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★【6/8<日曜>】学生委員会主催の“『樹林』在特・5月号の合評会” ★【6/10<火曜>】から5日間、昼・夜間部14クラスは合同で“『樹林』在特・5月号および本誌・6月号の合評会週間”

◆6月8日(日曜)、学生委員会主催の『樹林』在特・5月号の合評会には、在特号に作品(詩・エッセイ・小説)が掲載された作者だけでなく、5月号の選考委員を務めた方、次の在特号(7/5応募締切)での掲載を目指している方、ぜひ出席してください。事前申込なしでもOKです。
春の新入生の方も出席すれば、得るものが多くあります。文校の2年生、3年生(それ以上)の先輩たちと知り合いになれる絶好の機会です。
文校教室での対面合評が基本ですが、Zoom参加もできます。ただし、掲載者以外は視聴のみ。
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『樹林』在校生作品特集号は、学生委員会が中心になって、在校生から小説・詩・エッセイ作品を募集すると同時に、在校生からなる選考委員会を組織し、そこで優秀作・意欲作を選び出し、さらにその後の編集作業までおこなって仕上げられています。そして、学生委員会主催で全校的な合評会がおこなわれ、また昼・夜間部14クラスでも組会(クラスゼミ)の中で取り上げられています。
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◆過去に『樹林』在校生作品特集号に載った経験のある文校修了生たちの活躍にはめざましいものがあります。
◎第5回ホラーサスペンス大賞の沼田まほかる ◎第7回三好達治賞の細見和之 ◎第8回小説宝石新人賞〈優秀作〉の大西智子 ◎第150回直木賞の朝井まかて ◎第92回オール讀物新人賞受賞後に4度直木賞候補の木下昌輝 ◎第113回文學界新人賞の馳平啓樹 ◎第59講談社児童文学新人賞の水野瑠見 ◎第45回吉川英治文学新人賞の藤岡陽子 ◎第40回太宰治賞の市街地ギャオ・・・・・・。
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◆再来週6月10日(火)から14日(土)にかけて、昼・夜間部は合同クラスで『樹林』在校生作品特集号(5月号)や本誌(6月号)に掲載されている学生作品の合評会をおこないます。
作品が取り上げられる作者は、ぜひとも参加してください。

(小原)

【今夕(5/26)の毎日新聞・文化面】――中西智佐乃さん(大阪文学学校修了生)の第38回三島由紀夫賞の受賞記者会見より――

■中西智佐乃さんは、2008年10月から18年3月までの間、休学期間をはさみながら文校の夜間部あるいは昼間部に実質5年間在籍されています。19年に、応募総数1972編の中から、小説「尾を喰う蛇」(230枚)で第51回新潮新人賞を受賞しています。

■中西さんの三島由紀夫賞受賞作は、『新潮』25年3月号に掲載されていた「橘(たちばな)の家」(250枚)で、6月に新潮社から単行本化の予定だそうです。

■中西さんの三島賞受賞については、選考会のあった5/16の文校ブログおよびⅩで速報しています。

■中西さんの三島賞受賞の記者会見については、5/21付朝日新聞(夕)でも記事にされています。

(小原)

22日(木)に仕上がってきた『樹林』6月号(本誌・夏季号/通巻713号)を、在校生はじめ大阪文学学校関係者・定期購読者のほかに、全国の主だった出版社・新聞社・図書館・文学館などへ発送!


【『樹林』夏季(25年6月)号/通巻713号/132ページ立て】
表紙は目次並みに、作品や文章が載っている方を全員網羅してあります。

5月20日(火)に仕上がってきた『樹林』5月(在校生作品特集/通巻712)号は大阪文学学校学生委員会の手で選考・編集され、22日(木)に仕上がってきた『樹林』6月(夏季/通巻713)号は一般社団法人・大阪文学協会の編集によるものです。

通教部生(129名)と通教部チューター(12名)の皆さんへは、仕上がって来た20日に『樹林』5月(在特)号をお送りしました。同じように、『樹林』6月(夏季)号も仕上がってきた22日にお送りしました。その際、①6/22通教部スクーリングおよび前段のプレ・スクーリングの案内、②スクーリング出欠ハガキ、③6月9日発行予定の『樹林』7月号(通教部作品集)の掲載作・作者リスト、を同封しました。

休学生(81名)、定期購読者(40名)、元チューターなど文校関係者、お世話になっている各地の作家・詩人・評論家の方々へは、今日まで3日がかりで、5月号と6月号をセットにしてお送りしました。
また月々の『樹林』と同様に、全国の主だった出版社・新聞社・図書館・文学館などへもセットで寄贈しました。

昼・夜間部の皆さん(あわせて175名)は、組会(クラスゼミ)で教室に来たとき、机の上から5月号、6月号とも1冊ずつ持ち帰ってください。組会にZoomで参加している皆さんには順次、郵送することにします。

◎『樹林』6月号の内容は、●第45回大阪文学学校賞3部門の受賞者紹介・選評 ●全美榮さんの同賞〈詩部門〉の受賞作など ●間瀬翠さんの同賞〈小説部門〉の受賞作 ●堀和恵さんの同賞〈エッセイ・評論・ノンフィクション部門〉の受賞作 ●文校チューターおよび修了生三氏(馳平啓樹、大沢綾子、田中一葉)それぞれの小説 ●西井隆司チューターのエッセイ「文校と出会えた」 ●文校関係者の書籍への書評3本 ●在校生の諸作品(詩、エッセイ、小説)7編 などです。編集担当は、平野千景・協会理事(夜間部チューター)でした。

(小原)

