日高てるさん(詩人/文校元講師)のご冥福をお祈りします。
【上】昨日(13日)朝日新聞<朝>社会面の訃報欄より。
【中】昨日の読売新聞。
【下】昨日の奈良新聞。共同通信の配信で全国各地の地方紙に載っている模様。
日高てるさんの訃報がもたらされたのは、文校修了生で茨木市在住の山下さんからでした。山下さんからは、近年でも年に1、2度、大和高田市の日高さん宅を訪ねていると聞いていました。
訃報がもたらされたのは、一昨日(12日)の午後3時前、文校事務局への電話ででした。山下さんへは同日午前に、日高さんのご遺族から訃報がとどき、「文学学校へも連絡してほしい」と告げられたとのことでした。
ぼくはさっそく、葉山代表理事に電話を入れ、すでに葬儀を終えられている今、文校としてやれることを話しあいました。まず、電話でご遺族にお悔やみを述べ、満中陰明けに訪問することの了解をいただきました。さらに、すでにご遺族から連絡ずみの朝日新聞社以外の新聞社に、ご遺族の連絡先を盛り込んだ“訃報”のFAXを流すことに同意していただきました。
文校にある日高さんの著作や、日高さん関連の『樹林』や印刷物をひっぱりだして、経歴づくりにおよそ3時間。明日の朝刊に間に合うようになんとか7時過ぎに、新聞社・通信社あわせて6社にFAXを流すことができました。
各新聞に記載されていない、日高てるさんの経歴・業績を以下に記します。
●草野心平を師として交流。●インド舞踊家シャクティと組んでイベント。●エジンバラ演劇祭参加。
●既刊詩集『私の瑠璃の水』『闇の領分』『hungerの森』『その目を閉じることができない』『カラス麦』『めきしこの蕊』を収録し、40年余の詩的営為をまとめた『日高てる詩集』(670頁/箱入/沖積舎/1989年)。
●『樹林』誌上で2007年2月号まで16年間65回にわたって、エッセイ「二上の鞍から」を連載。
●『樹林』2002年11月号で、“特集・日高てる”。辻井喬、長谷川龍生、新井豊美、倉橋健一、葉山郁生ら執筆。
●一般社団法人・大阪文学協会の理事、小野十三郎賞実行委員会の副代表。
(小原)