文校ブログ

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【9/2神戸新聞】アスベストセンター賞《文芸部門》を受賞した方政雄さんが大きく紹介される。方さんは24年3月まで9年間、大阪文学学校に在籍されていました。

兵庫県伊丹市の方政雄(パン・ジョンウン)さんは、2015年4月に大阪文学学校昼間部に入学し、休学を挟みながら24年3月まで9年間在籍されています。
その9年間に、2017年「大阪文学学校賞(小説部門)・奨励賞<第3席>」、2018年「部落解放文学賞(小説部門)」、2021年「大阪文学学校賞(小説部門)・佳作<第2席>」、2022年「労働者文学賞」、同年「さきがけ文学賞」《賞金50万円》を受賞しています。
また小説集は、『白い木槿(むくげ)』<新幹社>、『ボクらの叛乱』<兵庫県在日外国人教育研究協議会>、『草むらの小屋』<新幹社>と3冊出しています。
アスベストセンター賞《賞金40万円》を受賞した作品「光る細い刺」は、『白い木槿』に収められていたものです。

24年7月18日・文校ブログ参照

24年7月25日・文校ブログ参照

(小原)

昨夕(9/11)の朝日新聞・・・文化面<2面>に“文校・秋期生募集”の記事

上のような短信が、9月11日(水)の朝日新聞(夕刊)・文化面<2面>に載っています。文校の“募集記事”の掲載、ありがとうございました。

(小原)

《秋期13人目の新入生》大阪市の34歳女性が、昼間部・小説クラス(土曜)へ。

今日の午前中に、事前にメールや電話での問い合わせのなかった大阪市の女性から、オンラインで「入学申込書」がとどいていました。おそらく、文校のHPをご覧になって入学を決断されたのでしょう。
「入学申込書」の中の“入学のきっかけや書きたいテーマなど”の欄には、次のように記されていました。
【学生の頃に存在を知り、いつか通ってみたいなぁと憧れがあったからです。かきたいけれど、かきたいことはよく分かりません。】
また、文校のことは【田辺聖子の略歴で知りました】とのことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の夕方、“入学歓迎”のメールを出しました。
さっそく学費も納入されていることにたいし謝意を伝えたあと、「いまから、書くことにとりかかり、推敲をかさねて、自分にとって満足のいく作品に仕上げてください。これからの一年間あまり、頑張ってください。」と結びました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
50分後、女性から返信メールがありました。
そこには、「今からとても緊張しております。頑張りたいと思います。」という一文がありました。

(小原)

細見和之[大阪文学学校校長/京都大学教授]らのバンドが、10/5(土)に京大吉田寮食堂でライブ

京大総合人間学部の教員3名によるバンド「ティーアガルテン」によるライブです。12曲ぐらい演奏します。
●ボーカル●ギター●ドラム●ヴィオラ

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24年6月12日・文校ブログに、6/1京都大学吉田寮祭における細見和之・文校校長/京大教授のギター演奏(ドラム、ヴィオラと共演)のライヴをアップしてあります。金時鐘さんの詩に曲を付けたものを中心に演奏しています。
2024年 京都大学吉田寮祭「ティーアガルテン」ライヴ
2024年6月1日(土)京都大学吉田寮食堂
細見和之[Vocal/Guitar]、小林哲也[Drums]、鵜飼大介[Viola]

(小原)

秋期12人目の新入生は、京都市の55歳男性。昼間部・小説クラス(火曜)へ。

京都市の男性から、オンラインで「入学申込書」がとどきました。
8月下旬に一度、どういうところか、文校をたずねてこられた方です。

「入学申込書」の中の“影響を受けた作家”欄には、たくさんの作家の名前が挙がっています。【横溝正史、江戸川乱歩、松本清張、山田風太郎、連城三紀彦、筒井康隆、高橋和巳、西村賢太】
文校が受講生を募集しているのを知ったのは、【公式ホームページ(学校のことは故田辺聖子氏の略歴を通じてかなり前から知っていました)】とのことです。

また、“入学のきっかけや書きたいテーマなど”欄には、次のように書かれていました。とても長いのですが、どうしても小説を書かずにはいられないという立場にあるということがひしひしと伝わってきます。

【「面白い小説を書きたい」。横溝正史の「犬神家の一族」を読み終えた小学6年生の秋、初めてそんな思いに憑りつかれた。それ以来、稚拙な物語を思いついてはノートに書き連ねてきた。高校3年生の時には大学受験の勉強を放棄し、原稿用紙にして300枚ほどの探偵小説を書いた。しかし、その小説を含め、自作のほとんどを完結させることができなかった。自身の未熟さ以前に、生まれついての根気の無さゆえに途中で執筆を投げ出したのだった。
大学卒業後に就職した会社の業務はかなり多忙で、ほぼ毎日残業していた。休みの日は疲労でずっと居眠っていて、小説を書くどころか本もまったく読めなかった。それでも、なぜか「とんでもない小説が書けないか、面白い小説の材料はないか」という考えにいつも脳内が支配されていた。感性が鈍く、才気もないうえに「大人」でもない自分には実現できるはずもない、空虚な高望みだと気づきながら。
2021年6月に脳出血で倒れ、約7カ月間入院した。左半身に強い麻痺が残った。救急搬送されて5日後に「まだ生きている」と初めて自覚した時、「このままでは死ねない。たとえ一作でもいいから、とんでもない小説を書き上げたい」と強く思った。40年以上も脳内を占め続けてきた願望は、壊れて元には戻らない脳の中でなおも息づき、これまでにないくらいに大きく、重くなっていたのだった。入院期間の後半からは文章を書くトレーニングを始めた。退院後は手足のリハビリとともに読書を再開した。
自分にとって、小説を書きたいという思いがそれほどまでに大きな意味を持っている理由は何なのだろうか。その答えはかなり前から理解しているつもりなのだが、「作品」の形でその答えを具現化するには、あまりにも力量が無さすぎる。長年の不勉強ゆえに、小説に関する知見は著しく乏しい。さしたる人生経験もなく、社会や他者に対する洞察力も欠いている。面白く、とんでもない小説がどんなものなのかも見当がつかないし、純文学なのかミステリなのか、あるいは時代小説を志向するのか、それすらも見当がつかない。それでも、人生の最期の最期まで悪あがきをしたい。
偉そうなことばかりほざいているが、根っからの怠け癖はいまも変わらない。本を数ページ読むだけで熟睡していることも珍しくないうえ、自宅で長時間椅子に座っていると左半身が痛むことを言い訳にして勉強も怠っている。だからこそ、少しでも自らを鍛えなければならない。歩行のリハビリも兼ねてこの学校に通い、いまさらながら小説と格闘するための基礎体力をつけ、ほんの一歩でも自らの無謀な望みに近づきたい。】

(小原)