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きのう(17日)、阿南市の故・四宮秀二さん宅へ弔問に伺いました。

徳島県阿南市の四宮さん宅を訪れるのは初めてのこと。今まで徳島県にすら入ったことはなかった。大阪難波から高速バスに乗り明石海峡大橋、淡路島を通り徳島駅へ。近くのビルの花屋で供花を作ってもらう。徳島駅からワンマン電車で阿南駅へ。そこからタクシーで運転手が通りがかりの人に道を聞きつつ大潟湾に面した四宮さん宅へ。
前の日に1時半ごろにお伺いしたいと電話してあり、奈美枝夫人、その妹さん、夫人が営む縫製工場で働いている女性と3人が出迎えてくれる。家に上がらせてもらい、霊前に供花を手向けた。【写真】
直腸がんの他臓器への転移により、この1月9日に四宮さんが逝去されるまでの、夫婦ともに苦しかった闘病生活の委細を夫人が語ってくれる。「わたしにまだやってやれたことがあったのではと、くやしい」と何度も繰り返される。
四宮さん自身が「簡素にやってくれ」と言い残していたにもかかわらず、葬儀などには150名の方が焼香に来てくれたとのこと。

かつて四宮さんが漁師として乗っていた漁船が波止場に戻ってくる頃だ、と3時半ごろ湾のあたりを4人で散策することに。その漁船“新栄丸”【写真】が戻ってきてさっそく、墨にまみれたイカや尻尾の長い太刀魚など底引き網による漁獲物【写真】を水揚げした。“新栄丸”に乗り込んでいた漁師のお二人は80歳前後。しかも前夜10時ごろ湾を出て、紀伊水道を動き回り今戻ってきたのだった。
その場でおすそ分けしていただいたハリイカ、サワラ、マナガツオを、四宮さん宅で刺身にしていただき、たらふくご馳走になった。水揚げ30分以内に刺身を食べたのは、43年ぶりのこと。

帰り際、2階の広々とした書斎を見せてもらった。四囲は本がぎっしり詰まった本棚にかこまれている。箱入りの全集が多い。唯一外がのぞける窓からは大潟湾の広がりが見える。【写真】四宮さんは常々「ここからの景色が好きだから、どこにも行かんでいい」ともらしていたという。

5時前、辞去。徳島駅までは往きと逆コース。徳島駅からはまた高速バスにのったほうが早く大阪に着くのだが、タクシーで徳島港へ。四宮さんが通教部スクーリングの往き帰りに利用していた徳島港・和歌山港間の南海フェリーにどうしても乗りたかったのだ。
四宮さんは、前の晩に風呂に入っているのに、スクーリングの朝また風呂に入っていたという。そして、大潟漁協の組合長も勤めた祖父の「大阪に旅に行くときは、下着から何から新しくして行け」という教えをまもり、朝6時すぎに自宅を出ていたという。

(小原政幸)