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8/3(土)伊丹市で催された“田辺聖子さんお別れの会”に参列しました。(小原 記)

≪8/4朝日新聞(朝)社会面≫より

8月3日(土)、伊丹市役所が伊丹シティホテルで催した“田辺聖子さんお別れの会”に参列し、文校の大先輩である田辺さんを偲びながら献花してきました。ぼくが出た午後1時からの一般の部には、400名ほどの参列がありました。


ホテルの3階、“お別れの会”の会場になっていた光琳の間の入口。


祭壇中央の田辺さんの遺影。


会場のぐるりには、田辺さんゆかりの品やコレクション、写真が多数展示されていた。その中の年譜を記したパネルには、[27歳/大阪文学学校(於・大阪教員会館)へ通い始める]とあった。


3階の会場に入る前、2階でおこなわれた受付・記帳のときに、わが大阪文学学校学生委員長の窪野元(くぼの・げん)さんと遭遇。その横にいた母親を紹介される。田辺さんのイラスト入りのTシャツを着込んでいた。背中には、田辺さん直筆のサイン。


元ちゃんの母親のTシャツは、田辺さんから直にちょうだいしたもの。その時分、母親は手広く家具屋さんをやっていて、田辺家にも飾り棚など家具を納めていたとのこと(元ちゃんも時折運ぶのを手伝っていた)。展示写真に、居間の椅子の後ろに据えられている、その棚が写っていた。


ホテル玄関の“お別れの会”の看板前で、元ちゃんの母親といっしょに写真に収まっているのは、3階の会場出口付近で、母親に日本語で声をかけてきた初見のフランス人女性・ジャニナさん。田辺さんの『ジョゼと虎と魚たち』をフランス語訳して出版したことがあり今、大阪大学でもフランス語を教えているとのことだった。


会場のホテルを出て、元ちゃん、母親、ジャニナさん、僕の四人でタクシーに乗り、阪急伊丹線・新伊丹駅近くの、その日誰もいない田辺家の外回りを眺めてきた。少しでも、田辺さんを身近に感じたかった。

(小原)