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飯塚輝一さん(元・大阪文学学校講師)のご冥福をお祈りします。

飯塚 輝一
【毎期の『大阪文学学校・入学案内書』の中の飯塚輝一さん】


【2009年2月14日(土)夜10:40から、NHK総合テレビで全国放映された文校夜間部・飯塚クラスの合評会風景/右上が飯塚さん】

6月23日(月)昼過ぎ文校事務局に、ご遺族(娘さん)より電話で飯塚輝一(いいづか・きいち)さんの訃報がもたらされました。
6月1日(日)お昼頃、奈良県王寺町の病院からその1週間前に移った奈良市内の老人保健施設で、心不全により亡くなられたとのことでした。1933年(昭和8年)生まれの92歳でした。
葬儀は、家族と飯塚さんが入信していたキリスト教会の会員のみで執り行なったそうです。先々、阪奈霊園の近くの教会墓地に納骨の予定だそうです。

飯塚さんは、1954年(昭和29年)7月に創立された大阪文学学校の1期生でした。その前身の〈大阪詩の教室〉とあわせて、9カ月在籍しています。【田辺聖子さん(1928年~2019年)は、飯塚さんより1年半あとに4期生として文校入学】
同人誌「あるかいど」などで小説を発表しつづけ、1992年10月から2014年3月まで文校の夜間部や昼間部の講師(チューター)をつとめられました。飯塚さんの受け持ちクラスの出身者には、玄月さん(芥川賞受賞/1994年10月から1年間)、咲沢くれはさん(小説推理新人賞受賞/2002年10月から1年間)、木下昌輝さん(直木賞候補に4度ノミネート/2010年10月から1年間)らがいます。
上山和音さんや脇健一郎さんらがいたとき、NHK総合テレビの<ドキュメントにっぽんの現場>という番組が飯塚クラスに焦点をあてたことがありました。5カ月にも及んでNHKの3人(ディレクター・カメラマン・音声さん)が、飯塚クラスの毎週の組会(ゼミ)や飲み会、自宅にまで取材を敢行しました。2009年2月中旬の土曜日、夜10時台、30分にわたって“合評会の熱い夜~大阪「小説は人生や」”が全国放映されたのでした。反響はすさまじく、その後の数年間で全国から50名ほどの入学者がありました。

大阪文学学校名で、飯塚さんの娘さん宅へ霊前への供花をお届けするとともに、葉山郁生・代表理事や細見和之・校長など10名ほどに、メールなどで飯塚さんの訃報を連絡しました。
木下昌輝さんからは間をおかず、「ショックですが年齢的には大往生なのかなと思います。直木賞をとったというご報告ができず残念です。かつての同級生にもお知らせしておきます」という返信がありました。
奈良県のたなかよしゆきさん(詩人/元・文校チューター)からは、たなかさんが今年4月9日に受け取った飯塚さんからの手紙のコピーを見せてもらいました。太い毛筆でしたためられたその末尾は、次のような一節が締めくくられていました。
【レモンサワーを傾けしばし陶然
宇宙のめぐみに浸っております】

バイクで20分とかからない、同じ生駒に住んでいながら、この2年間一度もたずねていかなかったことが悔やまれてなりません。
飯塚さんの安らかなご永眠をお祈りいたします。

(大阪文学学校事務局長・小原政幸)