文校ブログ

ブログメニュー
カテゴリー
最近の記事
バックナンバー
年別アーカイブ

月別アーカイブ

2024年4月
« 3月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  

《在校生の活躍》 泉眞知子さん(通教部・大沢C)が「コバルト短編小説新人賞」に応募し“もう一歩の作品”に選ばれる。

集英社コバルト編集部主催の「第218回短編小説新人賞」において、通教部・専科の泉眞知子さん(堺市)の作品が賞は逃したものの、“もう一歩の作品”に選ばれました。
泉さんの作品タイトルは「超個体」。
集英社WebマガジンCobalt参照。

コバルト短編小説新人賞は、25~30枚の小説作品を、2カ月おきに募集しています。昨年9月4日、大阪文学学校で行なわれた特別講座[葉山郁生チューターとの対談]《樹林22年5月号に対談録収載》にZoomで出演いただいた三浦しをんさんは、その選者を第207回まで14年間にわたって務められていました。
第186回のとき、文校修了生で大阪府の仁科里律(にしな・りつ)さんが小説「夕(ゆう)と梔子(くちなし)」(29枚)で受賞しています。
2017年3月29日文校ブログ参照。

(小原)

『樹林』在特号、応募締め切る。小説部門に30編、エッセイ部門に7編、詩部門に14名18編。

朝井まかてさん(直木賞受賞/文校特別アドバイザー)や木下昌輝さん(直木賞に3度ノミネート)、馳平啓樹さん(文學界新人賞受賞)、藤岡陽子さん(京都本大賞受賞)らも文校在籍時に載ったことがあり、応募から選考・編集まですべて学生委員会が仕切る『樹林』在校生作品特集号。その11月号に向けて、今日9日(土)の午後3時、作品の応募が締め切られました。


【写真】は、仕分けられた応募作品の山を前に、応募作品リストや選考委員名簿作りに励む学生委員会のメンバー 【右から】谷良一さん<夜・平野c/学生委員長>、諸さやかさん<夜・平野c/イベント部キャップ>、山田吉郎さん<夜・大西c>、藤田和恵さん<夜・高田c/新聞部キャップ>、林隆司さん<昼・佐伯c>、松宮信男さん<夜・大西c>。なぜか、このとき上田雄己さん<夜・高田c/在特号キャップ>は雲隠れ。午前11時30分に始めて、封筒詰めまでの作業を終えたのは午後9時30分。

応募状況について、学生委員会から知らされた情報を以下に記します。
◆小説部門・・・今回30編〔22年1月・24編/21年7月・36編/21年1月・28編/20年7月・27編/20年1月・31編/19年7月・33編〕
◆エッセイ部門・・・今回7編〔22年1月・13編/21年7月・11編/21年1月・6編/20年7月・11編/20年1月・6編/19年7月・11編〕
◆詩部門・・・今回14名18編〔22年1月・13名17編/21年7月・9名11編/21年1月・16名24編/20年7月・16名24編/20年1月・8名11編/19年7月・10名15編〕
◆表紙部門・・・今回6名〔22年1月・1名/21年7月・3名/21年1月・1名/20年7月・4名/20年1月・1名/19年7月・2名〕
今回も応募数は多く(とりわけ小説部門)、『樹林』11月・在特号に載るのは、狭き門になりそうです。

コロナ状況が長引いていますが、選考委員や作品応募数が極端に減るということはありませんでした。それもこれも、上田キャップや谷学生委員長をはじめとした学生委員会の皆さんが手分けして、通教部スクーリングや昼・夜間部の教室ゼミにじかに足を運び、またZoomゼミにもおじゃまして、PRにこれ努めたからだと思います。
『樹林』在特号の発行・活用は、文校のカリキュラムにも組み込まれているように、文校活動の紛れもない一つの大きな“舞台”です。
コロナ情勢に押しつぶされることなく、在特号の11月発行へ向けて、確かな一歩を踏み出すことができました。

★小説部門の1次選考(在宅選考)の選考委員は各クラスから、34名の方に引き受けてもらっています。その34名には、応募30作を4つのグループに分けたうえで、そのうちの一つの作品群(4百字詰め総計およそ400枚)を明日・10日(日)に発送することになっています。7月29日(金)正午が、「小説部門1次選考採点表」の締切です。そこで原則、4グループそれぞれ上位3作品を選びます。
2次選考会は、8月21日(日)に、6名によって文校教室でおこなわれ、『樹林』11月・在特号の掲載作を決める予定です。
★1度だけで選考するエッセイ部門と詩部門の選考委員はそれぞれ、5名と4名の方に引き受けてもらっています。計9名の方へは、応募作品を明日・10日(日)郵送します。
エッセイ部門と詩部門の選考会は別々に、8月7日(日)におこなわれます。エッセイ部門、詩部門それぞれ5名と4名によって文校教室で選考し、『樹林』11月・在特号の掲載作を決める予定です。

各選考委員の皆さん! コロナと暑さにめげず、がんばって読んでしっかり審査してください。

(小原)

本日公開!「詩同人誌評(第5回)」(中塚鞠子執筆) ◆「小説同人誌評(第33回)」(細見和之執筆)、「詩時評(第27回)」(松本衆司執筆)も公開中!

