文校ブログ

ブログメニュー
カテゴリー
最近の記事
バックナンバー
年別アーカイブ

月別アーカイブ

2025年9月
« 8月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  

佐々木鈴さん(文校事務局員)の祭壇に、ハーバリウム、黒霧島、追悼メッセージがとどく。◆鈴さんの和歌山の叔母さんの求めに応じ、鈴さんの作品が載っている『樹林』計5冊を送付。

「大阪文学学校ブログ」で、佐々木鈴さんの訃報を知った大分市の坂本雨季さん(4月入学/飛び級で通教部・飯田クラス)がハーバリウムの小瓶2本を小包で届けてくれました。お礼をいうために電話したところ、「6月スクーリングの交流会の時、一人ポツンとしていたら、佐々木さんが隣りにすわり話しかけてくれて嬉しいでした」とのことでした。

修了生の角田(つのだ)美千代さんは、ふらりと教室に現われ、祭壇に芋焼酎“黒霧島”のワンカップを手向けていました。聞いてみると、3月末に文校近くの空堀通り商店街の一角にあるお好み焼き屋で、鈴さんと二人だけで飲む機会があったとのこと。鈴さんは、まずビール、次にワイン、最後に黒霧島を何杯も飲んだのだそうです。

「追悼メッセージ」は、木津川伊吹さん(通教部・高橋クラス)からメールでとどきました。以下、全文です。
【佐々木鈴さま 7月13日の文校ブログを見てあなたの訃報を目にした時の衝撃から未だに立ち直れません。
 最大の思い出は2021年11月に故・錺チューターの送別会を企画したときです。文校の一室で会場探しをしていた私を手伝い、カフェ店主の文校生など知り合いにも声をかけてくれ、ネットを捜しまわった結果、駅から階段なしで行ける宴会場を見つけることができました。あの送別会は佐々木さんのお力なしでは成功しなかったでしょう。
 もっといっぱいお礼も言いたかったしお茶・お酒もおごりたかった。あなたの早すぎる死が残念でなりません。 本当に、ありがとう。】

◆和歌山市に住む、鈴さんの叔母さん(母親の妹)から、通夜・告別式への文校関係者の参席にたいするお礼のメールが寄せられています。それに続いて、次のように記されていました。
【鈴が皆さま方よりこんなにも愛していただいてたことを知り、感動いたしました。本当にありがとうございました。
 ところでブログを拝見しましたが、『樹林』に掲載していただいた作品が五つほどあるようですが、それらの号のバックナンバーは在庫があるでしょうか?・・・(中略)・・・鈴は自慢をしない子でしたので、大阪文学学校賞受賞…と知って驚いております。】
 さっそく今夜、在庫の中から探し出し、佐々木鈴さんの小説などの作品が載ったそれぞれの『樹林』計5冊を第3種郵便物としてポスト投函しました。

(小原)

今夜、大阪文学協会の定例理事会が開かれる。理事7名全員出席(うち3名はZoomから)★3年半ぶりに8/4(金)、文校総会(社員総会)を開くことに★9/17(日)は12時30分~14時【修了集会】、15時~18時【佐々木鈴さんを偲ぶ会】

今夜、午後6時40分から9時10分まで、文校の一室で一般社団法人・大阪文学協会(大阪文学学校の運営母体)の定例理事会がもたれました。教室出席は、葉山郁生(協会代表理事)、平野千景、美月麻希、小原政幸(文校事務局長)の4名の理事。細見和之(文校校長)、中塚鞠子、津木林洋の3名の理事は自宅などからリモート(Zoom)出席。
今期(23年春期)の進行状況、6月末での会計収支、来期(23年秋期)の組会・講座、『樹林』本誌や小野十三郎賞などについて討議しました。その詳細については、いずれ「文校ブログ」「文校ニュース」等でお知らせします。
◆コロナを警戒して開催を見送っていた文校総会(会社でいうなら社員総会に当たり、構成員は全理事、全チューター、事務局、学生代表5名)を3年半ぶりに開催することになりました。8月4日(金)午後7時から文校教室で開きますが、Zoomからでも出席できます。
◆9月17(日)は2部構成で、12時30分~14時に【修了集会】、15時~18時に【佐々木鈴さんを偲ぶ会】を催します。
【修了集会】は19年9月以来、4年8期ぶりの開催になります。本科・専科・研究科それぞれの修了生に証書が授与されます。出席の担当チューターから昼・夜間部の提出作品への講評があり、修了生一言メッセージのコーナーもあります。
【佐々木鈴さんを偲ぶ会】は、学生委員会の協力をあおぎながら執りおこないたいと思います。鈴さんのご遺族にもお越しいただくことになっています。在校生・チューターに限らず、文校修了生でもどなたでも参加できます。

