文校ブログ

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17(日)~18(月・海の日)夏季合宿の報告・・・大型バスをチャーターし“熊野三山・新宮への旅”に41名。松山・岡山・名古屋(2名)・神奈川・東京(2名)からも参加者。創作が上達しますようにと参拝し、勉強し、車座で酒を飲みながら懇談しました。

1984年発行の「大阪文学学校・30年略年表」によると、今の形の夏季合宿がはじまったのは、80年(昭和55年)7月のことで、大阪・奈良府県境の信貴山でした。それ以来、数えて43回目(昨年と一昨年はコロナのために代替企画として自宅Zoomによる作品合評会)の今回は、今までで一番の遠出となりました。しかも、大型バスを貸し切って、みんなで一緒に行くということも初めてのことでした。新宮市内の“民宿”に泊まった41名のうち、一人の文校修了生だけバスではなく、東京からカッコよく1500CCのバイクで駆けつけてきました。


17日(日)午前9時。文校の入るビルに横付けされた奈良交通の49人乗り大型バスで出発。講師陣から中塚鞠子・昼間部チューターと塚田源秀・通教部チューター、事務局からぼくと佐々木鈴が乗り込みました。コロナのため、ビールも飲めず、文学クイズやカラオケをやれないのが悔しい。


午前11時。“日本一”面積の広い村である奈良県十津川村の「谷瀬の吊り橋」。その袂に、長さ297メートルは“日本最長”との看板があった。最初は見学だけのつもりだったのに、渡り始める文校生が続出。皆こわごわで、向こう岸までたどり着いた者はいない。
「谷瀬の吊り橋」到着の前後、170キロ(停留所168カ所)という“日本一”の走行距離をもつ大和八木(橿原)⇔新宮間の路線バスと同じ狭い道路をたどる。わが大型バスは途中、対向車とすれ違うとき何度、一時停止やバックを繰り返したことだろうか。


熊野本宮大社(付近で各自昼食)を経て、午後3時に佐藤春夫記念館に到着。東京で佐藤春夫が住んでいたサンルームの付いた館を、郷里の新宮に移築してきて記念館にしている。辻本雄一館長の説明で、部屋をめぐりながら佐藤の文学的足跡をたどる。
すぐ近くの熊野速玉(はやたま)大社のお詣りをする。樹齢千年近い梛(なぎ)の大樹というものに出会う。さすが、知っている文校生がいてその人から、葉っぱの葉脈が縦に走っていること(平行脈)を教えられ、一同ホオッと感嘆。<別なところの土産物屋で、ぼくはその梛の高さ15センチの苗木を買い求めた。>
その後、新宮市立図書館に移動し、その中でかなりのスペースをとっている中上健次コーナーで著作や資料を食い入るように見て回った。
その際ぼくは、新宮出身の文校OG・平本亮子さんがセッティングしてくれた、地元の日刊紙「熊野新聞社」の取材を受けた。


民宿に着いてまもなく、新宮が生んだ作家・中上健次についての辻本雄一・佐藤春夫記念館館長による60分間の講演がはじまった。辻本さんは、自ら作成した中上の略年譜(B4紙・4枚)をもとに話される。中上が、文校で講演(タイトル「物語の定型」)をした日時が、1978(昭和53)年7月11日であることを教えていただいた。それは、「岬」で芥川賞を受賞した2年後、中上31歳のとき。
文校の通教部本科のテキスト(講義録集3)に、中上の講演録が載っているので、文校で講演してもらっていることは明らかだったのだが、おこなわれた日時が、テキストや「30年略年表」などどこにも見当たらないままだったのだ。
新宮高校(辻本さんは中上の1学年上)を卒業して東京へ向かった中上。作家になってからも、たびたび新宮に戻って来て、文化活動にいそしんでいる様が、辻本さんのお話の中で強く印象に残った。「部落青年文化会」を組織し連続公開講座(金時鐘さんも講師を務めている)を開いたり、高校の同級生を中心に「隈ノ会」を結成したり、今もつづく市民講座「熊野大学」を発足させたりしている。また、日ごろから懇意にしていた歌手の都はるみを新宮に招いて、神社の境内で何度か歌ってもらっている。