きょうの公開/昼・詩入門講座[担当;近藤久也チューター]に18名参加。内訳は、在校生9名、休学生2名、修了生1名、一般は20歳の男子学生など4名、そして小説C担当チューター2名▲作品提出の15名全員出席


【一番右(窓側)が近藤久也チューター】

講座の初めに近藤チューター<4月から昼間部/詩・エッセイC(木)も担当>から、天野忠の詩「動物園の珍しい動物」について、10分ほど話がありました。

講座の始まる前に文校事務局のほうで、提出作品15編のコピーをひとまとめにして全員に配布してありました。それに基づいて、各々が自作詩を朗読しました。そのつど近藤チューターは、懇切で鋭い批評をくわえていきました。作者に創作の意図をたずねたり、会場から意見を求めたりしながら。

最後に近藤チューターから、恒例となっている“私がいいと思った作品”の発表があり、提出15編の中から次の2編が選ばれました。―――◇水澤さん(一般)「至福のとき」 ◇森田晏史さん(昼間部研究科休学中)「自由な悪行」

講座の開始は午後3時で、休憩なしで終了したのは午後6時。
あらかじめ作品を提出されていた名倉弓子・昼間部小説チューターと須藤薫子・通教部小説チューターも、最後まで受講されていました。

(小原)

★新刊紹介★遠野魔ほろさん(22年3月まで文校通教部に丸10年在籍/埼玉県)の第2詩集『がらんどうの夢』(思潮社) 【所望される方は、事務局に声をかけていただければ、無料でお渡しします】

埼玉県入間市の遠野魔ほろ(とおの・まほろ)さんは、2012年4月から22年3月まで一度も休学することなく、ずっと通教部/詩・エッセイクラスに在籍されていました。コロナ以前は、泊りがけで通教部スクーリングによく来阪されていました。

遠野さんにとって第2詩集となる『がらんどうの夢』は、思潮社刊で(2000円+税)の定価がついています。文校の皆さんに読んでいただきたいということで、50冊送られてきました。
所望の方は、クラスゼミや公開講座<明日・24日午後3時から詩/入門講座があり>で来校されたとき、事務局に声をかけていただければ、無料でお渡しします。

『がらんどうの夢』の奥付の著者略歴欄には、「1950年埼玉県生まれ。30年間日本語教師をつとめたのち、大阪文学学校通信教育部にて詩を学ぶ」とあります。

▲遠野さんは、作品「がらんどう」で第40回(2020年度)大阪文学学校賞<詩部門>の佳作を受賞されています。

▲遠野さんの第1詩集『夜更けの椅子』(思潮社)は、21年12月4日付の東京新聞・夕刊で取り上げれています。【21年12月9日・文校ブログ参照】
また『夜更けの椅子』のなかの一編の詩が23年春、東京都千代田区の私立共立女子中学校の入試問題に採用されました。

▲僕にとって忘れがたい、遠野魔ほろさんの≪通教部/詩・エッセイクラスでの十年≫と題した「文校ニュース」への寄稿文を紹介します。【2022年3月24日・文校ブログ参照】
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 私にとっての大阪は谷町にある文校です。埼玉の入間市から十年通っていつもとんぼ返り。最終のスクーリングで、土曜のプレがなかったので大阪城に行きました。高校の修学旅行以来。お堀に鴨がたくさん浮かんでいて、枝垂れ梅が満開。これで文校の他にもう一つ、大阪での思い出ができました。文校が大阪にあったからこそ、通い続けられたのだと思います。街の様子、言葉、人々の雰囲気、何もかも異なった場所だったから、日常から離れて書くことが学べたように思います。
 入校は2012年4月。前年から色々なことが重なって考えあぐねていた時にふと、何かきちんとした文章が書きたいと思いました。恐る恐るの電話の向こうから「八十代の方も書いておられますよ」という小原さんの言葉が返ってきました。まだどのくらい書き続けられるのか見当がつかず、4年間とりあえずやってみようという気持ちでした。最初のスクーリングで校長の長谷川龍生先生のお話がありました。当時は何も知らず、今振り返れば、もっとしっかりお聴きしておけばよかったと思います。
 初めての冨上クラスの合評会では、椅子から半分落ちそうになって座っていました。自分の作品が批評されても、何を言われているのか実はよくわからない。ただ、とても真剣に話が続いていたことだけを覚えています。最初の頃のエッセイとも何ともつかないような文章が、批評を受けて書き続けるうちに詩らしいものに変わっていきました。翌年から川上クラスになりましたが、申し訳ないことに、はじめの数年は川上先生の詩がよくわかりませんでした。難解というのではないけれど、何をどう味わっていいのかわからない、なんだかピンとこない。でも先生の言葉、作品の批評自体が詩のようで、合評会が終わるたびに「もっといい作品が書きたい」と思いながら大阪から戻りました。
 書くことの比重が私の中で大きくなるにつれ、思いつきでつけたペンネームがとても大事な、自分自身でいられる場所に変わっていきました。それは先生(チューターと言うより私にとっては先生です)はじめ皆が互いの作品を真剣に読み、ときに作者以上に読み込んで批評し合う中で育っていったのだと思います。
 それに年2回の読書ノートの提出。私の感想文より長いくらいの批評をいただいた時はショックでしばらくはちゃんと読めませんでした。コロナ流行以前、スクーリング前の先生からの講義も、文校の多くの先生方のお人柄、文学への姿勢などにじかに触れることができる貴重な時間でした。
 文校での十年は言葉を通してたくさんの人と出会い、学ぶことができた時間です。こんなに豊かな時間を携えて修了できることに、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
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(小原)