(小原)

佐々木鈴さん(文校事務局員)への“追悼メッセージ”相次ぐ。「事務局のお手伝いをします」という声も多数寄せられる。

事務局の佐々木鈴さんが脳出血のため急逝されてから丁度1週間。
日曜日から月曜日(休日)にかけて、鈴さんへの“追悼メッセージ”が多数、文校のパソコンには届いていました。以下に掲出した島田チューター、飯田チューター、通教部生の峯本さんのほかにも、塚田もとひでさん(通教部チューター)、林隆司さん(昼・佐伯c/学生委員)・・・・・・。
封書で“追悼メッセージ”を寄せてくれたのは、川久保さん(通・美月c/愛媛)、久保さん(通・音谷c/京都)。
また都圭晴さん(夜・高田c)は、教室内の祭壇に花束を飾り、飲んベーだった鈴さんの遺影にビール缶を手向けていました。
文校事務局は、真銅くんと僕の2人だけになってしまいました。教室や電話、メールで、「事務局の仕事、手伝えることがあったら、声をかけてね」という“事務局への励まし”を何人もからいただいています。力強いことです。大阪文学学校の“みんなでつくる学校”という“協働の精神”を久方ぶりにかみしめています。
(小原)

・・・・・・・・・・・・・・
【島田勢津子(昼間部チューター)より】
文校ブログで、佐々木鈴さんの祭壇を見て、追悼のメールも寄せられているとのことで、私も書かせて頂きます。
13日の木曜日、ゼミの前に小原さんから佐々木さんが亡くなったと知らされました。
あまりに突然で、呆然としてしまいました。
ほんの一週間前には、いつものように挨拶して、なにげないやり取りを交わしたばかりだったのに。
ゼミの後、打ち上げだったのですが、皆で佐々木鈴さんに「献杯」して、お礼を言いました。

鈴さんは本当に、事務局員として最高のかたでした。
PCやZOOM、通信に堪能なだけでなく、誰にも気さくに対応することが出来るかたでした。
多くのチューターや生徒が事務局を通りかかって、いろんな雑事を持ち込むのですが、自身の仕事も多く抱えていたはずなのに、いつも嫌な顔一つせず、処理してくれました。
コロナ禍での、ZOOM導入やその後のことなど、随分助けて頂きました。
私はクラスの共通資料をPDFにしてもらうことが多かったのですが、いつもその日のうちに届いていました。

困ったことがあっても、鈴さんに言えば何とかしてくれるようで、その有能さと性格の良さに、甘えていた気もします。
早く行った時でも、教室は整えられていて、「クーラーつけてくださいね」などと気遣いしてくれて。
そんな時にあれこれ話したことも楽しい時間でした。

昨年、教室での打ち上げの時、食事がほぼ終わったころ、するっと入って来られて一緒に飲んだことがありました。
といっても残っていた缶ビール少しと、生徒さんお手製の梅酒だったのですが。
とても美味しそうに飲まれていたこと、夏だったので、その腕の細さに驚いたこと。
「もっと、食べて太らないと!」とみんなで言ったこと。
「あまり、食べたくないんです。父もこんな、細かったですから」
言われたことを思い出します。

なんか、可愛い人でしたね。作品は読ませて頂いて、クラスで採り上げたり、感想を伝えたりしました。
鈴さんともっと、一緒にあれこれ話したかったです。こんなに早くお別れするなんて哀しすぎます。

・・・・・・・・・・・・・
【飯田未和(通教部チューター)より】
つい先日も、お電話いただいたばかりだったので本当に驚きで・・・・・・
まだ実感も湧きませんが、あまりにも早すぎる突然の悲報でとてもショックです。
私がチューターになったときに不安でいっぱいのなか、佐々木さんがクラスにいてくださってどれだけ心強かったか。
事務局に寄ったときもいつも笑顔で接してくださって、もっと色々とお話ししたかったなと悔やまれます。
お子さんのお話も何度か聞いていたので
ご家族の辛さを想像すると本当に心が痛いです。

・・・・・・・・・・・・・・
【峯本雅子(通教部・若林クラス生)より】
佐々木さんの訃報を見て、何かの間違いじゃないのかと何度も目を疑いました。あまりにも突然で、どうしてもまだいらっしゃるような気がしてなりません。

