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新入生「ハガキ1枚」課題、42名から届いています。締切を1週間延ばします。未提出の方、急いでください【できればメールで】。◆作品発表・第4弾【昼間部・奈古英子さん/通教部・熊沢 優人さん】

今春の新入生60名のみなさんに、提出をもとめていた〈課題ハガキ〉は今日・31日が締切でした。今日の到着分も入れて現在、昼間部20名中19名、夜間部17名中6名、通教部23名中17名の計42名から提出があります。
できるだけ、新入生全員に書いていただきたいですので、あと1週間延ばして最終締切を6月7日(金)とします。まだの方、できればメールでお願いします。
提出作品は全て、「文校ニュース」に載せ、文校の多くの皆さんの眼に触れられるようにします。
課題のタイトル6つについては、4月27日・文校ブログ参照。

既着分の中から、とりわけ印象的な作品を紹介する《第4弾》として、奈古英子さん(昼間部/65歳)、熊沢優人さん(通教部/41歳)2名の作品を取り上げます。
すでに文校ブログに載せた《第1弾》は通・立花十子さん、通・鈴木悟さん、昼・廣瀬浩さんの作品(5/7文校ブログ)、《第2弾》は通・海本友子さん、夜・TAさんの作品(5/18文校ブログ)、《第3弾》は通・鴨居みこさん、通・田中風子、昼・司元さんの作品(5/23文校ブログ)でした。   (小原)

        ☆       ☆ 
 私のふるさと  奈古英子(昼・小説・佐伯クラス/奈良市) 

 七年前、一人暮らしが難しくなった母を引き取った。
 ふたりでよく田舎の話をした。母のふるさとであり、私が十八歳まで暮らした町。汽車に乗ることもできなかった親戚のおばさんが、若い頃は駆け落ちして連れ戻された話。戦争中開墾に行かされたが、町育ちの母は何もできず、ただ豆入りのお握りを一つもらって帰って来たこと。お祭り好きな母は、御神輿について一晩中町を歩き回っていたそうだ。
「お前も知っているだろう。ほらあの『高い山』」
『高い山』はお祭りに歌われる祝い歌で、私は自分の結婚式の時、父や親戚のおじさん達に歌ってもらった。眠りに入る少しの時間、母は微かな声で『高い山』を歌った。
 母はいつかまた田舎に帰る積りだった。
「そりゃあ、自分の家があるのだもの。帰りたいに決まっているさ」
 認知症の母が、一人で田舎に帰って住むことはもうないと私は知っていた。
 去年十月母が亡くなった。田舎の話をする人はいなくなり、家だけが残った。
 でも、母のことを思い出す時、そこには子供の私がいる。母が開墾した場所で、小学生の私はキャンプをした。駆け落ちしたおばさんはおはぎ作りが上手で、毎年おいしいおはぎを作ってくれた。若い両親や祖母や兄弟が笑っている。
 お祭りには、田舎に残った私の同級生が、今も『高い山』を歌う。
 
        ☆       ☆

 文学学校入学にあたって  熊沢優人(通・小説・塚田クラス/熊本市)

 大阪文学学校へ入学できた。入学できたからには、学校へ通いたくて仕方がない。学生がするようなことを、なんでもしてみたいのである。およそ十二年前、二十九歳ごろから、本気に作家を志願し始めた。以来、文芸や音楽のことばかり考える生活をするようになった。その暮らしの中には、師事する人が欠けていた。私は、太宰さん(太宰治)が好きである。小説の師は、小説の中に求めれば良いという人もあろうが、私は、井伏氏に師事する太宰さんに憧れていた。ある小説家を、自分の作品をもってたずねていった。会うことは、かなわなかった。けれども、と、話は続いていくのだが、割愛しなくてはいけない。私は、こういう学生です。
 熊本県で学んでいる。教室へ通い、きっといるのに違いない、良い人たちと語らい、大阪の食を味わいたくてならない。私の貧しい、という事のみが原因で、ことし恐らく一度も教室まで通えないはずである。大阪文校へ通っていくためには、大阪へ移住することが必要だと、真面目に考えている。ミニ文校が、熊本へ来て欲しい。熊本には、文学学校などないのです。