午後6時半ごろ、諸さやかさんの音頭で乾杯し夕食会。飲み会・懇談会は、場所を何度か替え、大方は午前0時まで、それ以降もつづけ午前3時までの者たちがいたらしい。


2日目。午前7時起床で、8時に民宿を出発。熊野那智大社とそれに隣接する那智山青岸渡寺へ向かう。バスを降りてから、長いながい石段で何度も立ち止まるも、息を切らしながら全員たどり着く。文校のもよりの地下鉄谷6のホームから文校教室までの3つの階段をあわせると147段。その3倍は、登ったのではなかろうか・・・・・・。
それから、今度は下ってくだって、那智大社の別宮である飛瀧(ひろう)神社へ。本殿や拝殿はなく、そのご神体である、133メートルの落差“日本一”という那智の滝を直接拝む。ここの拝所で、記念撮影。
その後、串本の橋杭岩(はしぐいいわ)、白浜のとれとれ市場で休憩や昼食をとり、バスの文校到着は午後5時前。

何度も“日本一”につきあった2日間の旅でした。

●学生委員会は、今回の合宿参加者による【文集】の発行を予定しています。お楽しみに!

◆創意と実行力で夏季合宿を全面的に取り仕切った、谷良一学生委員長、諸さやかイベント部キャップをはじめとする学生委員会の皆さん、ほんとうにご苦労様でした。更には、オブザバーとして企画段階からアドバイスをおくり、当日は「バスガイド」役もこなした修了生の平本亮子さん(元・イベント部キャップ)、上に載せた写真を提供してくれた休学生の新谷翔さん(元・学生委員長)にも感謝します。

(小原)

公開/昼・詩の連続講座に11名。

公開講座の昼・詩の連続講座(春期2回目)は、病気療養中の山田兼士チューターに代わって松本衆司チューターが担当しました。
午後3時から5時まで、11名の出席でおこなわれました。あらかじめ作品提出があったのは10名で、うち1名欠席。

◆次の公開講座は、8月20日(土)午後3時からで、昼・文章講座(担当;日野範之チューター)の春期3回目です。
その講座に向けた作品の提出締切は8月15日(月)です。日野チューター宅まで。

◆公開講座には、作品を提出していない方でも参加できます。在校生は無料、休学生・修了生は1000円、一般は1500円です。

(小原)

☆新刊紹介☆讃紫雲さん(文校修了生)歴史小説『海鳴りと砂塵』(文芸社/1,300円+税)

讃紫雲(さん・しうん)さんは、2018年4月から1年間、大阪文学学校昼間部・佐伯敏光クラスに在籍されていました。。
19年11月に、最初の歴史小説『継体大王異聞(けいたいだいおういぶん)』(幻冬舎MC)を刊行されています。19年12月5日・文校ブログ参照。