本日、「詩同人誌評(第5回)」(中塚鞠子執筆)を公開しました。

『樹林』本誌上で2019年5月号(通巻652号)まで連載されていた「小説同人誌評」(細見和之執筆)と「詩時評〈詩集評〉」(松本衆司執筆)はその後、当HPのトップページ上に公開の場を移しました。
21年3月からは、あらたに「詩同人誌評」(中塚鞠子執筆)もくわわりました。
それぞれ原則、年4回執筆で、「小説同人誌評」は通算で33回目、「詩時評」は27回目、「詩同人誌評」は5回目になります。

公開済みの小説同人誌評、詩時評、詩同人誌評の一覧はこちら

●現代版“松尾芭蕉”● 桐原肇さん(77歳/文校昼間部生)が、一人歩きで鹿児島から函館まで日本列島(江戸歴史街道)縦断! 2年5カ月かけて、区切り旅159日間、4091km561万歩! 写真に添えて、歴史探訪や出来事を記しながら、スマホで日々の行程をブログにアップ!

大阪府吹田市の桐原肇(きりはら・はじめ)さんは、2021年4月に大阪文学学校の詩/エッセイ・中塚鞠子クラスに入学し現在も在籍中です。
文校入学以前すでに、東海道57次(大阪⇒東京/38日間/20年1・2月)と山陽・西国街道56次(京都⇒小倉/38日間/20年6・7月)を踏破していました。
文校入学後にたどったのは、長崎街道24次(352キロ)、日光街道21次(243キロ)、薩摩街道21次(492キロ)、奥州道中27次(150キロ)、奥州街道・仙台道42次(290キロ)、奥州街道・盛岡道22次(290キロ)、そして最後となる今回<22年6月7日~22日>の奥州街道・松前道23次(450キロ)。

桐原さんは21年8月に、箕面に関わる創作短編集とエッセイ集を同時刊行されています。そのことは、21年8月30日・文校ブログで紹介してあります。

**********************
●昨日(7日)、中塚クラスのゼミのあと桐原さんに、日本列島縦断の苦労話をいろいろお聞きしました。いずれも、誰にもまねできない、すさまじいことをやってのけている、と興奮させられました。江戸時代の松尾芭蕉に、ある面では匹敵するかも知れない。
◎背負うリュックは、10数キロに達するとのこと。雨具、医薬品、予備の靴、自販機のない道もあるので2キロの飲料ペットボトルなど。
◎誰も通らない道で大雪に見舞われ、遭難しかけたことが2度ある。そのときもそうだったが常時、大阪に住む息子が遠隔操作でスマホの機能をサポートしてくれている。
◎昔のままの「参勤交代」のさびれた道なので、街道沿いに宿泊できるところは少ない。その日の目的地にたどり着いたら、鉄道やバスに乗って宿泊所をさがすことになる。翌朝、前日の目的地に舞い戻る。
◎道中で1日に300枚、スマホ写真をとる。それを取捨選択し、ブログを書いていたら、就寝は夜中の1時を回る。それでも、行程をこなすためと身体リズムのために朝5時起床。

**********************
桐原肇さんは、次のようなタイトルで日々ブログをつづっています。その中には、“日本列島縦断・歩き旅”のことも出てきます。
《喜寿の青春賦 老楽生きがい日記!》

●【以下は、その桐原さんのブログから文字・文章の抜粋です。写真の転載はしていません】

日本列島縦断・江戸歴史街道歩き旅 完歩&雑感
2022年06月25日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)

6/24 北海道・函館にて記載
【小原注/最終日の函館到着は6月22日】

今回の奥州街道・松前道は盛岡宿から
延16日間、449.36㎞ 612.597歩 
1日平均28km 3.8万歩程
(半日や雨の日など含む) だった。

これで念願の
日本列島縦断 江戸歴史街道 歩き旅
を完歩 終着です。
* (江戸時代の参勤交代制度で、最南の鹿児島薩摩藩から最北の蝦夷地(北海道)・松前藩までの江戸街道を縦断し歩いてきた)
達成感でいっぱいだが、もう終わりかという淋しさと、充実感、感謝を噛み締め乍ら心は静かなのがなぜか不思議⁉️

75歳の幸期幸齢者になったのを機会に、初めて江戸・東海道57次を (大坂城から江戸城まで) 又40年ほど過ごした (大阪・箕面から千葉・浦安まで曾孫訪ねて三百里) とのテーマを掲げ、区切り38日間で歩き通して少し自信をつけた。

それ以来、山陽・西国街道、長崎街道、日光街道、薩摩街道、奥州道中、奥州街道・仙台道、盛岡道、そして今回の松前道と順に歩き、鹿児島・薩摩藩から北海道・松前藩まで一本で繋ぎ江戸街道を完歩できた。

