文校ブログ

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教室内に祭壇を設け佐々木鈴さんを供養。朝井まかてさんや通教部チューターなどから追悼文が次々に寄せられる。



≪教室内の祭壇≫


≪寄せられた追悼メッセージの一部≫

文校事務局員の佐々木鈴さんが急逝されてから今日で5日目。
ご家族によって葬儀が執り行われた13日(木)の夜10時半ごろ、当“大阪文学学校ブログ”で佐々木鈴さん(文校事務局員)の訃報を流して以降、花束やお菓子、ビール、タバコなどの供え物を事務局に持参する文校生や修了生が現れるようになりました。そこで急きょ、第2教室内に祭壇を設けました。遺影をつくってくれたのは新谷さん(夜・休学中)。今までに花束をとどけてくれたのは、平本さん(修了生)、夏当紀子・昼間部チューター、名倉さん(昼・島田c)、眞鍋さん(昼・休学中)、楠さん(夜・大西c)。
また、“追悼メッセージ”のメールも相次いでいます。春・秋の文校の入学開講式にいつも臨席される直木賞作家・朝井まかてさんをはじめ、通教部チューチューターからもいただいています。菅野美智子、平居謙、大沢綾子、川上明日夫(前)、美月麻希の5氏です。
在校生からも、“追悼”のメールをいただいています。青木さん(夜・松本c/長野)、田中さん(通・石村c)、琴森さん(通・平居c/沖縄)、中村さん(通・休学中)、川久保さん(通・美月c/愛媛)・・・・・・。

◆2時半ごろ、鈴さんのダンナさんが、彼女のセカンドバッグを持って事務局を訪ねてこられました。バッグの中に入っていた教室を開け閉めするカギなどを受け取りました。
二人の馴れ初めや、鈴さんが関東でタウン誌の編集に携わっていた時のこと、長岡京市に引っ越してきた時のことなど、いろいろ伺いました。鈴さんは、ダンナさんの実家がある東広島市のお墓で眠ることになるのだそうです。

(小原)

◆昼・詩の連続講座【担当:近藤久也講師】に、岡山の修了生など22名出席。作品提出20名中18名出席。◆通教部の最終的な締切日の今日、長崎、高知、徳島などの7名から作品がとどく。◆≪2023・文校夏季合宿≫明日、26名で元気に伊勢志摩へ行ってきます。

◆午後3時から6時近くまで、公開/昼・詩の連続講座(春期2回目)がおこなわれました。担当の近藤久也さんは、今回提出のあった20編の中から“わたしが気に入った、好きな作品”として次の6名の詩を発表しました。―――谷町蛞蝓(通・冨上c)、森實啓子(昼・伊藤c)、南条ひろし(昼・中塚c)、ひとみ・けいこ(夜・松本c)、野々ゆか(休学中)、加藤清三郎(休学中)。

◆通教部・春期第2回提出作品の最終的な締切は今日でした。長崎県佐世保市、高知県南国市、徳島県鳴門市、大阪府摂津市の通教生から、作品が速達でとどきました。大阪市内2名、芦屋市1名は事務局への直接持参でした。

◆≪2023・文校夏季合宿in伊勢志摩≫は、いよいよ明日から2日間です。近鉄上本町駅9:13発の特急で出発します。
残念なことに、ダンナさんと一緒に参加するはずだった佐々木鈴・事務局員の姿をみることはできなくなりました。しかしながら、佐々木さんはきっと、みんながワイワイと騒ぐことを望んでいるはずです。
事務局から小原が参加します。チューター陣からは、津木林洋(昼)、西村郁子(夜)、谷口俊哉(通)、佐伯晋(元/通)の4氏が参加されます。今春の新入生は茨城県水戸市、広島市などから5名、遠来組はさいたま市(通)、神奈川県秦野市(昼)、名古屋市(通)の3名。

(小原)

岡山市在住の鈴木陽子さん(文校修了生)が、自身の父・伊藤隆志が書き残したものを編集し『いとうたか志詩選集 全』として刊行。★希望者は、教室のテーブルの上から持ち帰ってください。

鈴木陽子さんの筆名は“結城まり”で過去、大阪文学学校には3度在籍しています。2006年4月から1年間、2016年4月から1年間、2019年4月から2年間。
明日(15日)午後3時から文校教室で、春期2回目の公開/昼・詩の連続講座(担当;近藤久也講師)がおこなわれます。その講座に、鈴木陽子さんも岡山市から参加する予定です。

◆鈴木さんは以前にも、父・伊藤隆志の小学生時代<昭和初期>の作文を本にまとめています。
23年1月20日・文校ブログ参照。

(小原)