◆以下、『海鳴りと砂塵』の巻末にある著者“あとがき”を半分ほど抜粋して紹介します。

【・・・・・・《略》・・・・・・生まれは讃岐香川県高松市で、紫雲山を借景とした名園「栗林公園」のすぐ北で育ちました。そこで小説を書くにあたり、筆名を「讃紫雲」としています。
 一般企業で定年まで勤めあげ、時間の余裕ができた段階で再度好きな歴史を深めてみようと、大阪高齢者大学で毎年歴史のクラス、また他の講座にも通い学習を続けてきました。積み重ねてきた知識をもとに何か作品を残したいと願い、当時、興味深く調べていた「継体天皇」の一生を小説にしたいと思いました。ただ、今まで本など書いたこともなく、小説手法を学ぶために二〇一八年に「大阪文学学校」へ一年間通い、毎週行われる仲間同士の作品批評会などで鍛えられました。そして「古希」を迎えた記念として二〇一九年に『継体大王異聞』を初めて刊行することができました。
 その後も執筆への想いが消えず、それでは故郷の高松を舞台にした物語を書きたいと思い資料を探ってみたところ、「松平左近頼該」という興味ある幕末の人物に出会い、彼の生涯を綴っていくことにしました。
・・・・・・《略》・・・・・・
 そんな私に山田先生から与えられた卒業論文のテーマは、清末に新設された「新疆省」の役人の出身地調査でした。卒論には真剣に取り組み、参考とする資料は『大清搢紳全書』という清国の省別官員名簿。蔵書先を調べ、京都大学や東京大学の図書館へも足を運びました。
 卒論課題を進める中で新疆ウイグルの反乱も調べていき、その過程で「劉錦棠」という武将の存在を知りました。乱平定に功のあった「左宗棠」という軍人政治家は知っていましたが、その幕下で実際の戦闘で活躍したのは劉錦棠でした。
・・・・・・《略》・・・・・・
 山田先生は故人になられて久しくなりますが、先生の期待に応えることができなかった私の忸怩たる想いは続いており、その恩に少しでも報いたいとの思いで、本書を構想するにあたり「松平左近」と「劉錦棠」とのつながりを創作することにしたのです。・・・・・・《略》・・・・・・】
[小原注;山田先生とは、大阪大学文学部史学科の教授で、讃さんの卒論の指導教官だった山田信夫さんのことです]

(小原)

7/17~18夏季合宿“熊野三山総めぐり・新宮の旅2日間”の参加者は41名に! バスを借り切って文校から出発します。

学生委員会イベント部キャップの諸さやかさん(夜・平野クラス)によると、17日(日)・18日(月・海の日)の2022年文校夏季合宿“熊野三山・新宮”の参加者は41名にのぼるそうです。
毎年7月中旬に行う夏季合宿は最近、2015年・伊勢志摩(68名参加)、16年・奈良(41名)、17年・倉敷(43名)、18年・奈良(34名)、19年・奥琵琶湖(51名)という変遷をたどっています。
コロナにおおわれた20年と21年は、“泊りがけの合宿”は取りやめ、その代替として学生委員会が企画したのは、ハガキⅠ枚の詩・600字小説の“コンテスト&Zoom合評会”でした。2カ月延期して9月に行った20年の参加者は2日間で24名、いつもの7月に1日だけ行った21年の参加者は42名でした。どちらのときも、昼間・夜間・通教生にチューターも加わりました。
30年(ひょっとしたら40年)以上つづく“夏季合宿”の伝統を途絶えさせることはありませんでした。そして今回、コロナがまだくすぶってはいますが、3年ぶりに“泊りがけの合宿”を復活させることになりました。
ぼくが夜間部生をへて文校事務局にかかわっている間に33回“夏季合宿”があったのですが(2、3回不参加あり)、今回の“熊野三山・新宮”が一番の遠出になります。しかも、バスをチャーターするなんて前代未聞のことです。学生委員会のみなさんのアイディアと行動力に頭が下がります。

参加申込41名の中には、岡山、愛知、神奈川、東京などからの遠来組もいます。また、講師陣から中塚鞠子・昼間部チューターと塚田源秀・通教部チューター、事務局からぼくと佐々木鈴が参加します。

集合時間・場所、行程、持ち物などについては、6/17発行の「学生新聞コスモス」(通巻330号)で再確認してください。
もしものお問い合わせは、bunkogakusei@gmail.com まで。

(小原)

公開/夜・詩の連続講座に11名。

冨上芳秀チューターが担当する公開の夜・詩の連続講座(春期2回目)は、今夜6時30分から、11名の出席でおこなわれました。うち、一般2名。
あらかじめ作品提出があったのは10名で、全員出席。

◆次の公開講座は、7月16日(土)午後3時から春期2回目の昼・詩の連続講座(担当;病気療養中の山田兼士さんに代わり松本衆司チューター)です。作品提出は締め切っていて、10編の提出がありました。

◆公開/夜・詩の連続講座(担当;冨上チューター)の春期3回目は8月22日(月)午後6時30分からで、その講座に向けた作品の提出締切は8月13日(土)です。事務局まで。

◆公開講座には、作品を提出していない方でも参加できます。在校生は無料、休学生・修了生は1000円、一般は1500円です。

(小原)