<喜寿の青春賦> と街道を一人歩き続けてきたが、まさか鹿児島から函館までの江戸歴史街道を歩けるとは思わなかった。
・・・・・・《略》・・・・・・
延べ区切り
159日間 4091㎞ 561万歩ほどで完歩できたことは大きな自分の人生の自信となった。

真冬は積雪のない時を選び、真夏の炎天下を歩くのは危険だと避け、また今 自然大学校や文学学校、川柳会などの活動もあり、失礼ながらその合間をぬって区切りながら歩いてきたので、75歳の1月から77歳の6月まで2年5ヶ月もかかってしまったが、青春の夢を今 喜寿の青春 で達成できて幸せだ。

自分の足の一歩はたった70㎝ほどだが、560万歩歩けば歩き旅目標を達成できることも学んだ。 
・・・・・・《略》・・・・・・

一歩を踏み出すのは勇気もいるし、人はいろんなしがらみの中でその決断は並大抵でないと思う。

幸か不幸か自分は古希を過ぎて独り身となり、「お父さんの人生だから思い切って最後に悔いのない人生を過ごしたらいい」と息子たち家族の応援をもらい、心置きなく自分らしくあるがままに、しかも自由に生き生きと過ごすことができた。
・・・・・・《略》・・・・・・

生まれて今日までいろんなことがあった人生だが、子供の頃から今日に至る迄、全てに関わった人々を想い、またその一人一人のお陰で今の自分があることを知り、その感謝に肩を震わせむせび泣いた事が何度かあった。 

有り難い人生だったと、歩きながら人生回顧の日々を過ごす事ができた。
・・・・・・《以下 略》・・・・・・

(小原)

また秋期(10月開講)の新入生。3人目。西宮市の41歳男性が、年間学費+αを納入し、今週9日(土)から昼間部・大西クラスに加わります。

西宮市の男性から、オンラインで「入学申込書」が突如飛び込みました。電話でもメールでも、まったく事前連絡のなかった方です。
そのびっしり書き込まれた「入学申込書」をみて、本気だな、とは思いましたが、電話を掛けてみました。問い合わせはすることなく、文校HP(ブログ)だけで入学を決断したとのことでした。文学をやる仲間たちと早くふれあいたい、という気持ちがビンビンに伝わってきました。会社では忙しい時期のことが多いのだが、今は少し余裕があるので、今すぐに正規メンバーとして文校に入りたい、ということでした。
昨日のブログで紹介した、イギリスで生活経験のある神戸市の女性(2番目の秋期生)同様、10月からの1年間の学費に一定額を上乗せするという条件で、今週土曜日から昼・大西智子クラスのゼミに加わっていただくことになりました。

◆西宮市の男性の「入学申込書」を紹介します。
●《入学のきっかけや書きたいテーマなど》
今の仕事の業務量であれば、なんとか文章を書くための時間を確保できそうなので、文章を書くことを学ぶための学校に入学してみようと思いました。
大方の社会人が仕事に時間と体力のほとんどを吸い取られてしまうなかで、なんとか文章を書くための時間を確保できるという状況は、ありがたいことだと思います。この状況をできる限り有効に活用するために、誰かに文章を書くことについて教えてもらう環境に身を置いてみようと思いました。これは初めての経験なのでとても楽しみです。
小説を読むことが習慣になった中学生の頃から、私も小説を書くものと思っていましたが、とうとう小説を書かないまま25年が過ぎてしまいました。25年の半分くらいは、小説を書かないことに対する自責のような焦りがあったことを記憶しています。しかしながら、その焦りは、身辺の変化と共にぼんやりしたものになり、仕事という具体的で後廻しにできないタスクによって、とうとう塗りつぶされてしまいました。私が世の中と相対する姿勢、私が世の中を認識する方法も、焦りのあったあの頃とずいぶん異なるものになったと思います。実を結ぶことのない焦りによって私が失った時間を思うと、慚愧の念に堪えませんが、今文章を書くとすれば、あの2000年頃を振り返る作業が不可欠になると思います。そうした振り返りの作業は、以前の私であれば自虐的な苦行になるほかなかったのかもしれませんが、社会人として過ごしてきた経験がもたらしたいくらかの自負をもってすれば、存外楽しい作業になるのではないかと思います。そして、その作業の先に、「なんとかなるもんやで。」と、昔の私に呼びかけるような小説が書ければよいと思います。

●《影響を受けた作家・作品》
村上春樹の「風の歌を聴け」から「ダンス・ダンス・ダンス」までの一連の小説は、中学2・3年生の頃に読んでから長い間、私に「世の中との付き合い方のモデル」を示したものであったように思います。もちろん、現実はモデルの通りには行きませんでしたが。

●《募集を何で知りましたか》
高校生位の時に母親から聞いて(だったと思います)。私の大学は東京でしたが、小説好きの大学の先輩が「大阪にはいまだに文学を巡る議論で殴り合いになる学校がある。」として、御校を噂されていたことを憶えております。

(小原)