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【3/16(土)PM2~4:30】大阪文学学校 創立70周年記念祭に280名集う。これからも関西の文学愛好者・書き手たちの拠りどころに!

3月16日午後、大阪市城東区のクレオ大阪東で催された“大阪文学学校 創立70周年記念祭”には、現文校関係者115名(うち、チューター17名、元チューター4名)、文校修了生30名、一般135名で計280名の参加がありました。
戦後9年経った1954(昭和29)年に産声をあげた大阪文学学校。節目となる70年目を祝い、引き続き関西の文学を愛好するものたち・書き手たちの拠点たらんという思いを強くする場となりました。


ホール前の受付は、文校学生委員会や修了生など10数名が手伝ってくれました。


舞台中央に掲げられた1964(昭和39)年作成の“校旗”。逆L字型のマークは“飛翔”を表しています。


事前申込より50名以上少なかったものの、文校関係者、一般あわせて280名の参加がありました。一般の中には、福岡市や横浜市から駆けつけた朝井まかてファンや、朝井さんと小学校で同級生だった男性の姿も。
取材に来ていただいた新聞社は―――朝日新聞文化部、毎日新聞学芸部、同写真部、産経新聞文化部、共同通信文化部。


司会の大役を務める岡本優心(ゆうこ)。昼間部本科小説・夏当Cの1年間をへて、4月からは昼間部専科小説・津木林Cへ進級します。


開会あいさつをする葉山郁生・大阪文学協会代表理事。それまでの高畠寛さんに代わって、2014年10月から代表理事。同時に、小野十三郎賞実行委員会の代表の任にも就いています。大阪芸術大学を定年退職した後も、作家、文芸評論家として活躍中。


小原政幸・文校事務局長による“70年の歴史をふりかえる・スライド上映<32枚>”。協力;佐伯晋・元チューター。スクリーンに写っているのは、1956年4月の田辺聖子さんの卒業写真。
小原は1989年、釜ヶ崎暮らしのとき文校に入学し、事務局長を務めるようになってから丁度30年になります。


谷良一さん(文校夜間部生・吉本興業元取締役)による特別スピーチ。題して「『M-1はじめました。』の刊行に至るまで」。昨年11月に出た同著は、ベストセラー邁進中です。谷さんは、文校学生委員会の委員長を2年間にわたって務めています。


記念講演に入る前に、朝井まかてさん(文校修了生・直木賞作家)は、文校在籍時に担当チューターだった小原を舞台に引っ張り出しました。2006年当時のことを面白おかしく話題にしました。


いつものように講演原稿を準備して、「小説を書くという人生」というタイトルで60分間の記念講演をする朝井まかてさん。会場中に大きな感銘をもたらしました。
右側の壺花は、株式会社NPCコーポレーションの西井幾雄社長に寄贈によるもの。NPCは、文校の月刊文芸誌『樹林』の印刷・製本を一手に引き受けています。


閉会あいさつをする細見和之・大阪文学学校校長。小野十三郎・初代校長、長谷川龍生・2代目校長のあとを次いで、2014年10月から3代目校長。京都大学でドイツ思想を教えながら、詩人であり、自分の詩に曲を付けバンド活動も展開しています。


記念祭の終了後、紀伊國屋書店梅田本店の協力を得て、朝井まかてさんの最新刊『秘密の花園』(日本経済新聞出版/税込2,200円)、谷良一さんの『M-1はじめました。』(東洋経済新報社/税込1,760円)の販売・サイン会がおこなわれました。
『秘密の花園』50冊、『M-1はじめました。』30冊、ともに完売。サイン会には長蛇の列ができました。


午後5時過ぎから、JR京橋駅からさほど離れていない、西村郁子・夜間部チューターのお店を貸し切って、懇親会を開きました。朝井さん、谷さんを交え、代表理事・校長・チューター14名、学生委員会などで総勢41名。
乾杯の音頭は、木下昌輝さん(文校修了生で直木賞候補に3度)にとってもらいました。また、草創期から講師として文校に関わり、大阪文学協会理事長や小野賞選考委員も務められた倉橋健一さんに昔の話をしてもらいました。
チューターの皆さんや事務局員にもマイクが回されました。“次は80年をめざそう”という声が多数聞かれました。

(小原)