わたしは通教なので、お話する機会は少なかったのですが、前回の在特号の合評で平野チューターのクラスに取り上げていただいたとき、わたしの隣に座って合評に参加してくださいました。
そのときの言葉をまだしっかり覚えています。
そのあとの食事にも誘ってくださり、わたしは遠いので、と一旦お断りしたのですが、「ちょっとだけ」と佐々木さんが言ってくださったので、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
わたしの向かいで谷さんとふざけて笑っておられた佐々木さんの姿がまだ目に焼き付いています。
学校にお花を持って行こうと思いましたが、夏休みなのですね。
ちょっと間が空いてしまうので、メールさせていただきました。
合評のときの言葉は、詳しくは書けませんが、わたしにとっては宝物のような言葉です。
それだけでも佐々木さんはお会い出来てよかったと思える大切な人のひとりでした。
さみしいですが、がんばって書き続けていきます、と手を合わせました。

◆昼・詩の連続講座【担当:近藤久也講師】に、岡山の修了生など22名出席。作品提出20名中18名出席。◆通教部の最終的な締切日の今日、長崎、高知、徳島などの7名から作品がとどく。◆≪2023・文校夏季合宿≫明日、26名で元気に伊勢志摩へ行ってきます。

◆午後3時から6時近くまで、公開/昼・詩の連続講座(春期2回目)がおこなわれました。担当の近藤久也さんは、今回提出のあった20編の中から“わたしが気に入った、好きな作品”として次の6名の詩を発表しました。―――谷町蛞蝓(通・冨上c)、森實啓子(昼・伊藤c)、南条ひろし(昼・中塚c)、ひとみ・けいこ(夜・松本c)、野々ゆか(休学中)、加藤清三郎(休学中)。

◆通教部・春期第2回提出作品の最終的な締切は今日でした。長崎県佐世保市、高知県南国市、徳島県鳴門市、大阪府摂津市の通教生から、作品が速達でとどきました。大阪市内2名、芦屋市1名は事務局への直接持参でした。

◆≪2023・文校夏季合宿in伊勢志摩≫は、いよいよ明日から2日間です。近鉄上本町駅9:13発の特急で出発します。
残念なことに、ダンナさんと一緒に参加するはずだった佐々木鈴・事務局員の姿をみることはできなくなりました。しかしながら、佐々木さんはきっと、みんながワイワイと騒ぐことを望んでいるはずです。
事務局から小原が参加します。チューター陣からは、津木林洋(昼)、西村郁子(夜)、谷口俊哉(通)、佐伯晋(元/通)の4氏が参加されます。今春の新入生は茨城県水戸市、広島市などから5名、遠来組はさいたま市(通)、神奈川県秦野市(昼)、名古屋市(通)の3名。

(小原)

教室内に祭壇を設け佐々木鈴さんを供養。朝井まかてさんや通教部チューターなどから追悼文が次々に寄せられる。



≪教室内の祭壇≫


≪寄せられた追悼メッセージの一部≫

文校事務局員の佐々木鈴さんが急逝されてから今日で5日目。
ご家族によって葬儀が執り行われた13日(木)の夜10時半ごろ、当“大阪文学学校ブログ”で佐々木鈴さん(文校事務局員)の訃報を流して以降、花束やお菓子、ビール、タバコなどの供え物を事務局に持参する文校生や修了生が現れるようになりました。そこで急きょ、第2教室内に祭壇を設けました。遺影をつくってくれたのは新谷さん(夜・休学中)。今までに花束をとどけてくれたのは、平本さん(修了生)、夏当紀子・昼間部チューター、名倉さん(昼・島田c)、眞鍋さん(昼・休学中)、楠さん(夜・大西c)。
また、“追悼メッセージ”のメールも相次いでいます。春・秋の文校の入学開講式にいつも臨席される直木賞作家・朝井まかてさんをはじめ、通教部チューチューターからもいただいています。菅野美智子、平居謙、大沢綾子、川上明日夫(前)、美月麻希の5氏です。
在校生からも、“追悼”のメールをいただいています。青木さん(夜・松本c/長野)、田中さん(通・石村c)、琴森さん(通・平居c/沖縄)、中村さん(通・休学中)、川久保さん(通・美月c/愛媛)・・・・・・。

◆2時半ごろ、鈴さんのダンナさんが、彼女のセカンドバッグを持って事務局を訪ねてこられました。バッグの中に入っていた教室を開け閉めするカギなどを受け取りました。
二人の馴れ初めや、鈴さんが関東でタウン誌の編集に携わっていた時のこと、長岡京市に引っ越してきた時のことなど、いろいろ伺いました。鈴さんは、ダンナさんの実家がある東広島市のお墓で眠ることになるのだそうです。

(小原)