念館館長から中上健次にまつわる60分間の講義を受けました。

▼教室聴講36名のうちには、谷チューターのほかに名倉弓子・昼間部チューターも。Zoom視聴40名のうちには、伊藤宏・昼間部チューターと林美佐子・通教部チューター。 

▼午後6時30分頃から約2時間ほど、文校近くの中華料理店において、中上紀さんを囲む“懇親会”を持ちました。中上さん、葉山代表理事、昼間部生、夜間部生(新入生)、通教部生、修了生、熊野大学事務局の杉浦さん、おくれて小原の8名。

////////////////////////////
◆中上健次(1946年~92年)は、「岬」で芥川賞を受賞した2年後、1978(昭和53)年7月に、今の文校教室で講演しています。そして今回、同じ場所で、娘である紀さんが講演されたことに深い感慨を覚えます。

(小原)