佐々木鈴さん(文校事務局員)が急逝されました。ご冥福をお祈りします。


≪佐々木さんのFacebookより≫

今夜は悲しいお知らせをしなければなりません。
大阪文学学校の事務局員・佐々木鈴(ささき・すず)さんが自宅で急逝されました。10日(月)正午ごろのことで、脳出血によるものでした。文校事務局に出てきた最後は、7日(金)ということになりました。1965年(昭和40年)、東京生まれの57歳。
地元・京都府向日市の葬儀場で、昨日(12日)が通夜、今日(13日)が葬儀でした。身内のみ10数名だけの家族葬を予定しているとのことでしたが、強くお願いして、文校から通夜には4名(葉山郁生・大阪文学協会代表理事/谷良一・学生委員長<夜・平野クラス>/新谷翔・元在特部キャップ<休学中>/小原政幸・文校事務局長)、葬儀には3名(平野千景・夜間部チューター/真田南夫・前在特部キャップ<夜・平野クラス>/真銅孝・文校事務局員)が参列しました。
僕が駆けつけた通夜のときは、電子ピアノから鎮魂の曲が流れる中、一人ずつカーネーションを献花しました。そして、祭壇前に置かれた棺の中の穏やかな鈴さんのお顔に別れのあいさつをしました。
惜しまれてならず、多くの文校チューターの死に際して流すことのなかった涙が出てしまいました。逝去の前夜(9日・日曜)にそれぞれ携帯で話していた文校生二人から、鈴さんはいつもと変わらず快活だったと聞き及んでいたので、無念の思いが沸点に達したのでした。

午後6時から営まれる通夜当日の昼過ぎ、文校事務局から供花4基(一般社団法人・大阪文学協会/大阪文学学校事務局/大阪文学学校学生委員会/大阪文学学校夜間部平野クラス一同)を手配しました〔いつもは鈴さんがやってくれていたことだったのに・・・・・・〕。また、真銅くんに手伝ってもらいながら、小原名で次のような弔電を打ちました。
【あまりにも突然のご逝去、受けとめられずにいます。パソコンとネットを自在に駆使できる鈴さんが事務局に存在していなかったら、文学学校はコロナ禍の難局を乗り越えることができたでしょうか。鈴さんの元気を分けてもらい、励ましの声を聴くためにわざわざ電話をかけてくる在校生がどれだけいたことでしょう。事務局の仕事にとどまらず、夜間部のクラスに在籍して小説を書いていた鈴さん。あの世でもペンは手離さず、わたしたちに人生や社会の問題を投げかけつづけてください。】

◆9月中までには文校教室で、学生委員会にも協力をあおぎながら何らかの形で“鈴さんを偲ぶ会”を開くつもりでいます。その時には、ご遺族をお招きしたいと思います。

≪佐々木鈴さんの文校歴≫
○2016年10月・・・昼間部・佐久間クラス入学(~17年9月)
○17年10月~18年3月・・・昼・夏当クラス
○18年4月~20年9月・・・夜・青木クラス
○20年2月~現在まで・・・文校事務局員(半年の手伝いを経て)
○20年10月~21年3月・・・通・若林クラス
○21年4月~21年9月・・・通・飯田クラス
○21年10月~現在まで・・・夜・平野クラス

≪佐々木さんの『樹林』掲載歴≫
○2017年4月号(入学案内書)“在校生の声<入学生の想い>”欄・・・「前略 お父さん」(3枚)
○19年6月号(在校生作品特集号)・・・小説「僕を呼ぶ声」(42枚)/ペンネーム;佐々木スズ
○20年11月号(在校生作品特集号)・・・小説「触れる」(56枚)/【第41回(2020年度)大阪文学学校賞<小説部門>受賞】
○21年1月号(通教部作品集)・・・小説「サナギ」(23枚)
○21年8・9月合併号(通教部作品集)・・・小説「鈍行列車」(17枚)/ペンネーム;岡山さず

◆上の『樹林』掲載作を読みたい方は、事務局までお越しください。

(小原)

昨日(10日)の公開/夜・詩の連続講座に14名。

冨上芳秀チューターが担当する公開の夜・詩の連続講座(春期2回目)は、今夜6時30分から14名の出席でおこなわれました。そのうちの一人、東京都新宿区の文校修了生・海野あかりさんは、春期1回目(5/29)につづいて教室にやって来ました。
8時過ぎには、大急ぎで教室を抜けだしました。そして今日の昼前、≪無事に最終新幹線に間に合いました≫というメールをいただきました。
その後、≪二度つづけて詩の講座を受け、一回目は冨上チューターのご指摘に「なにくそ!」と思い、二回目でやっと自分で詩を書く取っ掛かりをつかめたように思います。≫とつづられていました。

◎作品提出者は、14名中11名が出席。

◆次の公開講座は、7月15日(土)午後3時から春期2回目の昼・詩の連続講座(担当;今期から新任の近藤久也講師)です。
作品提出は、春期1回目(6/10)が21名、すでに締め切っている今回は20名からあります。

◆公開講座には、作品を提出していない方でも参加できます。在校生は無料、休学生・修了生は1000円、一般は1500円です。

(小原)