文校ブログ

ブログメニュー
カテゴリー
最近の記事
バックナンバー
年別アーカイブ

月別アーカイブ

2025年11月
« 10月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  

今秋の新入生54名への「ハガキ一枚」課題、今のところ15名から届いています◆作品発表・第1弾【昼間部・まーぼーさん<大阪市>/昼間部・清畠美のりさん<札幌市>/通教部・松浦幸恵さん<神奈川県>】

10月27日を皮切りに、秋期新入生54名(夜21、昼17、通教16)の皆さんへ、手渡し・郵送・文校ブログを通じて、ハガキ一枚の課題を出しました。
【◎私のふるさと ◎文学学校入学にあたって ◎私を売り込みます ◎私の歩んできた道 ◎私だけのもの ◎最近強く思うこと】という六つのタイトルのうちからひとつを選び、400字~600字ほどで書いて、ハガキかメールで事務局まで届けてください、とお願いしました。
締切は11月24日(月)必着です。提出作品は全て、「文校ニュース」に載せ、文校の多くの皆さんの眼に触れられるようにします。
        *      *
今日までにメールやハガキで15名の方から届いているのですが、その中から、まーぼーさん(昼間部/62歳)、清畠美のりさん(きよはた・みのり/昼間部/62歳)、松浦幸恵さん(まつうら・ゆきえ/通教部/69歳)の3名の作品を紹介します。【小原】

        ☆       ☆ 
 文学学校入学にあたって 
 まーぼー(昼・小説・大西C/大阪市) 

 私が文学学校を知ったのは、高校生のときです。文芸部に所属。顧問の先生から田辺聖子さんが芥川賞を受賞されたことを教えていただきました。そのとき本校のことも教えていただきました。当時の私は、新潮文庫の百冊を手掛かりに片っ端から乱読していました。
 サンケイホール(現:サンケイホールブリーゼ)に大江健三郎さんの講演会に行ったことがあります。残念ながら四十年以上前のことなので、内容はさっぱり覚えていません。
 私が文学に親しんだのは、高校生のときだけでした。もうすぐ六十歳になるであろうと意識したころから、いつかは本校でもう一度文学に浸りたい欲望が心の奥底から確かな炎として燃え始めました。六十二歳を超え、お世話になったコミュニティ紙の編集長からの勧めもあり、意を決して、入学をさせていただいた次第です。
 入学後、私も含めて八人の合評会に参加させていただきました。合評会は正に真剣の場、緊張感があります。私の合評作品は、その場にそぐわない、中学生の作文レベルのとても恥ずかしい作品でしたが、他の方々の作品は、どれもこれも力作揃いで、チャンスに恵まれれば、職業作家として生計が立てられる方ばかりだと思いました。そう考えると、合評会が楽しくって仕方ありません。
 私にとっては、人生何度目かの青春時代を過ごさせていただいております。お邪魔になっていることは重々承知しておりますが、何卒お許しくださいませ。

       ☆       ☆ 
 私のふるさと
 清畠美のり(昼・小説・佐伯C/クラスゼミにはZoom出席/札幌市)

 「斜里(しゃり)の海と流氷の記憶」
 物心ついたばかりの子どもの頃、釣り好きの父に連れられ、家にほど近いオホーツク海の浜辺で遊んだ。近所とはいってもスクーターに乗る父の膝の間にしゃがむ恰好で向かったのだから、それなりの距離はあったと思う(スクーターは二輪自動車という意味ではバイクに似ているけれど、違うらしい)。
 スクーターが風を切り始めてほどなく、潮の匂いがしてくる。ハマナスが海沿いの車道に咲き連なっている。やがて「着いたよ」という父の声がして、その声を待たずに花の垣を走り抜けると、砂浜の向こうに深い色をたたえた海が緩やかなカーブを描いていた。裸足を洗う波の下にも同じ白砂が見えるのに気づくと、私は顔を上げて水平線の方を眺めた。海の水はどこから青くなるのだろう? そう思うのだけれど、境界はいつもわからなかった。
 冬になり、流氷がやって来ると波音は消えた。冴え返る冬空の下、巨氷の群れは白濁した天然石を思わせる彫琢の跡を思い思いに刻んで静まり返っていた。父の手の温もりを手のひらに感じつつ、立ち止まって耳をすませる。すると肺の底まで沁み通る冷気の中で氷同士の擦れ合う音がかすかに聴こえた。それは、長い時間をかけて北方からたどり着いた彼らの歌のように思えた。
 私は斜里の町に生まれ、以来、何度かの冬と夏をその海とともに過ごした。小学生になり、初めての夏休みを終えてまもなく、転勤のあった父の都合で思い出の多いその地を離れた。

       ☆       ☆ 
 最近強く思うこと
 松浦幸恵(通・小説・石村C/再入学のため専科飛び級/神奈川県秦野市)

 今でもはっきり覚えている。たぶん中学生くらいだったろう。愛読書だった少女雑誌を読んでいたら、なやみ相談のコーナーにこんな回答があった。
「その人は自分のことしか考えていない。今のあなたには分からないでしょうが、大人になれば分かります」
 悩みは友人関係のもので、相手の行動が果たして本人の言うように、本当に自分のことを思っているからなのか分からない、というものだった。
 何で半世紀以上前の記事をそんなによく覚えているのか、といえば、その時その回答者の言い分が理解できなかったからである。本当か? そんなに言い切っていいのか? と当時の私は思った。だからだろう、私は大人になるまで、その疑いをずっと頭の隅に置いていたことになる。
 さて十数年後、押しも押されもしない大人になった私が出した結論は、「そのとおり」。
 何でこんなに明白なことが中学生だった私には分からなかったのだろう。つくづくその時の私が、どれほど無知で、馬鹿だったのか思い知らされた。
 こんなどうしようもないエピソードの断片が、記憶の海の中にいくつもある。そしてそれは突然表面にその時は全然分からなかった「理解」とともに浮かんで、ギャーッと叫びたくなる。勿論叫ぶのは、その時の自分の無知、無神経、馬鹿さ加減に対してだ。
 年をとるって、心臓に悪い。最近、強く思うことである。